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サンタさんがくれた文房具

クリスマスのプレゼントと言えば、普通の親は(何が普通かはちょっとおいといて)、子どもが欲しそうなものをおもちゃ屋さんなどでこっそり買って家のどこかに隠しておき、クリスマスイブに子どもが寝静まったあと、枕元にそっとそのプレゼントを置くというのが一般的なのではないかと思う。私が親になったあとは毎年そんな感じだった。

でも、わが家(実家)の場合はそれがちょっと違っていた。何歳だったか覚えていないけど、まだサンタさんがいると信じて疑わなかった年齢の頃のこと。クリスマスが近づいてきたある日、父が言った。

「サンタさんが、うちのお店でお前たちの好きなものを買ってくれるっていうから、欲しい物選んでいいよ」と。

「うちのお店」というのは、母が営んでいた文房具店のことだ。わが家は小学校のすぐ近くにあり、母が学用品や文房具を売る小さな商店を営んでいた。最初は純粋な町の文房具屋さんだったが、お店の片隅においた駄菓子がそのうち店内を浸食していき、おそらく多くの子どもたちには駄菓子屋と思われていた。だが、くさっても文房具屋だ。ノートやえんぴつ、消しゴム、シャープペン、缶ペンケース、いろんなものを売っていた。

私は、父が言った話をまったく疑うことなく、「そうかサンタさんは太っ腹だな」と思い、「いくらまでいいのかな?」と上限を母に訊ねながら、お店の中にあるノートや鉛筆や消しゴムを選んだ。

いくら文房具屋とはいえ、わが家ではお店のものを何でも使っていいわけではなくて、お金を出して買う決まりだったので、少なくとも好きなものを買ってもらえるのはうれしいことだった。

そして、クリスマスの朝。目を覚ますと、枕元に包装紙でくるまれた包みが置かれていた。包装紙をバリバリ破くと、自分が選んだ文房具たち。

「サンタさんが夜中に来て、お金を払っていったよ」と父は言う。

大人になった今考えると、お店の在庫処分的な側面とか、新たにおもちゃを買う出費がなくて済むとか、ずいぶんとケチな発想だなあという気がしないでもない。

けれども。
振り返ってみると、あの、文房具を選んでいた時間は、私にとっては楽しい思い出だ。

「サンタさんとお父さんはいつ話したんだろう?どこで話したんだろう?電話かな?」などと、サンタさんと父のつながり具合に思いを馳せていたこととか、小さな店内で真剣に自分が欲しいものを選んだこととか。

こうして書きながら、「あの日のあの場所」を思い浮かべられる程度には覚えている。それ以外のクリスマスの記憶はほとんどないのに。

その、ちょっと変わったクリスマスの記憶は(なんとなく漂うケチ臭も含めて)、間違いなく私を構成しているギフトだなあという気がしている。

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昨日に引き続き、ライティング・マラソンの中で書いた文章です。書く前に「ショートショートnote」とは別のオラクルカードを引いてみました。すると、キーワードが「ギフト、無邪気さ、家の繁栄、予想を手放す」。そのキーワードから連想して思い出された話を30分で書きました。

一緒に取り組んだ有さんも、昨日の文章をUPされています。

書いたものを読み合ったあと、どうしてその発想にいたったのかとか、書いてるときどんな感じだったかというプロセスなどを話せることがまたおもしろいのですよね。次回も楽しみです。


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