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ソクラティク・ダイアローグ(SD)開催レポート

6月の中旬に2日間かけてソクラティク・ダイアローグ(SD)を行いました。
これまで13回実施してきましたが、14回目にして初の開催レポートです。

※ちなみに、「ネオ」がつくとつかないのとでは何が違うのかというと、海外ではソクラテスの対話篇と区別するために「ネオ・ソクラティク・ダイアローグ」と呼ばれるのが一般的だそうです。日本では書籍のタイトルが「ソクラティク・ダイアローグ」のため、両方の呼び方が混在しているとのことです。

進行役は今回で4回目の堀越耀介さんです。
1日目は10:00~20:00、2日目は10:00~18:00とかなり長丁場ですが、堀越さんの回のSDでは休憩の時間が30分と長く、その時間にリフレッシュすることができるので、そこまで時間が長いとは感じません。参加者は満席の8名で、SD初体験の方が5名、経験者が3名でした。

●ソクラティク・ダイアローグ(SD)とは

SDに入る前に、進行役の堀越さんから日本における哲学対話の動向について解説がありました。日本で哲学対話と一括りに呼ばれてしまっている様々な活動も、それぞれが生まれた時代背景や目的は異なっており、まったく別のものであるということを理解しました。

さらに、そのなかでSDは何を目的に開発され、活用されているかを踏まえて、具体的にどのように進めていくか説明を伺いました。

●今回のSDのルール・進め方を決める

SDでは参加にあたって推奨される態度がありますが、それ以外に、自分たち自身がじっくり哲学や対話をしていくために必要と思われるルールを出し合って決めました。

自分たちでのルール決めは毎回実施していますが、例えばどのように発言をするかという部分をなあなあにするのではなく、しっかりルール化することで、共に対話をつくっていこうという意識やお互いを尊重する意識につながるのではないかと思っています。

実際のところ始まってみるといろいろなことが起こるので、必ずしもルール通りにいくとは限らないのですが、その際にはまた対話を通してルールを再検討するということも行います。

●問い出し

事前に主催者がテーマや問いを決めることもありますが、今回は当日その場で出し合うところから始めました。全部で12個の問いが出された後、なぜそれを考えたいのか背景を聞き合ったり、いったん投票をしてみんなの関心がどのように集まっているかを可視化したりしました。

ここですぐに多数決で決めるわけではなく、今度はその問いになった場合に、実際に自分が体験した例を出せるかどうかを検討しました。SDでは1つの例に基づいて探究を進めていきますが、その1つを選ぶためにはなるべく多くの例が出された方がよいためです。

その結果、一番多く例が出せそうということになった「(人が)受け入れられている」ってどういう状態?という問いに決まりました。

●例出し

続けて、実際に自分が受け入れられている(受け入れられていない)と思った体験を出し合いました。選ばれた例は後ほど詳細に記述をしていくので、いつ、どこで、誰が、誰に、何をして、何を感じた、といったことを具体的に話せるかどうかの確認をしたり、例の提供者は後からたくさん質問を浴びることになるので、話しにくいことがある例などは候補から外したりしました。そのように多数決ではなく話し合いをしながら、問いの答えを探究するための例を決定しました。

● 決定された事例の詳述と、相互の質問による具体化・洗練化

今回選ばれたのは、「転職先の職場で昼休みにコーヒーを淹れてふるまったときに、前の職場と違って受けいられていると感じた」という例でした。

例の提供者の方にまずは時系列に詳細を語っていただき、進行役の堀越さんがクラウド上のファイルに記入していきます。そのファイルをプロジェクターで投影しながら、他の参加者が質問をして細部を確認していきます。そんな風に例を詳述しながら、その例の提供者が何を考え感じ、どのような判断をしたのかをつかんでいきます。今回はだいたいA4一枚を埋めるほど詳細な記述がされました。

詳述のあとは、この後対話をしていく上でポイントとなりそうな箇所に線を引いていきました。人によってどこを重要ととらえるか、同じ例においてもその違いが顕著に見られました。いずれにしても、例の人物が何によって受け入れられたと思ったか、そのポイントになりうるところに線が引かれ、次のパートに移りました。

●対話・発言の定式化

ここからは、重要な論点について意見を交わしながら、全員が合意できる部分を見つけていきます。
まず最初に検討すべき論点を出し合いました。
その後、どの順番で検討していくかを考えて対話をスタートしました。

<主な論点>
◎何が受け入れられたのか?
◎どの程度受け入れられたら、受け入れられたと言えるのか?
 ーー程度なのか、積み重ねなのか、質(感情)なのか?
 ーー受け入れられている状態に、上限はあるか?
  ====私が受け入れられているとき
  ====周り(私)が受け入れているとき
◎アクションの繰り返し=継続によって「受け入れられた」と感じるのか?
◎受け入れられている状態を構成する感情や感覚とは何か?

という点について吟味をしましたが、時間の関係で検討できない論点が残りました。

〇どんな関係性の人に受け入れられたかが受け入れられた状態に影響するのか?
〇受け入れられていないことから、受け入れられたことへの差分が重要なのか?
 ーー過去に否定された体験がないと、受け入れられたという感情は生まれないのか?

