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「鼻からスイカ」ではなく、「子宮の中にエイリアンとハンマー」だったという話

出産の痛みは、よく「鼻からスイカを出す」と例えられることがあるが、どうやら実際は少し違うようだ。

いくつか引用してみると、

あの痛さは……例えるなら下腹部に焼け火箸刺されてグリグリ撹拌される感じ……? @yuhmi_yamada さん
陣痛を例えるなら、鼻からスイカじゃなくて10ヶ月分の便秘のをどっさり出したいのに出ない痛みの感じですた。 @Lazy_akko さん
「建物の5階から落ちてお尻を打つ」っていうのだった。尾てい骨から腰骨にかけて、バラバラにヒビが入ったんじゃないかという尋常じゃない痛み。
@ksdtn さん

これ以外にも、陣痛の痛みをたとえた表現の豊かさには、思わず笑いがこぼれる。そしてどれも間違いなく、痛そうで苦しそうで、壮絶だ。

今日は、そんな出産にまつわる「痛み」について書いてみたい。


長男の妊娠中は、荒川区に住んでいた。検診のたびに、路上を走る都電荒川線に乗って、昔の東京女子医大第二病院まで通っていた。

妊娠中はのんびりとした時間を過ごしていた。ラッキーなことにつわりもなく(二日酔いみたいに気持ち悪い朝が1回だけあったけど、それだけ)、仕事もしていなかったので、ゆったりと、掃除をしたり料理をしたりという日々だった。

いよいよ臨月に入り、38週目の検診に行ったときのことだ。
初産は予定日より遅れることが多いと聞いていたので、その日も、いつも通りの単なる検診のつもりで病院に行った。

いつもの検診以外に、その日は骨盤のレントゲンを撮った。すると担当医から「赤ちゃんの通り道となる骨盤の形が、普通は楕円形なのですが、三角形になっているので、赤ちゃんの頭蓋骨が引っかかって通れない可能性があります」と言われた。

不安な気持ちのまま待合室でしばらく待たされた。何の苦労もなく、のほほんと妊娠生活を過ごしてきたが、いよいよのときが近づいて、自分の骨格が原因で出産に障害が発生するなんて。

しばらくして、女性の部長先生がやってきて、私は待合室からまた診察室に呼ばれた。部長先生は、レントゲン写真を見た瞬間「あ、これは切りましょう」と言った。

そして、即座に私の方を向き

「今から家に帰って、入院の荷物を持って、ご主人と一緒に来てください。これから帝王切開をしましょう」

と言った。

「え、今日ですか?」

破水や陣痛も、そりゃ突然やって来るんだろうとは思っていたけど、このときはあまりにも唐突だった。

おろおろしながら、携帯でだんなさんに電話をし、家で待ち合わせることにした。病院からの帰り道に神社に立ち寄り、「どうにか、なんとか、無事に健康に、生まれてきてください」とお願いをした。

自然分娩ができないということを宣告され、まるで「お前が悪い」と言われているような気になった。赤ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

家に帰って、用意しておいた荷物のバッグを持って病院にまた向かった。看護師さんに言われるまま、まな板の鯉状態で手術の準備に入った。

手術室は少し肌寒かった。麻酔を入れたあと、数を10からカウントダウンするのだが、7か6くらいで速攻意識がなくなっていた。

次に気づいたときには、身体を思い切りゆすられていた。
正確には、お腹を切った部分から赤ちゃんを取り出すために(10センチくらいしか切らないから、押し出さなくては取り出せない)、胃のあたりをぐいーっぐいーっと押されていた。うわ、赤ちゃんつぶれないだろうかとか、いやーこれ気持ち悪いんですけど、戻しそうなんですけど、、、などと考えていたら、ふっとその押される感覚が終わった。

「おめでとうございます、男の子ですよ」

と言って見せられた赤ちゃんは、よくあるドラマや映画とは違って、ラードのような白い脂にまみれていた。

心の中では無事に生まれてよかったと思いつつ、「あっ、はい」とだけ返事をした。なんだか身体も気持ちもジェットコースターに乗っているような気分だった。お腹を縫い合わせる際にまた、麻酔を強くしたようで、その後すぐ意識がなくなった。

次に気づいたときには、病室に寝ていた。
いちばん最初に感じたのは、下腹部の壮絶な痛みだ。
なにこれ、聞いてないんですけど?

