【恋愛】重い愛は生き甲斐になる
雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。
一言
気分が乗らずに溜まっていくドラマの録画が沢山あって苦笑しております。
おもいあい
「重い愛は思い合いだ」なんてどこかの歌詞で似たような表現もありましたが。雪林檎このフレーズにいたく感銘を受けまして。素直に感心してしまったんですよね、「おぉ、すご……」って。
重い愛
雪林檎は、恋愛においても友人関係においても、恐らく「重い」と言われる類の人間です。
そしてそれに関して少し後ろめたさといいますかコンプレックスもありまして。重くて上手くいかなかった友人関係も少しはありました。
近付けば近づくほど「良い」というわけではないのが難しいところだなぁ、なんて思うこともありますね。
思い合い
くさいことを言いますし、正直雪林檎は「愛」ってあまりピンとこないのですが、本当の意味での「愛」は思い合いなんだろうなと思います。
「ピンとこない」というのは、雪林檎は本当の意味で人を愛することはできないんだろうなという意味です。
ここからは雪林檎の、自分に対する考えなのですが、「相手のことを思うこと」が「愛」であるならば、例えば身を引くことが最善の場合にきちんと身を引けることなんでしょう。
そうであるならば、雪林檎はきっと無理です。
だって、やっぱり好きな人の隣にいるのは雪林檎がいいですし、他の人と一緒にいる好きな人を見るのは嫌です。
そう思う反面
でも、相手のために身を引くことが「本当の愛」だというのならば、雪林檎は一生わからなくてもいいと、現段階では思っています。
そして、究極の選択を迫られない限りは、そんなことに悩む必要はないと思いますし、「幸せだ」と思っている人がより多ければそれでいいかなと思います。
生き甲斐
生き甲斐の話でしたね。
やっぱり生きていれば、若くても歳をとっても色々あって、投げ出したくなることも多々あるわけですが。
思ったんですよね、彼氏のC君が一緒にいてくれるなら、投げ出すのはやめようかなって。
もちろん、しんどくてそれが万能薬とはならないこともあるのですが、それでも、些細なことでストッパーになってくれるほどには大切な人の存在は大きいのかもしれないと、そう思うこともあるんです。
そんな人が傍にいてくれる雪林檎は、やっぱり幸せ者だなと思います。
ありがとうございます
今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。
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