上記のなかで必要な論点がすべて網羅されているかどうかはわかりません。ただ、そういった網羅性よりも、問いに答えるために自分たちは少なくとも何を考えなくてはいけないのか?という部分を押さえて対話をしていくと、また新たな論点が見えてきたりします。それこそ探究のおもしろいところです。

●答えの定式化への鍵となる言明

対話のなかで全員が合意できた部分を集めて、問いに対する答えとして何が言えるかを考えました。対話をしながら合意ができた部分と、合意がないまま保留をして次に進んだ部分などを整理しながら、少なくともここまでは言えるよねという部分を改めて定式化していきました。

この段階になってくると、語順や細かな言い回しの調整など、国語の作文のような時間になってきます。SDを初めて経験する人のなかには「そんなのどっちでもいいじゃん」という方がたまにいらっしゃいますが、そもそも哲学は世界を言葉で説明しようとする営みです。1文字違うことで受ける印象や与える意味が変わってくるため、ここはしっかりやっていきます。

●問いに対する答えの定式化

最終的に時間が足りないままでしたが、なんとか以下の文面は全員の合意を得ることができました。

「(人が)受け入れられている」ってどういう状態?

今回の定義では、「受け入れられている」は、「いまここで」人が受け入れられているという意味を示している。「受け入れられている」という状態には、「私が受け入れられていると感じている状態」と「周りが人を受け入れている状態」の二つがあり、今回は前者について検討している。

受け入れられているとは、「私の意図にたいして相手が肯定もしくは共感してくれていると私が思えることで、私が喜びや安心を感じている状態が、私が受け入れられている状態」であると定義できる。

私が受け入れられるためには、私の存在が認知されていることが必要である。そのうえで、以下の場合には、受け入れられていると感じるには至らない。
・否定されていると感じる
・否定的で意図的な無視(シカト)されていると感じる
・無関心だと感じる
・単純な応答がある
・関心があるようなリアクションがあった

一方で、以下の場合には、受け入れられていると感じるに至る。
・意図を肯定されるようなリアクションがあること、もしくは、意図が実現されていることで、自己受容感につながっている。
・積極的に意図を理解しようとする姿勢が他者にあり、そのうえで、意図もしっかりと伝わったということを、私が分かっている。

同じプロセスを経ていない方から見ると、どうってことないとか、まあそうだよねとか、こんなのに2日もかかるの?とか、思われるかもしれません。

また、この答えが最終的な解答というわけでも、普遍的な真理というわけではありません。

これはあくまで、この2日間の終了時点でのある意味暫定的な答えです。それでも参加者が2日間、自らの知性を信頼し導き出した貴重な答えです。

今後、別の例にも当てはまるのかなどと一人ひとりがさらに吟味をし、批判的に考え、いらない部分を削除し、足りない部分を補っていくことでさらに洗練したものになる可能性もあります。

●2日間の感想

SDでは、参加条件としてアンケートへの記入というのを設けています。
一部をご紹介します。

・intellectual safetyが突き詰められた状態というのは、こういう場(=考えを率直に述べてもそれを感情の問題ではなく純粋な意見として受け取ってもらえる、違う時は違うとはっきり言ってもらうことができるので安心して言ってみることができる)なのかということが体感できた気がします。

・哲学対話というと、お互いの思いを出しながら問いを深めていくというイメージがあったのですが、今回参加してみて論理構造を掴み、違和感に敏感になる力が実はかなり大切だという気づきがありました。

・普段の哲学対話は意見交換会になりがちで、それはそれで意味があることなのだと学びましたが、それでも「そもそも」部分がいつも気になっていたので、SDではそれがなく、対話の手続きが明確で寄り道がないことで安心して取り組むことができました。

・対面のNSDはオンラインと比べて共に参加した方々と「探究する仲間」になれた実感が強かったことが印象的でした。休憩時間や昼食をともにすることで打ち解けることもそうですが、身体を同じ空間に置くことが大きく影響したと思いました。

・これまで体験してきた哲学カフェの場では各個人のエピソードに重きが置かれていたのに対して、一つの事例をアンカーにして対話を展開していく手続きに新鮮さを感じた。最初は事例を限定することの意義がうまく理解できず迷ったが、対話が進むにつれ、共通言語としての事例に立ち返ることの意味・意義が理解できて、特に印象に残った。

・「合意する」というゴールが常にあったからこそ、対話の方向性が担保できたことと、この合意するという点については企業内での哲学対話の実践において重要なポイントであることに気づくとともに、これを生かしていきます。

・哲学対話の原点をできたという学びにつながりました。これが全てのベースにあると思いながら哲学対話をしていければと思います。

・相手の考えを正確に理解するために必要なポイントを把握しながら、合意のためになにをすべきかを判断して時間を有効に使うための対局的な視点が不足していることが分かったので、大きな視点を見失わないように対話ができるようになりたいと思いました

●次回以降の予定

次回は7月13日(土)、14日(日)にオンラインで開催します。
キャンセルが出たので【残席1】です。

その他、9月に1Day体験会を実施予定です。


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