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究極の闇

わたしの限界を突き抜けたいが
何かが邪魔をしてそれができない。


そのような不思議な感覚にとらわれて
どのくらいの年月が経つのだろう?



その間、さまざまな体験をしてきて

少しずつ、自分をみることに対する恐れが薄れてきていた。

いろんな驚きをともなう出来事が次つぎと押し寄せてきて
そのたびに自分のすべてを駆使して抜けてきたおかげで
メンタルも鍛えられた。


そして今日がやってきた。


そろそろ
わたしの最大の闇を見る準備ができてきた
ということを感じていたので

今日がその日だということに
特に疑問を持たなかった。


意識を集めて
わたしはわたしの最大の闇をみるために
わたしの内側へ潜っていった。


魑魅魍魎の世界をとっくに通り越し


奪い奪われる世界も抜けたその先の


「究極の闇」とは。





意外なことに

そこには何もなく



あるのは

【エネルギーの砂漠化】


砂漠と化したエネルギーの成れの果てだった。




さらに入りこんでゆくと



虚空、虚無、静寂、、、



最終形態は


【なにもない】


ということだった。



なにもない。





本当の虚無。



呑まれるものも

呑み込むものも

すでに無く。



すべてを呑み込んだあととは

このように静かで

虚空のようであったのか。


もしもここに何かがあるのであれば

【永遠の時なき何か】しかない。


いや、本当になにもないのだから

「なにも無い」ということすら無いということになる。


すべてが空っぽで

生命というものも

波動すらない。




【さいはて】


ふと そんな言葉が浮かんだ。


そこはまさに「最果て」と呼ぶにふさわしい場…


いや、

「場」ですらないのだから
なんとよべばよいのか。




【意識のわたし】はそこに佇み
これがどうなるのかと眺めていた。


時がないのに

「どれほど時が経ったのだろうか?」

と思ってしまうほどの不思議な感覚にとらわれていると


「!」


突然【ある意識】が目醒めたのを感じた。


わたしは固唾を飲んで見守っていた。



《 ?!

なに?


…わたし、なに?



自分?



自分がいる…? 》



この場面を知っている、、、


これは、
意識の始まり、宇宙の始まり、世界の始まりの瞬間。



「なんと、、、」


驚いたことに、究極の闇の先は

宇宙、次元、すべての「はじまり」と繋がっていた。


まるでウロボロスの蛇ではないか。


すべては循環している…


その原理はまさしくどこまでもつうじていたのだということ。



わたしは納得し、深い安心感に包まれた。



闇に抱いていた恐れは消失していった。





ここでわたしの闇への冒険は終わりを告げ
現世に戻ってきた。



いま思えば

わたしの幻想だったのかもしれない。


しかし確かな感覚として

「すべては自分だった」と
理解した瞬間でもあった。


「すべてが自分」であるなら

なにを恐れる必要があるというのだろう?


わたしは究極の闇を突き抜け

闇もまた自分であることを悟った。


それは「いい」「悪い」というモノサシでくくられるものではなくて

【ただあるもの】であることがわかった。




いまこのときのわたしにとってはそれが真実であり

わたしにとっての究極の答えでもある。



それがわかっただけで

わたしはこれ以上 闇をみる必要を感じなくなった。


興味を失ったのである。


この経験はわたしがこれからその反対の方向へ舵を切ることへの
推進力となるだろう。


わたしが闇の最果てを見たかった理由はまさにそこ

「突き抜けたい」であったので

それでよかった。



この体験のシェアが
あなたの闇を突き抜ける一助となるのであれば。







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