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できていたことができなくなる現象

これは4年ほど前にBlog **Evening primrose** に綴った内容なのですが、今もわりと真理だと思っているのでnoteに転載しておこうと思います。

ここからさらに気付きが重なり、もう少し加えたいことがありつつ解像度高めに整理できてきたので、近々それも文章にできたらいいなぁ。

** Evening primrose ** (2018年09月11日) 

これまでと同じようにやっているのに
「できていたことができなくなる」ってありませんか。

私はあります。

練習を繰り返して成長の手応えを感じ「めっちゃいい感じかも!これかも!超楽しい!」と嬉しくなっていたら、何故か急にうまくいかなくなること。

そして、練習量がたりないのかなとこれまで以上に練習を重ねると、さらにどんどんうまくいかなくなること。

私は様々な表現活動でこういう経験を何度もしてきて、そのたびに強烈な恐怖に襲われてジタバタしていました。

そんなときはたいてい、うまくいっていたときのことを思い出して何が違ってしまったんだろうと必死に探して軌道修正を図ろうとしていました。

うまくいっていたことができなくなるのは、すなわち「退化」であると思っていたんですね。

ここ最近の大きな気付きは、この現象はなんちゅうか「インプットの質とアウトプットの質のバランスが崩れている状態」なのではないかということです。

これまで何度かブログやほかの文章媒体でも綴ったことがあるのですが、自分から生まれるものというのは、たとえるならばスポンジに含ませた水のようなものだとおもいます。

ひたひたになっていないものから水は出ません。

インプットされなければ、アウトプットはできないわけです。

てなわけで、その水を絞り出すにはまずはインプットをしないとお話しにならなくて、さらにスポンジから思った通りに水が出るようにするため、水の出方を調整するアウトプットの仕方…すなわち技術が必要になります。

たいていの「練習」って、アウトプットの方法を高めることだとおもいます。

たとえば声の出し方
楽器の演奏の仕方
文章の書き方
…エトセトラ。

そして水を出し続けていくと枯渇するので、日常生活で水を含ませます。
これは個人の日常生活の作業だとおもいます。
表現における「個性」の蓄積的なものでしょうか。

私がおもうに、この両方のバランスがいい状態が「調子がいい」とき。

こんなときにおこる「あれれー、なーんもでてこねーな」状態は、スポンジの水がカラカラになっているサイン。
ネタ切れみたいなものです。
なので適宜水を含ませます。
インプットとアウトプットの「量」を整えるわけですね。
(この状態はけっこうわかりやすい。)

しかしあるとき、同じように「量の調整」をやっているのに「調子が悪い」状態になります。
今までと同じことをやっているのに何故かうまくいかなくなるわけです。

にっちもさっちもいかない状態です。

先述した通り、これまでの私はこの現象が怖くて怖くて仕方ありませんでした。

「できていたことがどんどんできなくなっていく」
「大好きだったものが嫌いになる」
というような、ネガティブ現象のサインのような気がしていたのです。

ところが最近気づいたのは、これはアウトプットの技術に対して、自分の使っている貯蔵タンクの「品質」が限界状態になったという合図みたいなものなのだということでした。

言い換えると、自分の中に吸収するものの「量」ではなくて「次元」を変えるべきタイミングなのではないかと。

これまでの自分の中の常識ではもう足りなくて、水の量が足りないというよりも、ひとつ違う段階の新しい世界ものを取り入れるべきときなんだと。

いうなれば、うまくいっていたことがうまくいかなくなるのは、退化ではなくて「進化」の前兆みたいなものだったんですよね。

この状態のときに不安になったり恐れたりしないで、いったん落ち着いてあらたなインプット作業を続け、再びバランスが整えば、総量がぐーんとのびてまた調子がいい状態になる、と。

日頃から本をたくさん読む人や映画をたくさん観る人はインプットが良質。
だから練習を繰り返してアウトプットの質を上げていけば、ぐんぐん成長していくわけで。

あと「好き」が強ければ、勝手にそのジャンルのインプット作業はしちゃうんですよね。
好きにまさるものはないとはこのこと。

ところがインプットが少ないひとがアウトプットの練習だけ続けていくと、インプット不足で伸び悩んだりバランスを崩したまま辛くなりがち。

「練習をする」という行為は、過程も結果も目に見えてわかりやすいけど、インプット作業って過程が見えづらいし、一見あそんでいるだけみたいにも思えて、けっこうわかりにくかったりするのですよね。

まぁつまりなんだって、バランスなんだよなぁ。
バランス。

そんなことに気付くことができたので、今回のトンネルもとても意義のあるものだったなぁとおもいました。

成長のサインだという気付きがあっただけで、できないときもこんなにポジティブに楽しめるようになるのかってびっくりだった。

人生に無駄な時間なんてない。
楽しまなけりゃね。

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