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soup kitchen

帰る家があって、寝る場所があって、食べるものがあることは、決して当たり前のことではない。令和の日本でも、2009年頃のアメリカ中西部の街でも。

make up(メイク)ではなくて、ugly upをして行くのと言って、普段はおしゃれなアメリカ人の友人が、普段はレストランで働いている別の友人とボランティアに出かけて行った。次は私も行ってみたいですと言って連れて行ってもらった先は、ホームレス状態にある方々のためのシェルターだった。女子学生だった私たちに対して下心を持たれてはたまらないので、わざと寝ぐせも直さず、目やにがついたままのuglyな格好で行くとのこと。

シェルターのキッチンで、お手伝いをした。冷凍庫にあったのは、近所の飲食店等から寄付されてきた調理済の食材(未調理の食材が寄付されてくることもある)。適当に何品かを解凍して混ぜたスープを提供した。闇鍋じゃないんだからと思ったが、同じものを多くの方に届けるには、合理的な方法だったのだろう。

そこまでが強烈な記憶で、何人くらいに提供したかとか、細かいことは覚えていない。日記を兼ねた当時の手帳にもsoup kitchenとしか書いていなかった。ただ、冬には最高気温が氷点下になる地域で、ホームレス状態の方々が寝泊りする場所が公に存在して、食事もあることに感心した。普段、寮の食堂で日本の感覚ではありえない大量の食べ残しを見て、調理済の食材も大量に廃棄されていそうなことを想像していたので、全量ではないにしても寄付する先があることにも安心した。毎日やっている上述の公の施設と、土曜日の昼食だけやっているキリスト教系の施設に、1回ずつだったがボランティアに行った。

帰国して10年以上が経ち、留学経験について何度か話すことはあったが、soup kitchenに触れる機会は無かった。先日、食についての海外経験を質問されたので、改めて調べてみることにした。

当時、訪れた施設がどこだったか、「町名 shelter」、「町名 soup kitchen」でインターネット検索してみて驚いた。10年以上前のことなので、施設の移転や改称があった可能性もあるが、どこの施設だったか住所や名前を見ても思い出せないくらい、多くの施設が自治体のウェブサイトに掲載されていた。

そこで、日本の現状が気になった。スープキッチンは、日本語では、炊き出し?シェルターは?土地勘のあるいくつかの自治体のウェブサイトに、シェルターのような宿泊施設の情報は見当たらなかった。寒冷地ならと思ったが、札幌市にもすぐには見つからない。

昔、年越し派遣村の活動を聞いたことがあるのを思い出した。2008年の年末に一度行われたきりだとわかった。その後、年越し派遣村に関わられた湯浅誠さんたちにより、こども食堂が全国的に広まった。こども食堂なら、自治体のウェブサイトから探すことができるかと思った。外部サイトへのリンクという形式が多かったものの、いくつかの食堂を探すことができた。ただ、月1回ほどの開催となっている食堂が多く、本当に必要な方々に届いているのだろうかと気になった。

住んだことのある自治体のうち一番多様な住人がいるなと感じている大阪市には、毎日行われている大人食堂や、日雇い労働者のための宿泊施設の案内があった。やっとアメリカ水準。その他で、情報量の多いサイトとして、下記のビッグイシュー基金がみつかった。

お正月のごちそうを買い求める人々の姿がテレビで報道される一方、そうならない家庭があるらしいことも知っている。逆に、小売店にしても飲食店にしても、いわゆるフードロスが生じていることも知っている。この矛盾を解決する一案として、2009年に私が出会ったsoup kitchenを紹介したい。

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