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人生の午後、メンタルモデルを軽やかに脱ぎ捨てる

連日、テレビでもスマホでも、ウイルス関連の記事が目に飛び込んできます。困っている誰かのためにできることを、すぐ行動に移すことも大切ですし、どこかの誰かを批判することも、もしかしたら重要な行動なのかもしれません。

ただ、必要以上に心揺れることなく、自分でできる対策をした上で、1日いちにちの「今ここ」を大切に過ごしていきたいものですね。
特に、自宅で過ごす時間が増えるのならば、自分の土台をあらためて見つめるのにちょうどいい時間になりそうです。

さて、昨日の記事で、人生の大部分の時間を、おそらく無意識に何者かになろうとしてきたということを書きました。それに関連して、以前別のブログに書いた記事を、ちょっと手直しして掲載します。

今は高校生となった次男が生まれた頃、30歳を目前にして、ビジネス書を読み始めたり、自己啓発を始めました。そのとき、私がお手本にしていた女性が二人いました。

『だから、あなたも生きぬいて』の著者、大平光代さん。

そしてもう一人が
『朝2時起きで、なんでもできる! 』の著者、枝廣淳子さんです。

当時、この2冊の本がベストセラーで、これらの本を何度も読んでは、私は「何者かになるために頑張らなきゃ!」と思っていました。

小さいときから通訳になりたいとぼんやりと思っていたので高校、大学と英語を専攻したのですが、当時はすっかり勉強から遠ざかってしまっていて、大平さんや枝廣さんのように睡眠時間を削ってでもなんとか英語を勉強しなくちゃ!と、元々の出来が違うのに強迫観念のように思うようになりました。

まだ子供が小さかったので通勤電車の中や、子供をお風呂に入れてもらっているわずかの時間に、TOEICの問題集を解いたり、家事をしながらリスニングやシャドーイングをしたりと、今よりも時間がないはずなのに、ものすごく懸命に勉強をしていたように思います。

それ以来、

・目標に向かってひたむきに努力をすること
・それ以外のことには目を向けないこと

という姿勢が私にとって「あるべき姿」となりました。

ただ、大平さん(弁護士)や枝廣さん(通訳、環境ジャーナリスト)を目標にしてしまっているので、自分がこれをやろう!と立てる目標は、当時の自分からするとはるかにキャパを超えていたため「あるべき姿」でいられることはそう多くなく、「今日もダメな自分だった」と思うことが増えていきました。そしてしばらく頑張ると疲れてしまい、何もやる気がしなくなるといった「燃え尽き感」を味わうことも増えていきました。

理想を高く持つことで、自分はまだまだだと思って努力する原動力になったことは確かですが、最初は純粋に「こんな人になりたい」という単なる憧れだったものが、「そうならなければならない」という強固なメンタルモデルとなり、それができていない自分はダメな人間だと自分を否定し続け、結果として自分を苦しめ続けることになりました。

今もその傾向は抜け切れていませんが、年を重ねて無理がきかなくなってくるとそもそもそんなに頑張れません(笑)

なので最近は、そんな「ひたむきというより、かたくな」でしかいられなかった自分を、「そうすることしかできなかったんだよね、がんばったね」とあたたかいまなざしで見ることができるようになってきました。

そんなときにこの本を手に取りました。買ったまま本棚の奥に眠っていたのですが、本棚の片付けで掘り起こした際に軽い気持ちで読み始めました。

私の人生午前の「あるべき姿」だった枝廣淳子さんに、「そのメンタルモデルはもうゆるめていいんだよ~」とナビゲートしてもらえたようで、すーっと気持ちが楽になりました。

「何者かを目指す生き方じゃなくて、今日の心の満足を目指す生き方をしよう」と思えたのです。

以下、印象に残ったところや覚えておきたいところの抜き書きを残しておきます。

海士町のスピリット
「ないものはない」には、「ないものはない。なくていい」という潔さと、「ないものはないぐらい、幸せのために必要なものはすべてある」という充足感の2つの意味があります。
人生の午後を生きるにあたって、まず大事なことは、これまでは当然のこととして生きてきた、「○○とは、こういうものだ」という無意識の前提に気づいて、ゆるめること。

「○○とは、こういうものだ」という無意識の前提のことを、「メンタルモデル」と呼びます。

意識の有無にかかわらず、メンタルモデルは私たちの行動に大きな影響を与えます。

(振り返ると、自分の人生行路上に、天女の羽衣ならぬ、脱ぎ捨てた「メンタルモデルの抜け殻」がいくつも落ちているのが見えます!)

人生の午前中に役立ったけど人生の午後には不要なメンタルモデルは、「これまでありがとね」と言って、手放しましょう。
「自分の中ではなぜこれがつながっているのだろう?そこにはどういう前提があるのだろう?」と自問してみると、根底にあるメンタルモデルに気づくことがあります。

ステップ1:「そう思っているんだ、私」と、自分で認める
ステップ2:「ところで、それはどれほど通用するものなのだろう?」と自問する
ステップ3:「いつもそうでなくてもいいかも」と思ってみる

大事なポイントは「それまでのメンタルモデルを全否定したり、根こそぎ入れ替えようとしない」こと。

「そうかもしれないけど、そうでない時があってもいいかも~」ぐらいのゆるい感じでゆるめてくださいね。
どんなビジョンも、「現段階ではこう思っています」という”未完成品”です。

「ちょっと難しいかな、無理かもしれないな」くらいのビジョン・目標をめざしている時、たとえ、最終的に到達できなかったとしても、そのプロセスはポジティブな緊張感と達成感を提供してくれることでしょう。

「今ここにない何かに向かっていく」というよりも、「今ここの生き方・あり方そのものを整えていく」結果として、めざすあり方に少しずつ近づいていけたら、と思います。
「今・ここ」を深く生きて初めて、生きる「深さ」が増していきます。
田口佳史先生は、「愉快な人生を送るための鍵は、立腰・克己・慎独だ」とおっしゃっています。
・腸が長い日本人は特に、しっかり腰を立てて下腹を広くし、血液や体液の循環をよくすることが健康と堂々とした姿勢と胆力につながる(立腰)。
・「これぐらい」「今回くらい」と自分を甘やかすことなく、自分に克つ力が、一段高く豊かな幸せにつながる(克己)。
・特に、だれも見ていない独りの時に、「だれも見ていないのだから」とだらけるのではなく、そういう時こそ、だれが見ても恥ずかしくない自分でいることが、自分への信頼と自信につながる(慎独)。
どんなに自分に自信がない人でも、心の満足感を得るためにできることがあります。たった5分でも3分でもいい、どんなに小さいことでもよいので、「私はこれをやる」と決めて、実際にやるのです。3分くらいなら、気の散りやすい人でもできるでしょう。そして、それを繰り返すこと。先ほどの「克己」を意識的に、自分のプチ課題として行い、できたらできた自分を認め、褒めるのです。
「いい人生とはプロセスであって、状態ではない。方向であって、目的地ではない」――カール・ロジャース
自分のメンタルモデルをゆるめること。
人生の午後を生きていく上でめざす新たなビジョンを描くこと。
自分の手持ち時間を自分の役に立つように用い、時間を味方にすること。
いくつになっても自分の成長を願って努力すること。
自分の心や魂を育てること。
人や社会、未来とのつながり方を工夫していくこと。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

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