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新宿コマ劇場前の、目に焼き付いている2つのシーン

貧乏な浪人時代のことを以前書いたけれど、そのちょっと前の話。

ある日のアルバイトの後、新宿で友人と待ち合わせてご飯を食べた。そろそろ帰らないと終電がなくなるという時間になったが、なんとなく家には帰りたくない。

そこで私たちは、新宿コマ劇場に向かった。正面玄関は閉まっているが、入り口の右手にある「コマそば」は営業中だ。深夜とはいえまだまだ行き交う人も多い。「眠らない街」だから、もちろんなんだけど。

友人は持っていたギターを取り出し、コマ劇場の前のちょっとした段差に座った。ギターケースのうえに帽子を置き、千円札を1枚と小銭をジャラジャラっと帽子に入れる。

「結構もらえんのよ。まあ、ちょっと待っててよ」

そう言われ、少し離れたところの段差に私はちょこんと腰掛けた。

ギターを弾きながら友人が歌い始めた。英語の曲、日本語の曲。当時は尾崎豊の人気がはんぱなかったので、尾崎の歌も多めに。

仕事帰りの人や飲んだ帰りの人が、ふと立ち止まって歌を聞いていく。そのくらい友人の歌は、上手いだけでなく人を引き付ける抒情的な歌声だった。私は友人の斜め後ろから、そんな立ち止まる人たちを眺める。都会の真ん中でまったく見ず知らずの、まったく縁のなかった人たちと、同じ場所で同じ歌を聴いている不思議を感じていた。

見ていると以外と投げ銭をしてくれるもので、2時間ほどして数えてみると、8,000円くらいになっていた。

「今日は店じまいだね」

と言って、友人はにっこり笑った。

そのお金を持って、私たちは2,980円で飲み放題食べ放題というお店に行った。その日、何を話したかはまったく覚えていないが、始発の時間まで、飲み続け、話し続けた。


当時、新宿コマ劇場の前は、ちょっとした広場みたいになっていた。もとは噴水だったらしいが、私が行っていた頃はただのタイル敷きの広場。

ここで当時の写真が見られる。


そんなコマ劇場の前で、別の日にこんなシーンを目撃した。

歌舞伎町一番街を歩いていたら、大きな咆哮のようなものが聞こえてきた。近づいていくと人だかりがしている。なんだなんだと野次馬根性で見に行くと、(ほとんどが)男性の大集団が、コマ劇場前の広場も道路も埋め尽くしていた。暴動かと思うほどの人数だった。

肩を組み大声で何かを歌っているらしいが、獣が吠えているようにしか聞こえない。呆然と眺めていると、近くの人が「今日、早慶戦だったのか」と言った。

早稲田の学生さんたちが、その日の試合に勝ったことで大騒ぎをしていたらしかった。大集団は、歌い終わると腕を突き上げ、口々に雄たけびをあげていた。「こわい」と思いながらも、私はしばらくその場から離れられず、その様子を眺めていた。


今調べてみると、恒例の風景だったようだ。

早慶戦の後は、勝敗に関係なく、早稲田の学生は新宿へ、慶應の学生は銀座に繰り出し、騒ぐというのが慣例となっていた。ほろ酔い機嫌の学生たちは、校歌や『紺碧の空』を歌い、歌舞伎町を練り歩いたり、新宿コマ劇場前の小さな池に飛び込んだりした。今思えばはた迷惑なことであるが、当時は通行人も「おめでとう」などと声をかけ、それでまた盛り上がるという光景が、あちらこちらで見られたものである。(早稲田ウィークリー バックナンバー「早慶戦の思い出」より


路上演奏も、早稲田の集団も、自分のささやかな青春に焼き付けられたなぜか心に残り続けるシーンだ。歌舞伎町にはもう二十年くらいは足を踏み入れていないが、「新宿歌舞伎町」と聞くと、これからもきっとずっと、これらのシーンが思い出されるだろう。

何十年も経ってから、そのときのことを懐かしく思い出して書くなんてことは、当時は思いもしなかった。だがこうして書くことで、そのときの自分や友人、そしてそのときその場ですれ違っただけの無数の人たちと、また同じ場所にいるように感じられる。

こうして書くことで、もしかしたらどこかの誰かとも、似たような景色、ざわめき、匂い、空気、ひきこもごもの気持ちを、共有できるかもしれないという気もしてくる。

今過ごしている毎日の中にも、もしかしたら10年後、20年後に、懐かしく思い出せるようなことの種が、眠っているかもしれない。

今のところそんな種になりそうもない日々が続いているが、まあ、それはそれとして、日々書いたことはこうして残っていく。どこかで、何かのタイミングで、ひょっとしたら、芽を出すかもしれない。



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