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声に載せてみせてくれたあなたに



 noteでお付き合いのある静森あこさんが、初めて書いた小説『はじまりの物語』を朗読してくださいました。

 今回の記事はその感謝と感動を伝えたい、そう思ってキーボードを叩いているのですが、もう、いいようのないあたたかな気持ちでいっぱいで思うように言葉が出てきません。

 私と私の作品を紹介して下さった記事です。
朗読はスタエフ音声を貼り付けて下さいました。

 あこさんの声で聴いて頂ければ嬉しいです。
 
私は、あこさんの朗読、一人でスタエフ試聴回数を伸ばしているんじゃないかというぐらいに聴いています。それもいろんな場所で。
 最初は、お昼休憩中にイヤホンで聞きました。目を閉じて、投稿されてから間もないときに聴ける喜びに浸りました。それから帰り道、川を散歩しながら聞きます。神戸は、海側山側があり、川を下流の方から上流の方に緩やかに登っていきます。夕暮れ時の川辺を、あこさんの声で[はじまりの物語」を聞きながら歩きます。あこさんの澄んだ声は、川の音と良くなじみます。
 文芸に携わったことがない私は、小説を創作するにあたって、語句の美しい表現方法や語彙量自体が圧倒的に貧弱であろうことは分かっていたので、変に背伸びしようとせず、児童文学ぐらいの語句とボリュームで、小学校高学年や中学生にも読んでもらえるぐらいの作品ということを念頭に置いて書き進めました。また、アニメや映像も好きなので、目に浮かぶような見せ場を作りたかった。あこさんが読んでくださったのは、まさにその部分です。

 文芸をこよなく愛するあこさんに、新鮮に映ったのならうれしいです。
  最初の方は、変に「受け取り」とか「重い」とか気負いがあるなぁと書き上がってから感じたのですが、そこはなんのはなしですかの、回収との絡みもあって残しました。これはこういう意味ですよ、というようなことは意図してはなかったのですが、あこさんが、物語を完全に私から切り離して、あこさんが読んだイメージから言葉に出して、外に見せてくれたことで、また、私の中でも色々言葉からの想像が広がりました。
 
 ちなみに私の想像は、静森あこさん自身にも広がっていきます。ちらっとだけ私の中に浮かんだイメージを紹介させて下さい。

 人はみんな、いれものを持っていて、
     それは人それぞれ違っている。
 あこさんのいれものは、透き通ったガラスのようなもので、上はおさらのようにあいている。中は、湖畔のように深さを感じさせるような雰囲気の水のようなもので満たされている
 そこに、外から、色々なことがやってくると、ぽとんとあこさんの器に落ちてくる
 ふわっと広がる馴染みのいいものもあれば、血液のようにドロッとゆっくり、触れた部分を紅に染めながら落ちていくようなものもあり
 それが、どんなものであれ、観察して、感覚を愉しむあこさんがいる。
それは作品の中でももう少し色づいてみたかったんだけどな、と少し冷めたような人物を描いて表現したいあこさんもいて。
 わたしの静森あこさんはそんなイメージで、今回、『やさしいおもい』という感想と朗読をしてくださったことは、もしかしてふわっと広がったのかしら、とこそばゆく喜んでいるのです。

 まだまだ、上手く伝えられないけれど、あこさんが次の色を愉しむことができるよう感想を書いて、あこさんの背中を押したいと思います。
もうひとつの朗読作品と、note とスタエフお休みしての文芸創作、存分に世界に浸って、また見せてくれるのを楽しみに待っています。

おまけ   ーなんのはなしですかコラムー
 ちなみにコニシ木の子さんの器は、帽子パンのような形です。でも帽子のつばはくっついていません。よく見ると、丸い玉のような器の周りにはドーナツ状のお皿があります。
 コニシ木の子さんの回収は、めったなことでは丸い玉の器にははいりません。ドーナツ状のお皿に回収してまわって、一週間たったら、そのドーナツ状のお皿だけ、ぽっかり置いてお皿の上でどんな料理になるのか楽しんでいます。そして、また新しいお皿が現れます。
 だから、きっと受け取りのダメージは少ないはずです。ただお皿に乗りきらなくなった場合が心配ですが。

 私の頭の中、というか、ちょっとななめ上を見上げてイメージしていく感じでぼんやり、色々愉しんでますが、自分の入れものはよくわかりません。

また、帰ってきたらお付き合いください。

せっかくご紹介いただいたので
恐縮ですが、作品、貼らせてください。

途中立ち寄った九頭竜大社
最初の絵馬は「完成を祈念して」と記しました。
次の絵馬には「必要としてくれる方に届きますように」と記しました。

受け取ってくれて出会わせてくれたことに
感謝を込めて       フルレット💖





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