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「なんで本名晒してるんだっけ」

 ド本名を晒しているnote、X、スタエフについて、どうしたらいいだろうと頭をよぎることが増えた。

 会社の人間に見つかっても大丈夫なのだろうか。一応「大丈夫なものしかネットで晒さない」というポリシーでやってきたけど、noteを始めてもうすぐ2年になるので、今振り返ると見つかったら恥ずかしいものもあるような気がする。

 そもそもなんで本名にしたんだっけ?

 ペンネームで二次創作をしていた時は「その名前にあるべき架空の人物」を演じてしまってしんどくなっていた。
 エッセイを書こうと思い立った時、自分自身について書くなら偽名を使って架空の人間を演じるのは意味がないと思った。むしろバリバリ本名のFacebookとかでシェアして昔の知り合いに読んで欲しいと思っていた。

 この「自分を分かって欲しい」という欲は当時強かった。
 noteを始めたのは夫との同居が始まって1か月ごろ。それまでは結婚していてもまだ夫にカッコつけていて、まだ「何でも話せる」とは言えなかった。
 同居してから夫に全てを話すようになって、自分から溢れ出た本音を自分の耳で聞き続けて約2年。

 こんな奴の本音なんてネットに晒してどうすんだとつくづく思う。

 2年前、私は私自身にそれはそれは期待をしていた。まだ自分の本音を掘り起こせていなかったからだ。
 自分からどんな文章が出てくるか楽しみで、この私から出力された文章なのだから赤の他人が読む価値があると信じて疑わなかった。

 この2年で夫に私の考えや性格を掘り起こしてもらった結果、私は面倒くさがりで他人に興味がなくしかし世間体を何より重視しているということを知った。
 私の中では「面倒くさい」「他人に興味がない」のタッグと、「カッコつけたい」「恥をかきたくない」のタッグが常にせめぎ合っている。「誰も見ていない状況」と「誰かが見ている状況」のどちらなのかで片方のタッグが優勢になってその場での自分の行動と思想が決まる。

 こんな情けないことを書いていて、私は今全然ショックを受けていない。もう自覚しているからだ。
 私の行動の具体例は、世間体を重視しているので書かない。書きたくない。つまんないだろうが恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 こんな奴の本音などネットに晒してどうすんだとつくづく思う。

 さて、「本名でこんなものを晒してて良いのか問題」の話だ。
 名前を今更変えるのも面倒くさいので、別にしばらくこのままでいいや。

 とりあえず「面倒くさい」の勝ち。

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