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台風19号の中、唯一営業中だった「富士そば」について(後編)

こんにちは。hana です。
前回、台風19号の中、唯一営業中だった「富士そば」について(前編)
という記事を書きました。

今回は、予告通り、その続きを書いていきます。

丹道夫氏の苦労した過去が、今の「富士そば」の優しさに繋がっている

台風19号の最中、空腹と戦っていた私にとって本当に救世主だった、「富士そば」。
店員さんの温かい対応への感謝も強まるがあまり、
富士そばの創業者とは一体どんな人だろう?!を調べるに至りました。

富士そばの創業者は、丹 道夫(たん みちお)氏です。

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(出典:http://fujisoba.co.jp/company/president/)


愛知県名古屋市で1935年に生まれ、
生後すぐにお父様が亡くなったのをきっかけに、お母様の実家愛媛県西条市へと移動。
その後、お母様は再婚されましたが、丹道夫氏は義父からひどい扱いを受けており、金銭的な援助も受けられず、大変な苦労人だったようです。
4度の上京を経て、当時業界では初の24時間営業のそば屋を始め、のちの「富士そば」として大成功を収めています。

調べていくと、
アルバイトにもボーナスや退職金を出すことで有名でした。
(そういえば、聞いたことがあったような、、、?!)

しかし、なぜそんなにも手厚い雇い方をしてるのか?
というと、その理由は
「お金をもらってサボる人はいない」と、とてもシンプルでした(参照:https://diamond.jp/articles/-/213445?page=3)。

背景には、彼自身が紆余曲折の人生の中で、
薄給で働いたことも、月給500万円をもらうような生活も両方経験している、ということがあるそうです。

薄給では人は不満が募って仕事をしなくなるし、
お給料だけ高くても、やりがいがなければ何も面白くない。
そんなご自身が身をもって体感されたことが、結果として絶妙な気配りとしてスタッフに行き届くに至っているのでしょう。

また、富士そばはセブンイレブンよりも早く24時間営業を取り入れていますが、その裏にも、丹道夫氏ご自身の苦労話がありました。

まだ彼が上京したてで泊まるお金がなかった頃、時間つぶしでそば屋に入ったそうです。
そこでテレビを見ていたところ、お店のおばあさんに「そろそろ閉めるから出てってちょうだい」と言われてしまいました。
行き場を失った彼は、上野のベンチで夜を明かすことになり、その時の寂しさから、「富士そば」を24時間営業にすることを決めたのだとか。
自社スタッフにも、どんなに長居しているお客さんがいても、「冷たくしちゃダメ」と伝えているそうです。

このストーリーを知って、私の富士そばへの愛はさらに深まりました。
まさに、台風の中、ビショビショで店内を濡らしてしまう可能性があるにも関わらず、「入っていいですよ」と温かく迎えてくれた店員さんが実践していた通りだなと思ったからです。

ご自身の経験されてきたことをもとに、
シンプルに商売の根幹を捉えて実践されている、丹道夫氏。
その懐の深さを感じると共に、
それがしっかりとスタッフにまで伝わっているという、
富士そばの魅力にさらに気付かされるエピソードでした。

実はそば好きではない、富士そばの創業者

次にご紹介するのは、私が意外に思った丹道夫氏の一面です。
「富士そば」を開業するくらいだから、さぞかしそばが好きだったのでは?と思いましたが、なんと「うどん文化の四国出身なこともあり、そこまでそば好きというわけではない」とのこと。

ただ、「東京に出て成功したい」という想いだけを携えて、上京→失敗→上京 を繰り返していたそうです。
唯一のこだわりといえば、「地味でも長く安定した収入が得られる商売を手がけたい」というもの。
これも、意外ではありましたが、合点がいきました。
確かに、好きなことを商売にしたとしても、それで食べていけなければ意味がないですもんね。

前述のアルバイトにボーナスを出す理由もそうですが、
丹道夫氏のシンプルかつ本質をつく考え方には、本当にハッとさせられます。

素人感覚で考えると、「アルバイトにまでボーナスって手厚すぎない?!」と心配になるものです。
しかし、それによりやる気に満ち溢れたスタッフたちが自ら良い仕事をしてくれるのであれば、辞められる心配も減り、スタッフのモチベーションを高めるめに悪戦苦闘することもなくなるのかなと感じました。
実は、一番効率的なやり方なのかもしれません。

作詞家「丹 まさと」という顔も持つ、丹道夫氏

最後に、丹道夫氏の驚きの顔をもう一つ。
実は、作詞家でもあるのです!!!

富士そばに入ったことのある方は、感じたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
「なぜ、演歌が流れているのか?」と。

漏れなく、私も不思議に思っていた1人だったのですが、
なんとこの演歌の中には、丹道夫氏が作詞した曲が含まれているのだとか。

調べてみると、丹道夫氏は、なんと55歳にして作詞学校に入学。
「丹まさと」としてプロデビューし、30曲以上のCDを世に出しているそうです。
富士そばの経営者として仕事をしながらも、55歳にしてこの挑戦・・・。
本当に、尊敬の一言に尽きます。

また、本名では、以下のような本も出版されています。

2冊目の本の金額(25,631円!!)にはかなり驚きましたが、
それだけ価値がある本なのでしょうか。
ぜひ入手して、読んでみたいと思いました。

富士そばの創業者であり、作詞家でもある、丹道夫氏。
最近では、バラエティ番組などに出演することもあるようですが、
直接お会いできる機会があるのであれば、是非ともお会いしてみたいものです。

まとめ

今回は、台風19号の最中、
唯一営業中だった富士そばの魅力と、その創業者である丹道夫氏について、前後編でまとめてみました。

日常のふとした興味から、こうして調べてみると、奥深い事実に気付けるものだと学びました。

ちなみに、後日調べてみたところ、
私と同じように台風19号の中、富士そばに救われた同志がいました。

きっと私と同じように、富士そばの優しさに触れて感動したに違いありません。

今後も、私はあの富士そばに通い続けようと思います。



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