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「できたこと」より「できなかったこと」が気になる?自己効力感アップと「ソフト老害化」の認識が日本を復活させる

高齢化が進む日本では、元気なシニアがどんどん増えています。一般的には60歳が定年ですが、最近は、60といっても見た目では40代に見えるような人も多く、生物学的な体内年齢もそれに近い人が多いのが実際です。

つまり一昔前の「シニア」=じいさん、ばあさん、というイメージと現実はとっくに乖離しているのですが、社会の仕組みはそうではないので、力を持て余している60代以上がどんどん増えているのが日本の現実なのです。

仮にこの層を「ニューシニア」と呼ぶとすると、このニューシニアが日本の戦力になることが、今後の日本の人材力を決めると思うのです。ただそこには、乗り越えるべき壁があります。

「エラソーおじさん」の弊害

ところが(主観ですが)この「ニューシニア」がなかなか戦力になっていません。そして、そのコアの理由は、過去にこだわって柔軟性がないとか、スキルが古いなど、いろいろあるものの、究極的には

自分を客観的に評価できない

ことではないかと思ってます。

先日も「まいばすけっと」(イオン系のコンビニ)で、「ニューシニア」っぽいおじさんが、レジの女性店員に向かって

「早く会計しろって言ってるだろ」

と怒鳴って命令していましたが、こういう人が上司だったら、一緒に仕事をしたい人は、あまりいないでしょう。(少なくとも私は嫌です)

おそらく、年功序列で同じ会社でずーっと仕事していると

「自分が偉そうである」
「会社の肩書がなけれれば、個人としてのあなたには従わない」

という客観的事実が認識できなくなっていて、会社外のあちこちでバグを起こしてしまうのです。(怒りが抑えれなくなるのには、ホルモンバランスの問題ももちろんあるでしょう。)

また周りも周りで、過剰に年齢や役職によって、その人にゴマをすったり、ヨイショして持ち上げたりするので、40後半ぐらいから「ソフト老害化」を指数関数的に加速させます。

それでもまだ、「ああ、自分はエラソーに喋っているなあ」という自覚があるなら救いがありますが、「できない店員を教育してやった(感謝しろ)」と思っているイタい重症患者も多いのです。

こういう状況だからこそ、(表立ってはそうは言いませんが)偉そうな人が社内政治力で抵抗しないように、年齢で一旦線引をして、一律で定年退職をさせた後で、雇いたい人だけ再雇用するという意味不明な行為が行われている訳です。

こういう「エラソーおじさん」問題を解決せずに単に定年制の延長を義務付けるようなことをやったら、能力のある人ほど転職してしまうのは、想像に難くありません。

謙虚さの美徳が裏目に出る

さて「ニューシニア」が戦力にならないもう一つ大きな要因は

「自分の能力を過小評価してしまうか、マーケット価値がわからない」

という問題があります。
その原因は、学校や会社での自己成長の過程において培われた”ある思考”の癖です。

具体的には

「これだけしかできなかった私が、こういうことができるようになった」
「これだけゴールに近づいた」

という「成果」側を認識するのではなく、

「やってみて、こういうことを学んでいかなければならないと気づきました」
「こういうことがまだまだできていません」

というギャップや「問題点」に気づく方が、なんとなく心地よく感じてしまう悪い癖です。

その方がなんとなく求道者のように謙虚でストイックな感じがしますし、「できていないじゃないか」とやっかまれたりするリスクも回避できるので、ある種の処世術的な側面もありますが、この会社や学校で身につけた(というより洗脳された?)減点法による

「問題点に気づく方が偉い病」

をひきずって、いい大人になってもみんなで自虐的に「反省会」をやってしまうあたりが悲しくて、日本のエンゲージメントを低下させている主要因ではないかと思うのです。

ちなみにエンゲージメント調査は毎年世界的に行われていて有名なのはギャラップの調査ですが、毎年日本は最低レベルです。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF131HN0T10C23A6000000

もちろん、これには「謙遜」など、日本的な美徳が多かれ少なかれ影響しているのではないかという指摘もありますが、そのよき文化が逆作用して、いつまでも自分の能力を客観的に認知できなくて、「やりがい搾取」状態になっている事例も少なくありません。

余談ですが、アメリカ人やオーストラリア人と仕事をしていたとき、彼らが大失敗をした時に「I 'm very sorry」というかと思ったら「Thank you for pointing me out」と明るく言われてコケそうになりましたが、日本から出ると(特に欧米系の国は)、むしろそちらのほうが普通なので、そんなものかと感化されたのを思い出します。(もちろん反省は大事ですが、要はそこから学んで、何を改善するかです。)

言語化で自分のマーケットバリューを「ピン留め」する

人を成長させる企業では、「伸びしろ」を自己認知させるために「何ができるようになったのか」を徹底的に言語化するプロセスを人材育成に実装しています。

言い換えれば、言葉にして「ピンどめ」すること、つまり自己効力感(Self-efficacy)を自分で客観的に認識することで、マーケットで戦う際の「自信」になるのです。

これがすっぽり抜けているがために、会社員時代に「すごいこと」をやってきたのに、それが客観的に認知できなくて、定年後に

「私なんて大したことないんです・・」

と卑下して、周りも「そうなんだ」と額面通り受け取ってしまい、損をしているシニアってたくさんいます。(まさに自分で自分の言ったことをそのまま実現しているわけです)

例えば、音響メーカーで、長年こだわりの音を出すスピーカー設計に人生の大部分を捧げてきたのに、定年退職後はシルバー人材センターで、近所の草抜きをしているような感じです。

「私は**ができる」

という技術がちゃんと客観的にアピールできれば、年齢に関係なく数千万円〜数億円で売れる価値があるに、それが見えないのです。(さらに「エラソー」問題が拍車をかけます。)

もちろん、どんな職業も社会に価値を創造しているのは事実ですが、その人にしかできない独自の価値と、それを買いたい人が出会えないのはマーケットのミスマッチであり、社会資本として大変もったいないと思うのです。

セルフプロデュース支援にビジネスチャンス

リアリティとして、世の中の人は、自分が思うほど他人に関心を持っていません。だから「**さんが本当はどんな能力を持っているか」を、その人に代わってマーケティングしてくれることはほぼありません。

ビジネスとしての転職エージェントは、そこを補ってくれる存在ですが、それでもシニアのマーケットバリューを市場にうまく訴求できるエージェントは多くありません。

したがって、当面は自己成長・価値を自分で認知するプロセスをきちんと人材育成にインストールすることが、会社も、社会も、個人も得をする「三方よし」の道ではないかと思うのです。

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今後シニアの価値を正当に評価してプロデュースするビジネスができたら、かなり大きいビジネスチャンスであるのは間違いなさそうです。

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