ゆっくりと、言葉を待とう

昨晩、古賀史健さんのnoteライブ「#ライターの教科書」を20:00から視聴した。何か参考になる話を聞けるといいなあと軽い気持ちで見始めたのだが、古賀さんがとつとつと語る中から「覚悟」というか、古賀さんの「存在の源」が溢れてきているようで、どんどん引き込まれてしまった。

特に、質疑応答に入ってからの古賀さんの語りは真剣勝負を見ているようで、静かだけれど大量の熱量を持つお話を、頭ではなく体感覚で受け止めようと、せっせと手書きのメモを取った。

そんなことがあって、目が冴えてしまって眠れなくなった。「参考になる話を聞いた」というよりは、「あんたはどうなの?」と突き付けられて、居てもたってもいられなくなった。落ち着きなくあれこれ考えたり、本を見たりをしながら、2:00くらいまで起きていた。

後日アーカイブが公開されるそうだけれど、アーカイブではなくて、昨日のあの時間に見れてよかったなあと思っている。そのときその時間に受け取れる何かを、少なくとも私は受け取れたように、勝手に思っている。

「何か」と書いたけれど、私が受け取ったものは間違いなく「問い」だ。

あなたにとって書くことは、どういうことなの?という問い。
そしてそれは、どうやって生きていくの?という問いでもある。

この辺は昨日の感覚を抱いたまま過ごすと、その問いが改めて自分のなかをめぐっていき、何かしらの言葉が、じわーっと湧いてくるんじゃないかなあと思っている。

反射でポンと出てくる言葉ではなく、昨日の時間から自分が何を受け取って、自分から何が出てくるかを、丁寧に扱いたい。そう思っている。


今日も、起きてから抗がん剤の副作用で気持ち悪さがあって、朝食後に家族にごみ出しをお願いして再度横になった。

昨日読み終えたフォークナーの『八月の光』の解説を読む。こんなに解説を熱心に読むのは初めてだ。物語が大きすぎて、これは軽々とはnoteに感想を書けないなあと思った。こちらも、もう少しその感覚と一緒に過ごし、言葉が湧いてくるのを待ちたい。


少しでも外の空気を吸おうと、長男と車で無印良品に買い物に行き、食品をいろいろ買い込んだ。帰りにはま寿司で昼食を食べ、帰宅したあとは、睡眠不足を補うようにまた昼寝をする。

夕方に、法人決算の打ち合わせの電話をしつつ、病気との向き合いについて対話。

おそらく週末が過ぎれば元気が戻ってくるだろう。外も、春の兆しで満ち満ちているだろう。ゆっくりと自分のペースで、自分の過ごしている時間の質を感じながら、歩みを続けて行こう。


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