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映画『サン・オブ・ゴッド』に普遍的な人間の姿をみる

歴史や宗教を知らないと、文学作品は読み解けない。
作者は言いたいことを、そのまま文字にして書くわけではない。
何かや誰かを描きながら、そこに本当の意味を忍ばせている。
だから読者が、書かれていないところを読み解いていかなくては、その作品を本当に読んだことにはならない。

「そっかー、私が今まで読んでいたのは、表面のストーリーだけだったのか」とショックを受ける体験を何度かしたことで、昨年からちょっとずつ歴史や宗教を学んでいる。

最近は、ディーパック・チョプラの『ブッダ』を読みつつ、『古事記』や『日本書紀』の解説書に目を通し、キリスト教の映画や本に触れながら、似ているところ、異なるところに、思いを馳せている。


そんななか、日本では2015年1月に公開された映画『サン・オブ・ゴッド』を観た。キリストを演じたディオゴ・モルガドがセクシーすぎると、全米公開時には批判が殺到したという映画。

この映画は主に、新約聖書の内容を映像化している。
聖書は、みなさんご存知と思うが、旧約聖書と新約聖書からなるキリスト教の聖典で、世界一読まれているベストセラー、人類史上最大のベストセラーだ。

観てみると、たしかに、顔も大柄な身体もセクシーなキリストだった!
なによりその表情が、慈愛的なやさしさをすごく表現していた。
父性的な厳しさというよりは、母性的なやさしさ。

イエスが実際に布教活動をしたのは、わずか3年ほど。
それが2,000年の時を経て、世界最大の宗教になった。
その始まりの物語が、この映画では描かれている。


先日の記事で書いたけれど、

遠藤周作は、「聖書は弱虫を描いている」と言っている。

イエスにあれほどつきまとって、先生と共に死にます、なんて言っていた弟子が、最後にローマ兵が来たら、クモの子を散らすように逃げているんです。
そのように裏切りをするような弱虫が強虫になっていった。強虫という言葉はおかしいですが、比喩としてあえて使いますと、弱虫がなぜ強虫になったのかというところが、私にとって聖書のおもしろいところでした。弱い人間を強い人間に変えたXがそこで働いたと考えざるを得なかったのです。

その「弱さ」を「強さ」に変える力とはなんなのか?というのが、今回一番観たかった部分。

これは、映画を観たからといって、なるほど!とはならなくて(私の知識が浅すぎて)、これからも理解を重ねていかなくちゃいけないというお粗末な結論なのだけれど、

この弱虫の弟子たちの姿は、現代の私たちの姿にもそのまま当てはまる。疑い、揺れ、迷い、逃げ、だらけて、自分の利益に走り、外部の力に影響されるという意味で。

そういう人間が、どう変わり、成長していくのか。そこでは何が起こっているのか。これは、キリスト教に限らず、人類が様々な神話や宗教や哲学、そして文学を通して向き合い続けてきた問いの1つだろう。


私は聖書そのものは読んだことない。たぶん洗礼を受けてクリスチャンにならない限り、この先も読まないと思う。聖書の漫画、聖書の解説書などで、どんなことが書かれているのかをざっくりと知っていた程度だ。

今回のように映像で聖書の物語に触れておく意義というのは、(私にとっては)ストーリーがイメージしやすく、記憶に残りやすいということ。それが史実に忠実かどうかではなく、今後さらに理解を進めていくときに、視覚的な補助になってくれるという意味で助けを借りている。

これが現代の物語であれば、映像によって逆にイメージが限定される可能性もあるが、こと歴史に関しては、ほとんど時代や地域の背景がない自分がイメージできるものなんて貧相なものだろう。キリスト教圏のクリエイターたちが社会に何かしらを提示するためにつくった映像の力を借りない手はない。

とはいえ、映画を観て何かに気づいたとか、何かに深く感じ入ったとか、何かの天啓を受けたとかそういうことはなく、「そうか、こういう感じだったのか」と思い、「これは旧約聖書からの流れと、ローマ帝国の侵攻についても知っておかないとなあ」と新たにまた探索範囲を広げることになった。

もともと私は、1回何かを読んだり観たりするだけで、深く学べるタイプではない。繰り返し読んだり観たり、講座に参加したり、ときに自分で実践をして、複数の媒体を通して対象を理解していくタイプなので、今はまだほんの序の口。ぐるーっといろんな側面から理解を深めていこうと思っている。


なので、続けてこの映画のもとになった、HISTORYチャンネル『THE BIBLE~選ばれし者たちの歴史物語~』を2週間の無料期間に見ようと思う。


そして、以前観たのだけど、なんかショッキングな映像だったということしか覚えていないこの映画を今一度。

これは、メル・ギブソン監督の問題作。
今見られる配信サービスがないようなので、レンタル落ちのDVDを注文。


さらに、『沈黙』を監督したスコセッシがキリストの受難をどのように描いたのか、興味があるのでこちらも。

これも、有料で見るなら数百円を追加して買ってしまえと、DVDを購入した。


時代は変わっても、形は変わっても、本質的に人が本来望むこと、陥りやすいこと、苦しんでいることはそんなに変わらないはず。
そして歴史というのは、どの時代においても、その当時の主流を否定するところから、新たな流れが生まれてくるものだ。

原点を知っておくという意味でも、そして今こういう時期だからこそ、そういう「神話」「物語」に触れる意義があるのではないかと思っている。



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