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5分間ライティングを読み返してみて

4年前に、5分間ライティングというのをやっていたことがある。ただ単に5分間、PCに思ったことを打ち込むだけのものだ。いわば「心の声」のメモのようなもの。

だが、最初の3日間で、みごと三日坊主になり、その後再開したのは8月。そこから断続的に書いている。

今日は始めた当初(4年前)の「心の声」を、3日分、読み直してみたいと思う。

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5/14
本当にやりたいことを見つける方法をグーグルで調べた。いくつかの方法についてパッと考えを巡らせた時点で、私は書きたいのだと思った。他のことは後悔しないけど書くことをしなければきっと後悔すると。だけど、だいそれたことはできない。それだけでできない気持ちが増してしまう。ブログさえ続けられないのだから。だから一番できそうなことで効果がありそうなことはやっぱり5分間ライティングだ。これだったら無意識の声も出るかもしれない。そして、私が物語を書くためには、過去のダークな思い出こそが生きてくる。あのドロドロの気持ち、自分を受け入れきれない心の闇のようなものこそ、創作の源になる。だからそういう経験をしてきたんだ。今思い出すと恥ずかしくなるような経験が、文章が、自分の創作の素材になる。だとしたら、それはギフトだし、自分で手に入れたものだし、もともとそうなるように計画していた流れだったのかもしれない。もう年だなあとも思うし、まだまだこれからとも思うし、だけどどうしてもやっておきたかったことっていうのだけは見失いたくない。ことばが私にとっての一番の友達だから、そのことばと残りの人生をどうやって一緒に生きていくか。大それたことじゃなく、今日はどんな一つのレンガを積み重ねるか。それだけできたら他のことできなくてもいいと思おう。おなかの肉がついてたって、顔が肉まんみたいだっていいじゃないか。これをやりきったという思いを感じたいっていうのが、心の奥底からの自分の望みじゃないか。他人はどうだっていいじゃないか。(650字)


5/15
土曜日の大学院のゼミが大分こたえている。自分なりにこだわりのある分野でぜんぜん外れているといわれたことに関して、自分が手抜きをしている自覚もあるから言われることに納得する部分もあったけど、いろいろな経験や知識の中で価値観が大事だということを否定されたようで、そこに納得がいかなかった。価値観が一致していないわけではないのだが、どれだけ話しても話がかみ合わない。1時間たっても納得のいかなさが進歩しなかった。時間がたって、録音を聞き返せば、何を言われていたのかがわかるかもしれないし、自分なりにできていないことをやれば、自分の観点がどのくらいずれていたのかが自覚できるだろうと思う。だからとにかくやっていないことをやって、論理立てて研究の意義を導き出すしかない。たぶん、きっと、そうやって研究って進めるべきだっていうことは正しいと思うから。それにしても、こんなに時間がたっても前に進めていないのは、ほんとう自分自身の大きな傾向だなあと。大きなものほど後回しにする。それで泣きを見るのは自分。とにかくタスクにブレイクダウンして。作業と考えることが必要なことにわけて。1日少しずつでも手をつけることを習慣化して。やれることやってできないのならOKだけど、やれることをやらずにごねるのはやっぱりもう卒業したいよね。なんのために大学院に時間とお金を使ってるかわからないもの。何か1個壁を超える体験をしたいよね。そのために、逃げないために、大学院に行っているんだから。がんばれー私。(532字)


5/16
いついつにやるっていって、約束をやぶったり、すぐにできるメールの返信を先延ばしにしたり、逆にいらっとして、少し偏屈な否定的な返事を出してしまったり。そういう傾向を自覚していながら、いまだにとってしまうことが多い。わかっていることと、できることは異なる。そういう感情がおこるのはしょうがない。だから感情はそのまま受け入れる。今そういう気持ちがおこっているな。今私はそう感じているのだな。と。で、そのあと、ゴールを思い出す。なんのためにこれやってるんだっけ?どうなるといいんだっけ?そこは最初に考えておくといいし、最初に考えてなくても、そのときに考えればいい。そのうえで、じゃあそうなるためにいまどうしたらいいと思う?と自分に意見を求めてあげる。そういうふうにあせらず丁寧に自分に接してあげることができないと、いつまでたっても人に対しての態度は変わらないままだ。先延ばしにしているけど心にひっかかっていることを書き出してみる。いらっとしたときも、それをそのまま書き出してみる。そうするだけでそこに距離ができるから、「どうしたいか」がわかりやすくなるんじゃないかな。それにしても、いつもギリギリな感じとか、いつも遅れている感じとかを抱えている自分からは解放されたい。いつも一足先にそこにいけるようになりたい。それが目的化しないように。あくまでも、ゴール、目的のために、そこによりよくたどり着けるための手段として。自分を「すべき」でおいこまない。そうするととたんに人にそれを押し付けるようになるから。(646字)

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今読み返しても、たいして今の自分の心境と変わっていない気がするのは、あまり成長していないからだろうか。

こうしてみると、PCで入力しながら考えないで書く場合、5分間で書けるのはだいたい500~600字。そのスピードのまま書き続けると、30分で3000字。1時間で6000字。私の場合は、おそらくがんばっても、これ以上の速さでは書けないだろう。

で、そこで問題になるのが、これは文章ではなく、たんなる吐露だということ。こうした吐露を、なんとか文章にするには、どうしたらいいだろうか。

まず、上記の5分×3回分の文章には、いろいろな「種」が落ちていると思うのだ。「種」というのは、文章の素になる「着眼」とか、「テーマ」とか、「方向性」とか、そういうもの。

4年経って、今読み直してみても、「そうそう」「それそれ」「たしかにそう」と同じように思うこともあれば、「いや、それはもっとこう考えたほうがいいんじゃないか」と違う視点で見られるようになっていることもある。

そこで、その「共感の視点」は、自分にとって中長期的に変わらないテーマや価値観ととらえ、違う視点に関しては、変化や成長、ものの見方の幅が広がったことを確認できる情報ととらえる。さらに、自分の新たなテーマも見つかるかもしれない。

そんな風に見ていけば、他の人にとっては文字の羅列にすぎない5分×3回の文章も、だいぶ使い倒せるのではないだろうか。

今日は長くなったのでここまでにして、明日以降、上記の文章を例に、ふりかえってみようと思う(という、得意の先延ばし)。



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