横にいた旦那さんに、「すごい痛い、我慢できない」と言って、ナースコールを押してもらった。

「どうしました~」と看護師さん。

「すごいお腹が痛いんですけど」

「赤ちゃんを取り出した子宮がもとに戻るように、子宮収縮剤を入れてますからね。痛みがありますけど我慢してくださいね。点滴を少しゆっくりにしますね。痛み止めも入れておきましょう」

と言って点滴をゆっくりにしてくれたらしいが、まったく痛みは減らない。逆に強くなる一方だ。

子宮が出産の準備ができていない状態で突然赤ちゃんを取り出してしまったので、薬によって今度はその子宮を収縮させようとして起こる後陣痛というものらしい。理屈はわかるが、もはや、そんなことを冷静に考えられる余裕はない。

痛くて痛くて、叫び声が止まらない。「いたい、いたいよ、あー、いたーいよーぉ、いたーいよぉおおお」と、声を出して痛みを逃がす(ごまかす)意外に、何も方法が思いつかない。お腹を切っているので、その傷も痛くて、たいして体を動かせない。

そのときの病室は相部屋だった。他の患者さんもいる。迷惑をかけてしまうので、看護師さんにお願いをして個室に移してもらった。

個室に移ったところで、痛みが減るわけじゃない。さらに強くなって襲ってくる。子宮の中でエイリアンが内壁をむさぼり食べているんじゃないかという痛みに加え、腰をハンマーで思いっきり連打されているような痛みがひっきりなしにやってくる。

これいつまで続くんだ、無理だ。我慢できない。
そんなに急激に収縮させなくても、ゆっくり戻せばいいんじゃないか。そもそもここまで膨らむのに10か月かかってるんだよ。それかもっと強い痛み止めはないのか。

またナースコールで看護師さんを呼ぶ。

「さっきよりもっと痛いんですけど」

「使用量を超えているので、もうこれ以上痛み止めは出せません。我慢してください」

「なんでこんなに痛いんですか?」

「子宮が戻ろうとしているからです」

「痛すぎて我慢できません。痛み止めを増やすか、収縮剤を減らすか、点滴をやめてください~っ」

「痛いのは我慢してください。子宮収縮剤を入れないと、子宮が戻らなくなりますよっ!」

最後にはもう、看護師さんは怒っているようだった。
結局その夜は、一晩中、個室で叫びながら痛みと闘い続けた。


翌日、寝不足と叫び続けた疲れから意識が朦朧としているときに、重湯と出し汁みたいな回復食が運ばれてきて、

「起き上がってみましょう」

と言われた。

「え?」

起き上がろうとすると、縫い合わさった傷口が、すごく痛い。裂けてしまうんじゃないかというくらい痛い。鬼ですか?と思った。

「傷口が痛くて、起き上がれる気がしないんですけど」

「支えますから、大丈夫」

結局ほとんど起こしてもらうような形で、上半身をベッドに起こした。

これまで入院も手術もしたことのなかった私には、すべてが、生まれて初めて経験する痛みだった。その後も、石の板が入っているんじゃないかというくらいの胸の張りの痛みや、経験したこともない便秘の痛みなど、出産には本当にいろんな痛みがつきまとうのだなということを身をもって体験した。

その後、看護師さんが個室に赤ちゃんを抱っこして連れてきてくれた。出産後、初めて抱く赤ちゃんはそれはそれは「ほわ~っ」としていて、小さくて軽くて、もろくて、赤くて、かわいくて、しみじみ無事に生まれてきてくれてよかったと思った。

が。

赤ちゃんが無事に生まれてきてくれたことの感動では、痛みはふっとばない。痛いものは痛い。

帝王切開は、陣痛や出産の痛みを経験しないため、赤ちゃんに愛着が生まれにくいと聞いたことがある。長男が生まれたとき、私はそんなこと絶対ないだろ、と確信した。自然分娩と比べようもないが、間違いなくものすごく痛い。人生で一番の痛みだった。

だから私は、全然、帝王切開の引け目を感じなかった。逆に、私はあの後陣痛の痛みを経験したんだから!と、今でも思っているくらいだ。

そんな痛みも忘れかけた2年半後、次男の妊娠がわかる。
長くなったので、続きはまた後日。


6/5追記:
続編を書きました!


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