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先輩に触発されて美しい30代女性を目指したいと思った話

とある先輩の結婚式にお呼ばれした。
会場で、会社を辞められた30代半ばの女性の先輩方複数人と久しぶりにお会いして、あまりに変わらぬ美貌ぶりに感動した。

その先輩方は、私の会社が「顔採用では?」と噂されるぐらい美女揃いだった時期に入社されていて、お顔立ちが客観的に見て整っている方々ではあるのだが、生まれついた目の大きさや骨格等以上に、20代の頃以上に品が増してオーラあふれる様子に感動した。外見的にも、30代半ばになられてもおばさんっぽさが全くなく、顔だちもシュッと余分な肉のない垢抜けた様子を維持されている。「すごい、これが美人の真骨頂か、、」と半ば圧倒される想いだった。

そしてお式の最中、そんな美しくて気品ある先輩方が屈託なく目じりにシワを寄せて口を開けて笑っている様子は、もはや神々しさまで感じる。いや大袈裟ではない。本当に、美の化身のような様子でいらっしゃった。同時に神々しすぎて、横には並べない…と思ってしまう自分がいた。

私が先輩方の年齢になるまではあと2〜3年だが、その時にあんなに美しい女性でいられるだろうか?思わず自分を振り返ってしまう。
ちなみに振り返ってみると私はこの数年で+5キロほど増量し、髪の一部に白髪がはじまり、顔や脚のむくみは慢性化、夏の始まり時点ですでに腕と顔がこんがり日焼けしている。昔からよく言えば優等生っぽい外見、率直に言えば垢抜けてはいない印象がコンプレックスなのは変わらず。痩せにくくなった体に、絶賛30代を感じているところだった。
このままでは、おばちゃん体型まっしぐらでは…?

人生を30年近くやっていると、否が応でも悟らざるを得ないことがある。
それは、自分はある日突然変わったりはしない、ということ。

先輩方と同じ年齢になった時、私が自動的にその美しさを手に入れられるなんてことは天地がひっくり返っても起こらない。そこに至るには、そこに至るまでの積み上げが必要なのだ。

自分を甘やかして好きなものを好きなだけ食べる私、
毎晩のようにコンタクトも外さず化粧も落とさず寝落ちする私、
運動しなきゃと言いながら全く行動しない私、
忙しさを理由に化粧もそこそこに適当な服で出勤する私、
深夜に冷凍チャーハンをチンして食べている私、
そういった私がこの後も2−3年続けば、2−3年後の私はそれ相応の中年女性だろう。

先輩方からは、元来の美しい造形のみならず、そういった自堕落な生活や美しさへの妥協を全く感じなかった。顔立ちが彼女たちほど美しいわけではない私が、30代半ばであのようになりたければ、それに向けた積み上げをしなくてはならない。

30代にもなって今更恥ずかしい言い方かもしれないが、本気で「垢抜け」したいと思った。どこか芋くさい自分を本気で変えてみる努力を今しなければ、私はきっとあんなに美しい30代を過ごすことはできないだろう。
どうせ人生を生きるなら、健康的な美しい体・心で生きたい。
外見に自信を持って、美しさに対して臆することなく並べる自分でいたい。

決してネガティブなルッキズムではなく、心身を豊かに過ごすための外見磨き、と自分では捉えている。「仕事が忙しい」「そろそろ妊活も考えている」など、自分磨きを後回しにする理由はいくらでも思いつく。でも、そうやって後回しせずに人生を積み上げることこそが、あの先輩方のような、気品に溢れた30代の女性を生み出すのだと思った。

そんなこんなで、ちょっと頑張ってみようかなと思うのです。30代で年甲斐もないけれど、綺麗な30代overを過ごすための垢抜け、自分磨き。



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