世界に育てられている。
うーん既視感のあるタイトル。
それはさておき、2ヶ月もお休みしてしまった!
いや〜、いろんなことがありました。
マッチングアプリで出会った人に約束すっぽかされたり、
職場で人間関係のあれやこれやが勃発したり、
思い切って投資を始めてみたり、
10年会っていなかった知り合いに突然連絡して会ってもらってみたり。
その瞬間瞬間はいろいろ気持ちがアップダウンしたけれど、喉元すぎればなんとやら……いろいろ越えたじゃん、なかなか濃い上半期になったぜ、って感じ。
気持ちのアップダウンなんて、しんどいだけです。
だけど、アップダウンがある時って必ず、そこには学びがある。
この半年で、私はずいぶん周りの人にいい影響や学びをもらいました。
どんなできごとにも学びはあって、全部が自分の成長の糧になるもの。
私はずっと自分のことが嫌いだったし、受け入れられなかったし、自分の内面だって本当は直視したくなかった。
両親とも決してうまく関係が築けてきた人生ではなかったし、心のどこかでは「どうして愛してくれないの」って30こえても未だに思っていたし、恋愛だってそうやって相手に求めてばかりだった。
だけど、そんなふうに大人になってしまった私を、周りの人が育ててくれている。いや育ててるつもりはないだろうけど。
いろんな学びや気づきをもらって……私は家族仲には恵まれなかったけど、この世界全体に育てられてるなって本当に思うし、ありがたいなって思うし、そう思えてきたらずっと苦しかったこの世界が、嫌だった自分が、そうでもなくなってきています。
……ってなってきたら、ずっと親に対して持っていたわだかまりも、また一歩、どうでもよくなったの。
育て方もさることながら、もう根本的に性格が合わないのだけれど、もう、どうでもいい。いい意味で、どうでもいい。
そこの関係がどうであっても、私はこの私で、この優しい世界を生きていく。
「生まれてきてよかった!」まではまだ正直思えてないけど、生きていこうって前向きに思ってるよ。もう、どうして子供なんかつくったの、なんて思ってないよ。その理由がどうであれ、私はこの私で生きていく。
ま、人生いろいろあるから。またメソメソしたくなる日だってくるかもしれないけど、一進一退、のんびり歩いていこう。
このnoteのヘッダー画像は「それでも、愛したい」です。
「それでも」なんてつけなくても、もう、まっすぐ愛していきたいな、この世界を。
なんかそれが恩返しのような気もする。なんとなく。
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