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タクシーの運転手さんのおかげで、助かったあの夜

2年半くらい前、千駄ヶ谷の東京体育館の会議室でワークショップを実施した日のことだ。終了後は、講師や手伝ってくれたスタッフの方と食事を兼ねた懇親会に行くことが多いのだが、その日は(理由は忘れたが)食事には行かず、スーツケースや模造紙の箱などの荷物がたくさんあったので、タクシーをとめて麹町の事務所へ向かった。タクシーに乗った時間は18:50頃。あたりはすでに暗かった。

後部座席に乗り、一息をつきながらスマホを眺めていた。主催者(事務局)というのは、講師とはまた違った角度から全体で何が起こっているかを把握しているので、何もしていなくても(じーっと見守るだけでも)、案外疲れるのだ。一人でぼーっとして興奮している脳を落ち着かせていた。

少しして、運転手さんが突然「うわーっ」と叫んでハンドルを左に大きく切った。後部座席の私はシートベルトをしていなかったので、ガクンと右横に倒れた。ももの上のリュックが宙に浮き、体にドスンとぶつかった。

あまりに急にハンドルを切ったので、どこかにぶつかるんじゃないかと思ったが、急ブレーキが間に合ったのだろう。衝突の衝撃はなかった。運転手さんはすぐ「大丈夫ですか?」と私に声をかけてくれた。「だ、大丈夫…だと思います」と、若干不安なまま返事をした。運転手さんはすぐに車を降りて走り出した。

窓の外を見ると、運転手さんの向かった先に、黒のアルファードかエルグランドのような大きめのバンが、一方通行で三車線ある道路のど真ん中に止まっていた。タクシーはガードレールの手前すれすれに、斜めに止まっていた。

「なにやってんだよ、危ないじゃないか」
運転手さんはかなり怒った声を出している。

「すいません、信号に気づかなかなくて」
黒いバンの運転手は若い男性だ。ペコペコと頭を下げて謝っていた。

首都高から出てきたその黒い車が、赤信号に気づかず右側から飛び出してきたようだ。車がぶつかっていないか、お互いの車両を念入りに確認している。

自分も運転をするから体感覚としてわかるが、タクシーは結構スピードが出ていた。黒いバンも首都高から出てきてすぐなら結構なスピードだったろう。もしお互いそのスピードのままぶつかっていたら大事故になっていたことは間違いない。

さらにタクシーは、三車線の真中の車線を走っていたのだが、もし左側の車線に後ろから車が来ていたら今度はそっちとぶつかっていただろう。日曜の夜で車が少なかったことが幸いした。

結局、車両はぶつからなかったということで警察は呼ばずに、両方の運転手は車に戻った。運転手さんは「すみませんねえ」とか「まったく危ないですよねえ」とかといったことを言いながら、そのまま当初の行き先である事務所に向かった。

私はといえば、とっさに手でどこかを押さえたからか、腕や脇に痛みがあったものの、とにかく大事にならなかったことにほっと胸をなでおろした。

もし、タクシーの運転手さんが、とっさによけられる人じゃなかったら……。もし、ほんの少しタイミングがずれていたら……。もし、後ろから他の車が次々に来ていたら……。

いろんな結果が考えられる。ほんとに一瞬の、ひやっとする出来事だった。座席に落ちていたスマホを拾って持つ手の震えがしばらくおさまらなかった。

結局、ムチ打ちやなんらかの後遺症などがあったらタクシー会社に連絡するということで、領収書をもらって事務所の前でタクシーを降りた。18:50頃に乗車して、降りたのは19:00頃。わずか10分の出来事だ。

翌日、改めてタクシー会社さんのサイトから、特にひどいケガなどはないことと、運転手さんの咄嗟の対応への感謝のメールを送った。

すると丁寧な返信が送られてきた(一部を抜粋)。

当日、輸送を担当致しました乗務員からは会社に帰庫後,営業中に危険な場面での急ブレーキ操作で事故回避とお客様にご迷惑をお掛けした報告がありましたので、会社では人身事故対応の為、ドライブレコーダーのデータも保管して待機しておりました。
この度、本社に送られました大前様のメールを拝見させて頂きまして、大前様自身にお怪我が無かった事に安心致しましたと同時に乗務員に対する暖かいご配慮のご連絡を頂きまして、誠に有り難うございました。
当該乗務員には大前様からのご連絡内容を伝えまして、本人もお客様の安全が確認ができた事とお礼の内容が書かれていた事に非常に喜んでおりました。
当社では今回のような第二当事者事案であっても、お客様の安全性確保が最重要という観点から今後は後部座席のシートベルト着用を機械だけでなく乗務員自身から声掛けさせていき、お客様のさらなる安全性を高めていく所存でございます。


あのときから大分時間がたってすっかり記憶も薄れている。いつも何も考えず当たり前のようにタクシーを利用したり、たまに運転手さんに対して「まったくもう」と思ったりすることもある。

それでも、すんでのところでよけてくれたあの運転手さん(名前はもうわからない)のおかげで、私はこうして今日もここにいる。無事にいられたことは、本当に、本当に、紙一重だったのだと、これを書いた今日も改めて心に刻む。

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