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ライティング・マラソン完走後の感想

昨日、ライティング・マラソンの2回目を実施した。前回は2人だったので、あと1人か2人増やしてやってみようということで数日前に募集をしたら直前にも関わらず、おひとり申し込んでくれた。

☆ライティング・マラソンとは?
「ライティング・マラソン」とは私が勝手に言い換えて呼んでいるだけで、もともとはナタリー・ゴールドバーグの『書けるひとになる!―― 魂の文章術』という本の中で「作文マラソン」として紹介されているものだ。
やり方は簡単。一定時間書く。時間が来たら自分の書いたものを読み上げる。お互いにそれを聞く。他人の書いた文へのコメントはしない。コメントをしたくなったら次の自分の文章にそれを表す。そうやって書いては読み、読んでは書くを繰り返していく。それをやるとどうなるか? ナタリーは「書きたいことが気軽にどんどん書けるようになる」、「自分を切り開く体験」になるという。


3人になると、単純に流入してくる「他者」が2人のときの倍になる。その分刺激を受ける側面も増えていたように思う。これが4人、5人となると、さらに多面的な影響を受けそうだし、時間を伸ばし、人数も増やしてやるとしたら、またどんな新たな体験ができるか? と期待も膨らむ。まあ焦らずに、楽しみながら味わいながら、徐々にお仲間を増やしていきたい。

さて、改めてやってみての振り返りというか感想というかを思いつくままに。

1)時間という適度な負荷

人数によって書く時間は変えるのだけれど、昨日も10分、20分、30分と少しずつ書く時間を延ばしながら行った。これは短い時間のようだが、結構書けるというのが正直な感想だ。時間制限に加えて、「このあと他の人の前で読み上げる」というじゃっかんの負荷と、「誰かから評価されることはない」という保証(安心)のようなものがよい仕掛けになり、自分の書きたいことを自由に書かせてくれるように思う。

2)オンラインだからこその良さ

ZOOMで行っているのだが、書いている時間が全体のほぼ半分くらいになる。その間は一人の作業なので、ビデオはオフにする(オンのままでも問題ないが)。なので今いる場所で、一人で書くことに集中できる。書く、朗読をする、人の朗読を聞く、最後に自由に話す、というパートがくっきり分かれているので、考えながら話すなど2つ以上のことを同時にしなくていいのが非常に気が楽で、それぞれのことに集中できる。

3)読み上げることの効果

声に出して読んでみると、自分の思いや、自分自身が含まれている部分には自分でもグッとなる。たしかにそうだ、本当にそうだ、という自己確認、自己の再認識のようなことが起こる。さらに書くときに意味だけではなく、音も意識して書くようになっていく。読み上げることで読みにくい文章にはすぐ気づくし、聞いてくれている他者がいるということの影響も大きいだろう。

4)耳で聞くことの効果

他の人が書いたものを、文字では読まない。お互いに朗読を聴き合うのは、時間がかかるだけじゃないかと思われそうだが、文字で読むのとその人の声で聞くのとは、まったく異なる印象を持つ。文字で読むと自分の枠組みで読んでしまいがちだ。だが、声にはその人が乗っかっている。聞いているとその人の声の「調子」から言葉以上の何かを感じるし、文字で読むよりも深く染み入ってくる感じがする。

5)偶然性と必然性

何を書いてもいいことになってはいるが、何も書くことが思い浮かばないときのために、書き始める直前にカードを引いてテーマとなるキーワードを決める。テーマに沿って書いても書かなくてもどちらでもいい。だが、そのキーワードを聞いた瞬間に浮かんでくるものを書くということが案外楽しい。書くことを事前に考えるわけじゃないから負担もないし、「何が出るかな?」というお楽しみ要素もあるし、自分の中の忘れていた記憶の掘り起こしにもなる。

一方で、そのときに出てくる「何か」は、どんなテーマで書き始めても、必然的に出てくるような気もする。今その瞬間、自分が一番取り扱いたいこと、考えたいこと、書いてみたいことがうずうずしながら待っていて、「ねえねえ、聞いて!聞いて!」と声をあげるからだと思う。だから極端な話、テーマじゃなくても「あ で始まる単語でスタート」とか、「こんにちはから始める」、とかでもいいのではないかと思っている。

6)相互作用

人の朗読を聞いていると、心が反応する部分がいくつか(も)ある。だが、聞いているときは聞くことに集中するので、その反応した部分については深く考えない。それがその後に何らかについて書いていると、反応した心が、関連した内容を浮かびあがらせてくるような気がする。これは感覚的なものなので絶対というわけではないが、進むにつれ他の人の書いたものや書き方に影響を受けるような気がする。それはつまり、自分ひとりでは書けない文章が書けるということだ。それも楽しみのひとつである。

7)継続することで見えてくるもの

ここはまだ未知なので単なる期待だが、月に一度でも継続してやっていると、自分の定点観測になるような気がしている。自分の興味の変遷であったり、文章の雰囲気や、遊び心、内省具合の変化が見えたり、逆にいつも現れるパターンのようなものも見えてくるのではないか。まあ、あまり過度に期待せず、実験的な遊びとして楽しんでいければと思っている。

遊ぶように、戯れるように

試験的にやるだけでも、いろんなことを感じ、いろんなことが見えてくる。
今、やってみてたしかに思うのは、「上手に書こうとする自分から離れられる。書いていることが楽しいと思える状態になる」ということだ。伝わる、伝わらない、上手か下手か、などから離れられることの解放感は大きい。

振り返ってみると、私たちは自由に書くということが、驚くほど少なかったのではないか?

子どもの頃、近所を探検して遊んでいたときのような純粋な好奇心と遊び心で、自分の中の自分と戯れる。しかもそれを誰かと一緒にできる。ライティング・マラソンはそんな楽しい遊びだと思っている。


次回は8月11日(月・祝)14:00~17:00の予定です。
他にもいくつか遊び企画を考えていますので、改めてお知らせします。


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