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【恋愛】意識することもさせることもあまりないけれど
雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。
一言
お煎餅って止まらないんですよね……。
考えること
普段一緒にいて、「果たして雪林檎は彼氏のC君に何か貢献できているのだろうか」と考えることがあります。一緒にいるメリットがないと、いつか誰かもっと素敵な人に心変わりされてしまうのではないかという不安もあってのことだと思っています。
でも、多分、お互いに、無意識の中で助け合っているんだろうなと思うことがあります。
例えば落ち込んで帰ってきたとき、悲しいことがあったとき、直接何かしてあげられることばかりじゃないです。雪林檎ではどうすることもできなくてもどかしい思いをすることもあります。傍にいれば一層強くもどかしく思うこともあります。
でも、きっと何もできていないわけでもなくて。直接何かをできなくても、できていることはきっとあって。それが「傍で支える」ことの一種になっているんじゃないかとも思うんです。
落ち込むとき
人間誰だって、落ち込むことの一つや二つありますよね。それが雪林檎にだってあります。
そんなとき家に帰って、普段通りのC君がいてくれたら、それだけで有難いことです。上手くいかないことがあったときに傍にある「普段」がどれだけ安心するか、どれだけ大切か。
逆にC君が何か落ち込んでいるとき、雪林檎は自分の無力さを感じます。でも雪林檎が悪いとか能力不足だとかそういうことではないこともわかっていて、それが逆にもどかしいんですよね(苦笑)
悲しいとき
悲しいときも、誰かが傍にいてくれるだけで良かったりしませんか。雪林檎はそういうときもあります。なんだか底知れない不安が襲来したとき、何を聞くわけでも何を話すわけでもなくて、でもお家の同じ空間にC君がいてくれているそれだけで緩和する何かがあります。
話すことなんて何もないことがあるんですよね。襲ってきているのは不毛で漠然とした「何か」であることもあるので。もしくは話す気にすらならないことだってあります。
そんな、エネルギーが枯渇しているときに、「ただ一緒にいてくれること」が本当に有難いです。
それでも
「他人じゃどうすることもできないことが、世の中たしかにある」と思っています。自分で納得するしかない、自分で解決するしかないことのどれだけ多いことか。性格にもよりますが。
他人が介入できない領域って、あるじゃないですか。これも性格によりそうですが。
それでも、一緒にいる意味や一緒にいることによってできていることがたしかにあるんだと思っています。雪林檎がそう思いたいだけかもしれませんが。
一緒にいるだけで緩和される何かがあったり、口に出して人に伝える事で整理されることがあったり。そういう面において、他人の効果ってあると思っています。
一緒にいるためにも、雪林檎のことを上手く使ってくれぃ、と思う常日頃です。雪林檎じゃ役不足なこともあるでしょうけど。
余談:下心という皮を被ったエゴ
上で「雪林檎じゃ役不足なことも……」と書きましたが、本音を吐くと、C君を支えるのは雪林檎でありたい、そうであってほしい、というエゴがあります。
真にその人のことを想うのなら、手段がどうであれいいと思うべきなのかもしれません。でも、C君がそれをできても、雪林檎はそこまでできた人間ではないので。雪林檎はどうしても、C君を助けるのは雪林檎であってほしい、なんて思ってしまうんです(苦笑)
もちろん、それが本心としてあることは事実ですが、暴力的に「雪林檎だけを頼れ!」と言いたいわけではなくてですね。「そうあれ……!」と思う気持ちは本当ですが、結局のところはC君の心身の健康を願っていますよ。それはそれで本当なんですよ。
ありがとうございます
今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。
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