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10年経っても変わらないもの


・TOKYO2020がなくなったこと
・オーストラリアへ行くことを断念せざる得なかったこと
・宇宙ベンチャーで総務業をすると決めたこと
・会社は想像の10倍ベンチャーであったこと
・業務の進め方、自分の立ち位置にたくさん悩んだこと
・社長車事故を起こしてしまったこと
・自分の"幸せ"と向き合ったこと

今日は最初の投稿で経営者を目指す直近7つの要因のうちの1つ、について文字にしてみようと思う。

TOKYO2020がなくなったこと

早速自分の文字に修正を入れるが、TOKYO2020はなくなっていない。"延期"という言葉を使うべきであったと反省。最近実施の有無と、実施した場合の対策・対応について長いこと議論されているように思う。iPleadgeのごみゼロ活動はどうなるのかも気にかかるところだ。

2012年大学1年生の私はごみゼロナビゲーションに出会った。学外で環境に地球に優しくできることをしたかったから。大学3年生の時の20名程のチームリーダーを任された。当時の私は今以上に騒がしく、様々なことに興味関心を持ち、考える、感じる前に、行動しろ!と真直に突き進むことしかできなかった。石橋を叩いて渡る人がいる中、私は橋を渡らず川を全力で泳いで渡るタイプだった。全力少女は人を惹きつけ、チアアップ、コミュニケーション力は長けていたが時として危険人物であった。それは自分でもわかっていたし、みんなもわかっていたので理系ロジカルめがね男子とバディでリーダーを1年間努めた。

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当時立てたグループ目標

【2014年ナビ目標】
・ボランティアと来場者の距離を縮められる環境を作る
・1人1人が役割と思いやりをもち、みんなで創り上げるチーム

当時は意識していなかったが、先日師匠からおすすめされた記事をみてもうすでにその経験をしていることに気がつき自信になった。そしてこれから環境を変えて同じことをしようとしているのだから、少し笑えた。学生の時の自分よりうまくできる気がする。いや、うまくやらなければいけない。会社の責任を全て自分で負うのだから、油断は禁物だ。当時を振返り良かったこと悪かったことを書き出し、偶然と意図したことを正しく理解し自己啓発に繋げよう。



28歳のあゆから18歳のあゆへ

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根拠のない自信に満ち溢れていた18歳のあゆちゃん。なんでもできる気がして、とにかく色んな人と出会って、経験して、充実していたね。これからチームのことで悩むことが出てくるけど、悩む経験をしたことでまた一回り大きくなるよ。そして28歳になって再振返りをしてあげるから、今は何も考えず突き進んでください。自分の可能性を信じて、周囲を巻き込みながら新しいことに挑戦し続ける姿勢はずっと変わっていないんだな〜

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