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「誰々に似てるって言われませんか?」という”似ている問題”について

ちょっといきなりタイトルに関係ない話から始めるのですが、noteで誰かの記事を読んでいるときに、記事の一番下に「このクリエーターの人気記事」って表示されるじゃないですか。その3つくらいのなかから「次にこのタイトルの文章を読もう」と思って、先にそれまで読んでいた記事に「スキ」を押すと、表示されていた3つのタイトルが他のタイトルに入れ変わってしまい、「え、今読もうと思ってたのに……」ってなったことありませんか?

投稿がまだ少ない人だとトップページから辿れるけど、投稿数が多い人だと読もうと思っていた記事がどこにあるかわかならいし、タイトルも覚えてないしと、結局出会えなくてあきらめちゃうことがよくあります。

ということを何度か繰り返した結果、礼儀正しく押していたスキをせずに、素直に欲求にしたがって「読みたい」と思った記事をクリックすることを優先すればいいんだ!と気づいたこの頃です。


さて。

「誰々に似てるって言われませんか?」について。

これは、私が「よくそう言われる」という話ではなく、「よくそう言ってしまう」という話です。

正式に比較したことはないし、どのように比較したらいいかもわからないけれど、私は誰かに対して「この人、誰々に似ている!」と思うことがたぶんすごく多い。ちゃんとデータをとって検証したわけではないが、自分でなんとなくその頻度は多いと思っている。

たぶん人の顔を見たときに(特に初めてあうときに)、無意識に「誰に似ているか」ということを考えているのだと思う。意識してやっているわけじゃない。「なんか誰かに似てるな……」と自然に浮かんでくるのだ。未知の情報のなかに既知の情報を見出して安心しようとしているのかもしれないし、ただたんにそういう傾向を持つ脳だということかもしれない。

だからかどうか知らないが、まちなかで芸能人に遭遇する率も高い。向こうから来る人が「あの人、〇〇に似ているなあ」と思って見ていたら本人だったということがよくある。

家族で、家でテレビを見ているときも「この人ってさ、〇〇に出てたあの人に似てない?」と言っていることが多い。

そんなとき、

「あ~、わかるわかる」

と言われるとなぜだかうれしい。
「見る目があるね」と承認された気になる。

逆に、

「え~、そお?どこが似てるかわかんない」

と言われるとちょっと悲しい。
ムキになって「ほら、なんかアゴの感じとかがさ」と説得しようとするが、だいたい聞き流される。


仕事がら、研修やワークショップで初めての人と会うことも多い。そういう場でも、似ている!と思う人がいると「誰々に似ているって言われませんか?」と言いたくなってうずうずする。

でも、いきなり言って「言われたことないですね」となるとそこで話が終わってしまうので、ちょっと様子をうかがう。少し打ち解けてきたくらいで「今日ずっと思ってたんですけど、、、」と切り出す。

ちなみに、これまで何度もそんな風に言って「うん、すごい言われる!」とか「たまに言われますね」みたいな「ヒット」だった割合は少ない。2割5分くらい。もう少し打率を上げたいところだ。

で。
こういう「似てるって言われませんか?」の類似トークで、

「私の友達にすごく似てるんです」
「私の知り合いにすごい似ている人がいるんです」
「私の従兄弟にそっくりな人がいるんです」

みたいなのがある。
言われた方が「あ、そ、そうですか」と困っちゃう状況のやつ。

芸能人とか有名人だったら、知っていれば判断できるし、画像検索という手もある。その場に複数の人がいれば似ている似ていない談議もできる。

それが一般の人だとややこしい。
言う方は「すごい似てる!」って思ってるから、言いたくてしょうがない。
言われた方は、なんか巻き込まれ事故に遭遇したような感じになる。「だからなに」状態だ。

年末に参加したインタビューのワークショップでは、同じコテージに泊まっていた5人でそんな話で盛り上がった。5人それぞれが、そこにいるメンバーが自分の知り合いに似ていると言って、スマホで撮った写真をほら似てるでしょと見せ合いっこした。

私も自信満々でfacebookの知り合いの顔写真を「ほら似てるでしょ?!」と見せたのだが、そのときは空振りに終わった。打率をまた下げてしまった。

言われた本人はともかく、まわりの人まで「あまり似てない」と思うと、だいたい微妙な空気になる。「まあ、言わんとしていることはわかるけどね……」とフォローされて余計にさみしくなったりする。今後はもう少し出し方に気をつけねばと思っている。


ただ、おそらく、私がそういう風に「誰かが誰かに似ている」とついつい思ってしまう背景には、「その人と親しくなりたい」というよりも、「違うもののなかに似ている構造や部分を探す」という性質が強いからだ。と、自分では思っている。それはストレングスファインダーでいうと「着想」とか、MBTIでいうと「〇NT〇」などの性質がそうさせているんではないかと。

だから「相似」だけでなく結構いつも「アナロジー」とか「メタファー」とかで考えることも多いんだけど、自分が似ていると思ってそれをそのままいうと「ポカン」、「きょとん」とされる。ここらへんは、伝え方に難ありで、また違う問題か。


ここまで書いてきて、ある疑いが湧いてきた。
それだけ打率が低いということは、私が人の顔を抽象的に見過ぎているのではないか?言い換えると、解像度が低く、細かい部分が見えていなくて、ざっくりとしか人の顔を捉えていない、ということなのか?

自分が世界を見ているようには、他の人は見えていないかもしれない、とは思っているが、じゃあ他の人にどう見えているかまではわからない。そこは今後もう少し意識して、観察してみたい。あと、そもそも、人が人の顔をどのように認知しているか?についても、ちょっと調べてみたい。


ちなみに、私自身が誰に似ていると言われるか?というと、残念ながら(?)そんなに言われない。

これまでに数少ない似てるねと言われた人でいうと、北の国からの純くん(これはうちの次男もすごく似ている)、あとは八代亜紀さん、ピンクレディーのときのケイちゃん。すごく調子のいいときは永作博美さん、稲盛いずみさん(私が言ってるんじゃないの!言われたのっ!)

ここで今の写真を載せると猛抗議が来そうなので、10年くらい前に描いてもらった似顔絵でごまかしておきます。。。


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年を取ってから、しかも太ってからは誰かに似ているとはほぼ言われなくなった。まったく言われないというのも、またちょっとさみしいものである。


関係ないけど、道はとにかくよく聞かれる。
「声かけやすそうな人 選手権」とかがあったら、地方予選の上位くらいにはいくのではないだろうか。出張で名古屋とか博多に行ったときも、まったく土地勘ないのに道を聞かれたことがある。顔が丸いから、アンパンマンと一緒で警戒されにくいのだろう。

だけど悲しいことに、道を説明するのが絶望的に下手だ。
「こういって、ちょっと右にはいって、ずーっとまっすぐ行って、こう行くとあります」みたいに、腕で方向をしめして身振りでなんとか説明するのだが、微妙な表情がその人の顔に浮かぶ。いつも申し訳なく思う。あっ、これも伝え方の問題か。認知と伝え方、両方に難ありなのかも!?



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