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甲板にて綴し乗務員日記

夜更けの大時化を越えると、そこは常夏の島国であつた──────


そんな何端何成の某小説の冒頭みたいなことを言うつもりは全くないけれど、私がこの海賊船に乗って連れて行かれた世界は、間違いなく愉快な世界だった。
正確にこの船に乗船し、初めて好きになった時の記憶はあまりない。元々「歌ってみた」というジャンルには、YouTubeで聴いた夏代孝明さんが歌っているBUMP OF CHIKENの「天体観測」の歌ってみた動画をふと聴いた時、とてもかっこいいなと思って飛び込んだ。最初は聞いたことのあるバンド曲(当時は君の名は。やシュガーソングとビターステップなどが非常に売れた時代で、RADやユニゾンが大好きな私は、バンド曲の歌ってみた動画を中心によく聴いていた)から始めて、途中からボーカロイドというものを知り、小学生の間に朧げに聞いていた悪ノ娘や恋愛裁判などを聴き直し、エッッッッめっちゃかっこいいじゃんなんで今までちゃんと聴がなかったんだろ自分……と思ってどハマりした。ニコニコ動画のコメントの意味が最初わからなくて、うぽつやわこつ、8888の意味を一つ一つ丁寧に調べていた。あの頃の自分はとても純粋なオタクだったと思う。

そんな折、ある四人の歌い手をそれぞれ別のルート(正確には、うち二人は好きになったタイミングがややずれただけできっかけは同じである)で好きになった。

一人目は、RADの前前前世の歌ってみたに惹かれ、他の動画を見ると非常にキャッチーな声をしていて、可愛らしいかと思えば、突然男性らしい声を出す。声色はこの人だってわかるのに、その時々に様々な色をつけている、いわば「演技派」という印象を受けた。

二人目は、こちらもRADの前前前世の歌ってみたから。だが前者の彼とは違い、やや低めの彼の声は時折優しく、ただ突如色気を放ったりネタに走る。自分の声に様々な色をつけるのが前者の彼なら、自分の声自体を自由に操る革新的な「演技派」が二人目の彼の印象だった。

三人目は、こちらもRADの前前前世から。彼は他の選曲もバンド曲が多く、ロックが好きなようだった。そんな彼の声は歌い手では優しい吐息と、穏やかな声が独自性を主張する一方で、声真似になると自我を抑えてリスペクトに転じる。前の二人とは違い、彼の声は「憑依型」のように思えた。

四人目は、……ここまできてRADか?と思った方。残念、彼の初めてはボカロ曲だ。曲名は不明瞭、申し訳ない。ただ彼の声は叙情的で自分の魅せ方が分かっていて、自分の声の長所を完全に掴み切っていた。その中で自分を曲に落とし込んでいく。それは正に自己肯定感の上に成り立つ「憑依」に思えた。


それぞれのきっかけで好きになった四人の歌い手。私は、彼らが一緒に活動してはいないものか、とふと思った。だけどそんな夢みたいな話、あるわけがない、とも思っていた。非常に多忙な生活を送っていた私は、まともにネットに触れる時間が少なく、彼ら4人のことをきちんと調べていなかった。

そんな折で1〜2ヶ月が過ぎ、私はあるカルチャーショックを受けることになる。


それが、浦島坂田船「花鳥風月」との出会いだ。

何を隠そう、私が夢想していたそれぞれのきっかけで好きになった4人の歌い手は、少し前からグループ活動で既に4人で活動していた。これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぼう。

これを知った時の私の衝撃、好きな声の4人が合わさった時の高揚感、そしてこの花鳥風月という曲で最大限に生かされる浦島坂田船の良さ。補色同士で掛け合わされるイメージカラーの調和、4人だからこそ生まれるカルテット。箱推しオタクの道を歩み始めるのに、そう時間はかからなかった。

だけど、当時の自分は自分の好きなことを好きだということが怖かった。
今でこそ、自分のレッテルの代わりやアイデンティティとして使用している"趣味"というものだけれど私自身が年齢の割には考え方がいにしえのオタク気質なところがあり、趣味は秘すべきもの、という考えが強かった。それに当時私はいじめにあっていて、人格否定を繰り返されており、まともな精神状態では無かった。こうした経緯が積もりに積もって"好き"の伝え方が全くわからなかったのだ。

