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【読書日記】あきらめません!

おはようございます。
【一生勉強・親子で勉強】でnote書いてるPです。
今日もさっそく書いていきましょう❣️

本日は読書日記です。
タイトル:‎ あきらめません!
著者:垣谷 美雨
出版社 ‏ : ‎ 講談社
発売日 ‏ : ‎ 2022/5/25
単行本 : ‎ 304ページ

Amazonより☟

結婚して三十数年。共働きかつワンオペ育児を卒業し、節約を重ねて住宅ローンも返済完了。定年退職を迎えた霧島郁子がやっと手に入れた夢のセカンドライフは、夫の田舎へ移住したことをきっかけに音を立てて崩れていく。閉鎖的な地域社会、染み付いた男尊女卑――時代遅れな現実を前に打ちのめされる郁子だったが、ある日出会った銀髪の女性議員・市川ミサオの強烈な後押しで、なぜか市議会議員に立候補することに……!? この土地で生まれ育った落合由香も巻き込み、ミサオ(80代)、郁子(60代)、由香(30代)は世代をこえて「私たち」を取り巻く問題に立ち向かう!

あきらめません!

市民図書室でたまたま手に取った本です。
1日で読める人生?家族?小説です。

この本を読んだとて、仕事ですぐに何か役立つわけでなく、人生を大きく左右するようなことも書いてありませんが、要所要所で登場人物たちが心に響く発言をしてくれます。
たとえ、ビジネス書でなくても、こういう小説からも学びはあります。
気になった言葉を書き留めておきます。

あんたはノンビリ暮らしたいと言うけども、そういう性分やないと思う。
達成感を得ることに慣れとる人間は、ノンビリでは満足できんよ。

元来責任感の強い私は、きっと本気で取り組んでしまう。そして、そこでの徒労感、屈辱感・・・もう数えきれないほど経験してきたそれらをまた繰り返すだけだ。
ただ・・・「ノンビリ暮らす」という意味が日々わからなくなっていた。
・・・虚しい。そうだ、私は虚しいのだった。
せめて何でもいいからやり甲斐のあることを見つけたかった。生き甲斐が欲しい。もしかして、死ぬまで働かないと食べていけない人の方が幸せなのではないかとさえ思う。

そもそも誰かに相談しようと思ったことが間違いだった。自分の行く末は自分で決めるしかないのだ。

君子危うきに近寄らず。わざわざ烏合の衆の中に何を好きこのんで飛び込むのか。
だが、
出たい人より出したい人。
選挙というものは、自ら出たいと申し出る人よりも、周りが「是非この人に出てほしい」と推薦する人が立候補するべきなのだと。

どの家も、無理してでも新車を買うのが普通です。軽自動車は嫁はんが乗る二台目の車っちゅうのが常識ですわ。

女も共犯やわ。
家事も育児も介護も一手に引き受けて苦しいのに耐えて耐えて文句も言わん。そんな嫁はんと何十年も暮らしとったら、そら男だって女がやって当然やと思うようになるわな。

男女平等やとか男女差別やとかゆう言葉はご法度やで。オッサンらのほとんどがそういった言葉にアレルギーがあんねん。
「女性が」と言いたいところを「市民が」に変えたり、場合によっては「老人が」だとか「若者が」に変えた方がええねん。
たったそれだけのことで反発がぐっと少のうなるはずやわ。

ロールモデルもないのに人が育つわけないんだよ。とにかく女性を登用することが先決なんだ。それを繰り返すことで女性が育っていく。地位が人を育てるっていうだろ?管理職にしろ役員にしろ、やってみなくちゃわからないことがたくさんあるんだから。まだ磨いていないだけで原石はたくさん転がっているよ。

古今東西、誰しも女の言うことより男の言うことに耳を傾けるもんだわ。ほんやから言いたいことがあったら男の口から言わせるこっちゃ。ターゲットを定めて、男の議員をひとりずつ取り込んでいったらどうやろ。

保育園や老人ホームを充実させたら、ますます女がだめになる。
女には男にない別の使命があると思うんだわ。
両性はそれぞれ別の役割を持っとるんだわ。男女が平等になると互いに不幸になる。

家事の分担について、
自分から犠牲になりに行くな。我慢を重ねて恨みを持つな。

私自身が既に若くないので、「老害」という言葉に反発したい気持ちもあった。その一方で、自戒する気持ちも芽生えた。謙虚に若い人の言葉に耳を傾け、「もしかしたら自分の考えは古いのではないか」と常に思考を巡らせて、「頑固な老人」や「時代遅れの老人」にならないよう気をつけねばならないと。

「男性社会から人間社会へ」と書き、「男女平等」だとか「男尊女卑」などという、男ウケの悪い言葉は徹底して避けた。

たぶん男を怒らせんよう無理して笑顔でおるんやろうけど、そういうのが相手をつけあがらせるんよ。男はバカやから表面しか見ん。女がニコニコしとったら嬉しがっとると単純に思い込む。まさか無理して愛想笑いしとるとは想像もせんのだわ。

介護士と保育士を増やすこと、それには待遇改善が必要です。
数万円アップくらいではダメやろね。最低でも月に十万円は上げたらんと、あんな大変な仕事、やってられんわなあ。

自分がやられて嫌なことは、やり返してはいけませんって、小学生のときに習ったで。

小説は、それなりにキャリアを積んできた郁子が、夫の実家の隣に引っ越してきたところから始まります。
都会で子育て・共働き時代を何十年か過ごし、その後、そこそこ封建的な社会へ60歳を超えての移住。
しかし、そんな社会に郁子が適用できるわけがなく。
それなりに責任感を持って子育て・仕事をし、定年まではかなりの達成感を感じる毎日であったろうと想像できる郁子。
定年後は、都会の狭いマンションでなく、広い庭とキッチンのある一軒家へと夢を見つつ引っ越しを決心する。

しかし、庭いじりは姑と夫の方が上手である。
キッチン・リビングが広く、ティーパーティーは楽しいが、なんか物足りない。
そりゃそうだと思います。
日々、大なり小なり達成感を感じて生きてきた人は、そのような生活では満足できないんです。
何か世間で認められる達成感があってこその、ガーデニングやティーパーティーなんですよ。
そのあたりの郁子の気持ちは、私はよくわかりました。

この小説のように、封建的な社会をたった3年で改革できるとは思いませんが、なかなかのジェットコースター的要素のある小説でした。
私も専業主婦を長く経験しましたが、やはり、仕事のような達成感はあまりありませんでした。
ですので、子どもの中学受験に伴走し、PTA会長なども進んで出来るし、有効的に時間を使いたいと資格取得に励んでみたり。
それらから、何か達成感を求めているんだと思います。
どうしても、「ノンビリ暮らす」って事ができないんですよ。
社会活動に参加したいし、世間に認めてもらわないと、生きている感じがしないんですよ。

小説には、気になった文言がたくさんありました。
私も、自分の凝り固まった意見だけに固執するのではなく、広く周りの言葉に耳を傾けつつ、出来る限り長く仕事が出来ればなと思いました。
また、おばあちゃんになっても何か社会と関われる人生にしておきたいなと思いました。

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