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はじまりの物語㉔ 門出

旅立ちの朝

そのまま社で一夜を過ごした道風が
ちゃんと持ったかと心配そうに声をかける

これから向かう先は尾張の国分寺である
もちろん、国の鎮護のための神護院の管轄社寺だ
尾張は畿内と東国を結ぶ重要な要所である
そこの国府の任を道風の父が担っているときに
道風は生まれ12になるまでそこで過ごした
偉い仏僧のもとで修業したわけではない一葉だが
そこなら馴染みの任官や僧侶に口添えできる
一葉には駅路と要所を記した地図と
尾張国府と国分寺僧侶にあてた書を持たせていた

実頼と私あてに手紙も忘れずにな、と念を押す
生活のための荷はできるだけ抑えたが
道風の書と文筆具の他に大事なものがあった

綿布で丁寧にくるんだ彫りかけの白木
祖父、法王から譲り受けた鉦(かね)と撞木(しょうもく)
背負い紐をつけた竹篭に入れた荷をもう一度確かめ
よし、とその肩にかけた

細い肩には、ずしり、と重い
しかし、そうとは感じないぐらい足取りは軽かった
行ってくる、いうより早く
はじめの一歩を踏み出していた
もちろん、手には神鹿の杖を持って

水脈を探すときは杖に入っていた蛇も、旅の間は
一葉の後ろの篭に入ってあたりを見回す
道中、人里にある田畑は荒れていたが
山間は緑豊かでいくら見ても見飽きることがなかった

一葉はというと、
まずはきちんと僧位を得ることが必要だ、と
五幾七道、地方に通ずる道に駅場が整備され
国府に行くにはその道沿いを行くのが近道だ
景色を楽しむ余裕などなく急ぎ足で
山城、近江を抜け尾張へと進んでいった

尾張国分寺は大きく蛇のように蛇行する川の近く
小高い丘になった場所に立っていた
一葉の目の前にある国分寺はもとは願興寺という
飛鳥の流れを汲む寺である
以前の国分寺の失火により国分寺となったのだが
宮中にいた一葉も遠目に見ても息を飲むほどの
荘厳な造りであった

一旦、国府に逗留したあと取り次ぎを待ち
いよいよ入門を許された

ー延長元年4月25日ー
小野道風、藤原実頼にあてた手紙

晴れて得度を受ける
法名は、一水  いっすい 
自分で法名を申し出ることは前例がないことだけど
道風の命名願いの一筆により受理頂いた
さすが道風の故郷、書才、画才の栄達が轟いている
道真公の右大臣復位の日に出家できて嬉しい
剃髪して法衣も頂いた
これより東国巡行に向かう
不安はない、阿弥陀仏が一緒だ

文をしたためて感慨に浸る
一水は自分で考えた僧名だ


海ならず たたえる水の底までに
きよき心は月ぞてらさむ

菅原道真  大鏡 古今和歌集
 

海のようにどんなに深い水底であっても
水のように清く澄んだ心でいれば月が照らしてくれる

左遷で下る道すがら
同情の念をこらえきれない播磨の世話役を
なだめるかのように道真公はそう和歌を詠んだ

漢詩に通じ、詩情というものを和歌にして浸透させた
難しいものを難しいままにするのではなく
人々に親しみ受け入れられるよう心を砕いた人物でもある

修行を終えて今改めて思う
清く澄んだ水でありたい
月のように光る玉のような一滴の水
空(くう)にありて、清濁水中にある衆十を
水鏡のように映し出し天の光を届けたい

いや、届けるのではない、
届いているのだということを伝えていくのだ

月を見上げるように
南無阿弥陀仏と唱えると
阿弥陀如来の光を受けた月のような
観音菩薩が優しく人々を映しだす
そして映し出された姿は浄土に届く

修行を終えてそのように感じるようになっていた
蛇がおもいを取り出した後のまるい光る玉の存在が
それに確信を与えていた

まずは東国から
また新たに一水の旅が始まった



草稿のみの特別コーナー
(不要な方はすき♡を押して閉じて下さい(^_-)-☆)

手紙を受け取った実頼と道風の会話

実頼:えええーーーーー。
   一葉の法名知ってたのーー?(ちょっと落ち込む)
   でもさあ、いい名前だね
   菅公もやっと復位が認められたし
   ってかオレも頑張ったし
   褒めてくれーーーー。
   それにしても坊主あたまか。
   かわいいだろうな。(ニヤニヤ)
道風:・・・・・・・


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