しかし、インターネットを始めて、多くのcrew(浦島坂田船のファンの総称)の愛の伝え方を目の当たりにした時、明らかに私の人生は変わった。好きって言ってもいいのか、コメントしてもいいのか。いろんな好きの形に励まされ、私は私なりのオタクの道を自分で作っていこうと思った。

ただ、当時の私は、生きるのが下手くそだった。今でも得意なのかと言われると首を傾げるけれど、当時よりはだいぶマシになった。
まず、人との距離感がわからない、趣味をどこまで話していいか分からない。空気の読み方が下手くそだと言われた日から、テストの点数ひとつ人から聞くのが怖くて、教師に「そんな聞き方では人を傷つける」と何度も言われた。私は成績なんてどうでも良かったので(数字でしか思っていなかったので)自分の点数にクラスメートの点数が下回っていても全く気にしなかったが、聞かれて点数をはっきりと答えた時に周りがドン引きしたり傷ついている姿はダイレクトに自分に響いた。空気を読めないくせに感受性は異常に鋭くて、他人の考えには鈍感なくせに他人の感情は読み取れるというよくわからない性格。周りはなんで上手く生きていけているのか、全くわからなかった。それでも人と接してまともに生きていくにはどうすればいいのか、悩み続けた。自分の心の中に住む反骨精神と、素直でいろという周りの圧力と、素直な人間になりたいという自分の憧れがぐっちゃぐちゃになって、何度も友人たちとぶつかった。母親からあまりに人間関係が下手すぎて、人間関係を学ぶためだけに塾に入れられ、人との付き合いを体当たりで学んでいる日々だった。上手く人間社会に馴染めない自分と、馴染んでいく自分の嫌悪感と安堵を自罰する為に始めてしまったリストカットを辞めたくて、希死念慮と自律神経の失調を胸に抱え、控えめに言って地獄な日々を送った。


だけど、そんな疲弊した日々の唯一の楽しみが、浦島坂田船だった。

無条件で楽しめる環境、無条件で笑える日々は、私にとってとてもありがたかった。
きっとたくさんのファンから言われ慣れている言葉だと思っているけれど、私もあなたたち4人に救われました。ありがとう、そういう気持ちを、私はこれからも私なりに模索したオタクの姿を持ってして4人に示していきたい。


さて、2022年春、私はようやくはじめての春ツに参戦した。(夏ツは過去に参戦済)

死にたがりの中学生は、今年の12月で二十歳を迎える。大人になってもこの船に乗り続けている自分を、あの頃の自分に教えたら、きっと信じられないと笑うけれど。それでいいのだ、と思える私でいたい。

ただはっきり言って、今年の春ツ、数年前の夏ツと比べても治安は良く無かった。6割は厚底やヒールのような盛り髪だったし、歓声こそ無かったものの笑い声は漏れていた。けれど、そう、だけど。

私はここで宣誓する。もし、浦島坂田船の自分以外のすべての乗務員が厚底や盛り髪などの公式ルールの違反をしていたとしても、私は浦島坂田船の航海が終わるその日まで、スニーカーでの参戦を辞めない。ヘアメは絶対しないし、周りが量産型の服を着ていても私だけはレディライク・シックやストリート系などの私らしいファッションしかしないだろう。150cmしか身長はないし、ファンサが一切なくても、私はなんとも思わない。だって、他のどのcrewよりも、私の信念で真っ直ぐに「浦島坂田船」を推している自信しかないから。その事実だけで私は今日も背を真っ直ぐ伸ばして生きていける。


周りに振り回されてオタクを辞めることは、これから先、もう決して有り得ないと信じている。

これからも私は私のやり方で、私の信念で推しを推していく。

そう決意を新たにした、2022年春ツアー愛媛公演であった。


これからも甲板に寝そべって、ジンジャーエールの瓶を開け、のんびりと本を読みながら時折沈みゆく夕闇の景色を眺めて、私は1日1日を数えていくのだ。

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