ことば

「女の子の“ほうっておいて”とか、“さみしくない”は、その反対なんだよ」
2人しかいない部室で、先輩は僕に向けてそう言った。
「そんなこと言われたって、理解しろっていう方が無理ですよ。最初からそう言えって話でしょ」
きみはほんとうにロマンのかけらもないねぇ、とそう言いながら笑う顔は、なんというか、とても魅力的だ。
「先輩の笑顔って素敵ですよね。僕、あなたが笑ってるところを見るの好きですよ」
えっ、と呟いて、一回まばたきを挟んだら、先輩の頬は赤く染まっていた。これでもロマンにかけますか、と僕が言うと、
「ほんとうにきみは、そういうのは良くないぞ」
と、より一層の笑顔で先輩はそう言った。

 僕が一年生のときに先輩と出会ってから、実にたくさんのことを話したと思う。そこらの2人が交わす言葉の数よりも、はるかに多くのことを話した自負はある。
 先輩は、会話の中で――僕と話す時だけではなくて、普段からそうなのかもしれないけれど――含みのある表現をよく使った。いわゆる、裏のある言い方や真意を相手に委ねて汲み取らせるような、そんな話し方をする女性だった。その度に僕は、結局何が言いたいんですか、要はこうして欲しいんですよね、などという確認を挟まなければいけなかった。それが苦だったというわけではないけれど、先輩との会話に歪みがあるようで、それを綺麗に合わせていく時間が惜しかった。
 僕は言葉にそれ以上の気持ちを持たせることが嫌いだ。言葉にはその言葉が持つ意味というものがある。それを超越して言葉を扱うことに、昔からひどい抵抗があった。どうして言葉を汚すようなことをするんだろう。より伝わらなくしたって、なんのメリットもないだろう。そんな思いが拭えなかった。
 ただ、先輩はそんな僕の考え方に理解を示してくれてはいた。
「きみの言いたいことだって、わたしにはわかるよ。でも、納得はしてあげない」
 そう言って、“あはは”と“ふふふ”が混ざったような笑い声を響かせた。先輩は、言葉に含みを持たせることを、言葉に服を着せることだと言った。先輩と話すときには、僕はそれに対して理解を示し、けれど納得はしなかった。

 僕が二年生になってから、冬を迎えるかどうかといったところで、先輩との別れは訪れた。特別に悲劇的だとか、かといってハッピーエンドのような別れ方でもない。未成年という立場ではどうすることもできない、家庭の事情というやつだった。親の都合で、僕が引っ越すことになった。ただそれだけだった。このどうすることもできない事実に対して、先輩はただ、急だね、と言った。
「実際はもう少し前から決まってたみたいですよ。僕には直前まで伏せていただけで」
もう、あと数日もすれば僕はここからいなくなる。今日は水曜日だから、今日を入れて三日。僕と先輩がこの部室で会う時間は三日だ。
「寂しくなるね」
ただでさえ人来ないのに、と話す先輩は、いつもの笑顔だった。
「なくならないといいですね。部として認められてるかも怪しいのに」
そんな他愛ない話をして、先輩と僕は残りの時間をこれまでと同じように過ごした。

 最後の一日の、最後の数分。下校を知らせる鐘が鳴ったら、僕らはもう会うことはなくなるだろう。けれど、だからといって僕には、どうしようもない。
「さて、もう時間だね」
そうですね、と僕は返した。
「あんまり長い時間ではなかったけど、いい時間だったよね」
楽しかったですよ、と僕は返した。
もう、別れはすぐそこで僕に手を振っている。もう、話すこともなくなってしまった。僕も先輩も、もう、わかっている。
もう、行かなければ。
「先輩と話す時間、振り返ってみても好きでした」
「そっかそっか。最後になっちゃうし、ちゃんとお別れはしたいな」
そう言いいながら振り返って、先輩は僕の顔を、目を見て、
「さようなら。今までありがとう。元気でね」
そう言った。ちゃんと伝えたから、さみしくない。そう付け加えて。
「ええ。僕も同じです。元気で卒業してくださいね。じゃあ、さようなら」
そう言って、時間にしてみれば、ほんとうに一秒にも満たない間だったと思う。その刹那とさえ呼べない時間の後、先輩は涙を流した。
「はじめて、ちゃんと伝わったね」
そう言って、あの特徴的な笑い声を響かせた。

 ねぇ、私の言いたいこと、わかる?
あのとき、僕が返事をする前に、そう言われた気がした。気の迷いだと振り切って、僕はさよならを返した。
そのあとの、先輩の言葉と涙。僕には、でも、たしかに伝わっていた。返事をした後、僕も同じように泣いていた。先輩と同じ涙を流していた。
 僕は、言葉にそれ以上の意味を持たせることが嫌いだ。伝えたいことがあるなら、はじめからそう伝えればいい。

 さみしくない、わけがない。この時間を終わらせたくない。もっと、もう少しだけ長く、隣にいたかった。



※こちらの文章は、かつて書いていたものに加筆・修正を加えたものです。

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