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何度でも自分に言い聞かせたい言葉。「想定を保留する」

対話についての金字塔的な本、デヴィッド・ボームの『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ』。

何度読んでも、そのときどきの自分の立場や問題意識に応じて、深い語りかけをしてくれる本です。

本書では多くの主張がされていますが、一つの大きな論点として「想定の保留」という考え方があげられます。

ボームは、「なぜ対話が必要なのか?」という問いに対して、「誰もが異なった想定や意見を持っているからだ」と答えます。

ここでいう想定や意見とは、表面的なものではなく、その人が本当に重要と考えていることです。信念と言い換えられるかもしれません。

人は自分の想定を正当化せずにいられない場合が多く、感情的に相手を攻撃することで、それを守ろうとしがちである。

しかし、

自分の意見に固執していては、対話などできまい。その上、意見を守っていることに自分で気づいていない場合が多い。意図的な行動でない場合がほとんどなのである。

と述べられています。

このことで、以前参加した対話の場での出来事が思い出されました。

同じグループになった初老の男性。毎回発言するたびに、対話のテーマからそれていきます。あの本にこんなことが書いてあった、新聞でだれだれがこんなことを言っていたなどと、「知識を披露する」という感じになっていました。

限られた時間の中で繰り返しそんなことが起こったので、私は話の途中で何度か割って入りました。するとさらにその「知識の披露」がエスカレートして、という悪循環に陥ってしまいました。

結局私は、「話が長いな~」と思いながらも、その場はあきらめて聞き続けるという結果に。

対話のファシリテーターですと名乗っていながら、参加者としてこんな態度では成長がないなと苦笑してしまうエピソードですが、ボームの本で自分が線を引いたところを読み返すと、しっかり答えになりそうなことが書いてあるのです。

想定を持ち出さず、また押さえもせずに、保留状態にすることが求められる。そうした想定を信じるのも信じないのも禁止だし、良いか悪いかの判断をしてもいけない。
求められるのは、対話しているときの思考と、体が表す喜怒哀楽、そして情動との関連性に気づくことである。
敵意であれ、他のどんな感情であれ、自分の反応に気づくことが必要だ。


おそらくその男性はその男性で、何かしらの想定を持って話しておられたはずです。だからこそ他者に話を中断されたことで、余計に固執してしまった。

そして同じように私も、「対話の場ではテーマに集中して話したほうがいい」、「互いに考えをしっかり聴き合うべきだ」などの想定を持ってその場にいたからこそ、話に割って入ったり、話が通じないとあきらめる態度をとってしまった。

「ああ、私は今、男性の態度に対して苛立っている。それは私の想定がそうさせているのだ」

冷静に自分の感情や自分の想定に気づき、保留することができたら、状況はもう少し変わっていたのかもしれません。

こんな風にあとから考えればできそうに思えるものですが、真剣に考えて意見を言うときほど、自分の想定の保留や、相手の想定に耳を傾けることは難しくなりがちです。

だからこそ、いつもそのことを心に留め、対話的態度をとれる人間でありたいとあらためて思った出来事でした。


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本日の投稿は、私が代表をつとめるダイナミクス・オブ・ダイアログのメールマガジンより転載しました。

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