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ミッドナイトスワン

トランスジェンダーの話ではあるけど、単純に、狂おしいほど誰かを愛し愛されたかったひとりの孤独な人間の話でもある。

凪沙にとって一果は未来そのものであり、希望の象徴に思えたんだろう。凪沙は一果に自分を重ね合わせ、人生詰んでしまった自分の身を削り夢を託した。

凪沙のやったことはバカだし、極端でまちがった愛の表現かもしれない。でも、あまりの切実さに、まちがった愛も、愛なんだと思えた。ただ、そんな風にしか伝えられない凪沙の不器用さと運命が、痛くて悲しかった。
でも、できることなら、よしよし、そんなことしなくていいんだよって、近くにいたら全力で止めてあげたかったなぁ。あのよしよしは、本当は凪沙自身がだれかにして欲しかったことなのだろう。

これがハッピーエンドなのかバッドエンドなのか私にはわからない。どうすればよかったのか、観てから何日もずっと考えている。

役者を除いてストーリーだけをなぞると、真骨頂ではあるけれど、過去の内田作品の雰囲気や作風と大きくは変わらないはず。冷静になってみれば脚本や演出上のアラも矛盾もあちこちにある。女性というものの捉え方など、決定的に自分とは思想が合わない部分もある。(そのあたりはこちらでたっぷり記載)
しかし、スクリーンの中の2人は脚本を大きく超え、命を煌めかせ確かに生きていた。

光と影を演じる2人のバランスが崩れては、この作品は成立しない。一果の存在感と神々しさは目を見張るものがあり、草彅剛という稀有な俳優に臆することなく、服部樹咲さんはこの役をするために生まれてきたのではないかと思うほど、その相棒を互角に務め上げた(しかし、この2人の別のストーリーも見てみたい)。奇跡のようなキャスティングに拍手を送りたくなった。

話が進むにつれ、2人はお互いの存在によって輝きを増す。作品と本人がパラレルになり、人が他者によって生かされる瞬間を見た。この2人でなければこれほどの強烈な化学反応は起きなかっただろう。

この作品が世界に羽ばたいて、忖度なく正当に評価されますように。そして、いつか凪沙の苦しみが「そんな時代もあったね」と言える時がきますように。

https://midnightswan-movie.com/sp/

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