来春未来展望、一匙の愛情

2022年度後半を一つの言葉で例えるとするなら「激動」の一言に尽きるな、と思う。

8・9・10・11・12月と怒涛のように過ぎ去った鬱期間。何かに突き動かされるように常に動いていないと生きている気がしなくて、でも動けない時もあって、何度も死にそうになりながら日々を過ごしていた。本当に毎日毎日色んなことを考えて、昼と夜の間を駆け抜けながら、闇の中のトンネルに差す一筋の光を思い描き、ようやく進んでいる感覚だった。

そしてここ2023年上半期の1、2、3月の振り返りと、未来展望。
色々考えるに、きっと今後私の人生を3年振り返る本を作るとしたら、本当にこの2023年上半期はかなり重要な章になるのではないかと思っている。
タイトルは、『あまりに濃すぎる恋と人生命題。改革、覚悟。』とでもつけよう。

まず、大学では本格的に院進か就職かを迷う日々だ。精神面が不安定な中、どうにか専門分野に進むことはできるようになった。取り敢えず研究室配属が決まりある程度流れを掴むまでは、就活をしながら院進の勉強をしようと思っているし、いくつか資格取得も目指しているので、かなり忙しい日々になると思う。軽音サークルでは幹部の一員となったので、そっちでも多忙を極めることが予想されるし、PAを任されたので音楽機器の使い方もマスターしなければならない。さらにこの一年で作詞作曲をしようと考えているので知識として音楽理論の勉強や、今蛍草名義でやっている本の読み方を音楽にスライドさせる体系的な音楽の聴き方をしていきたいと思っている。また、12月にライブパフォーマンスに対する技術面の衰えと期待のギャップでつぶれかけたものの、多くの人たちに支えられ、励まされた。そうした経験から、ベースも今後さらに力を入れていきたい。ここ数ヶ月は正直人間関係が夏頃に比べて自分の通っている大学以外の大学軽音とのつながりやライブハウスのスタッフさんなどの影響もあり3倍ぐらい広がっていて、結構楽しく過ごしている。
そして、未だ未定なのでなんとも言えないが、もしかしたら今年の閃光ライオットに応募する可能性があるので、今後さらに技術面でのベースの力を伸ばす必要は必然的に出てくるだろう。

ネットの方で行けば、企画の面がおおよそを占める。SOL生徒と共に編んだ詩集:詩人十色を刊行、そしてその後は本格的にラジオ同人誌の企画や個人誌である安吾写真集の制作に突入した。特にラジオ同人誌は取材の時間や打ち合わせなどのリスケがうまく行かず、ご迷惑をおかけした次第も多々あり、申し訳なく思う場面も多かった。趣味の文学だと、上林暁のご子孫の方にお会いし、ますます知的好奇心が盛り上がりながらも、日々自分の無知を痛感して病んだりもした。
けれど、まだまだ身につけたい知識はたくさんある。まだ安吾写真集の刊行が済んでいないし、今年は二次の方で個人誌を一つ出したいと思っているので、その執筆もある。

そして、恋愛面。ここで本当に様々な心の動きがあった。恋をすると人は変わると言うが、あれはあながち間違いではないのかもしれない。
まず、心の平穏を感じるようになった。そして自分の心の傷をより見つめるようになり、人を愛するために覚悟が必要なことを知った。事情があり時間は限られていたが、それでも一度会う時に100回会う時と変わらない一匙の愛情を注ぐことを意識して過ごした。そして、彼と色んな話をする中で今自分に足りないものがすごく明確化されたし、答えのない答えを追い求めることが、これほど楽しく苦しいことなのだと知った。

彼と触れ合う中で、人との接し方も変わった。いつも心を開けず地雷を踏むと当たり散らしてしまったりする私だが、徐々にかわし方を知り、心を開き過ぎず閉ざし過ぎないその丁度の塩梅を探ることを意識するようになった。そして何より、自分を大切にしないと人を愛することができないことを知った。自分を大事にしないで人を大切にすることは、それはただの執着であることを知った。だから、執着がなくなった時、もう一度彼に会いたいと思っている。というか、会いにいく。


そうして、たくさんのことを知り、考え、触れてきた2022年度後半。
そして、これから待ち受ける2023年4月。

したがって私はこの日々を、どう生きたいだろう?

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私は、2023年4月。
『美しい』生きざまで生きようと思う。

もうウンザリなのだ。
環境で誰かを責めること、卑屈になること、人を下に見ること、誰かを貶すことが。
そんなことに時間を割いてはいられない。私たちの目の前には、多くの情熱があって、多くの感動があって、多くの身につけるべき知識がある。そうした機敏を私は一つ一つ拾っていきたいと思う。もっともっと色んなことを学んで、色んなことを吸収して、色んな人と触れて、色んなことを体験したい。

斜に構えたり、無責任に社会のせいにして糾弾したり、人の悪意に傷つけられたりする時間は、今の私には残されていないのではないか。
そう思う。
そんな時間があるなら、自然に触れ、本を読み、音を奏で、机に向かい、友人と語り合い、自分のために時間を費やしたい。
そうした日々の向こう側で、微笑んでいる姿を彼に見ていて欲しい。そう思っている。

そのために、私は私の道をゆく。
人生とは好きと出会いでできている───
その自分の心のうちに生まれたその言葉を、私は絶望せずに持っていたい。

もしかしたら絶望するかもしれないけれど、
絶望したとしても希望をもう一つ見つけてから、
絶望したいと思うのだ。

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