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発信が怖い人ほど、きっと。

noteを約1ヶ月やってみて、発信が怖い人ほど発信をしたらいいんだな、
ということが体感としてわかってきたので今日はその話です。


…というあたりでお気づきかと思いますが、
私は発信することがすごく怖かったです。

元々ともだち作るの苦手だし、SNS上だろうと絡み方もよくわからない。
そんな私がアカウント作ってなんになるんだろう。
自分が素敵な人間だとは思えないのに、そんな私が頭の中を公開してなんの意味があるんだろう。
むしろ否定されたらどうしよう。怒られたらどうしよう。
しかもTwitterとか(小説もどき書いてるやつ)、あんな小っ恥ずかしいもの
半顔出しでやるとか死ねる。(別に顔出さなくてもよかったんだけど)

とにかく”怖い”ばっかりでした。


でも、全然怖くなかった。
逆にそれでも絡んでくれる人なんて、「いいね」をくださる方だけ。


怖がってばかりいた私が発信をして気づいたことは
「世界って、そんなに怖くない」。

自分が思っているより世界を怖がっていたことも
それが解消されていくことも
むしろ、それによって「自分の生きる世界を信頼できることになる」
ことも、発信してみて初めてわかったことでした。

大人、だからだとも思います。
学生さんのコミュニティって、また別な気がしているので
それはそれで、いろいろ検討すべき点もあるでしょう。

でも、全然こわくなかった。
だから発信こわい、っていう方がいたら
大丈夫、こわくないよ、こわくないって、知ることができるよ。
そんなふうに伝えたいです。



最後に…「書く」という発信に関して、になりますが
佐藤友美さんの、「書く仕事がしたい」という本。
素敵なフレーズがあったので、ここに残しておこうと思います。


それは
”書くことは本質的にどえらく恥ずかしいことですよ”
というもの。

どうしてこの本が目にとまったのかも、買ったのかも覚えていないし
読んだのも、買ってから数ヶ月経ったあとでした。

でも、そっか、書くことって恥ずかしいんだ。
恥ずかしくても、いいんだ。
仕事にしている人ですら、そう思うんだ…

それから、発信(書くこと)に対して、すごく肩の力が抜けました。

だけど多分、書くことだけじゃなくて、絵だって音楽だって、歌でも踊りも…表現することって、全部きっと、一緒だよね。


私はこれからもっと、自分を晒して恥ずかしく思いながら
発信を続けていこうと思います。

本当は発信したいけど、怖い…っていう方、
一緒に恥ずかしさに悶えながら発信しませんか。笑


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