メトロポリタン美術館展備忘録
何か面白いことを言おうと思ったけれど面倒臭いので単刀直入に本題に入ろうと思う。先週、大阪市立美術館で開催中の『メトロポリタン美術館展――西洋絵画の500年』へ行ってきた。感想を一言で言えば、ヤッターーーー!!!! という感じだ。関係者のすべての皆様にありがとうございますと頭を下げて回りたい。それはできないので皆様に何かいいことがあればいいと願う。
ちなみに、ここ二年程美術館から遠ざかりかけていた私がこの展覧会を知るきっかけになったのはBTSのRMさんがメトロポリタン美術館で行ったスピーチだ。あのスピーチのあと、私のTwitterのTLにさっそうと流れてきたのがこのメトロポリタン美術館展の告知だったわけである。ありがとうRMさん。
閑話休題。
展覧会の内容は、総合美術館であるメトロポリタン美術館の所蔵品の中から西洋絵画に的をしぼって65点を紹介するというものだ。よくあるルネサンス展だとか印象派展と違い、「西洋絵画」と幅を持たせた展示はまさしく五百年の歴史を網羅する内容となっている。
名だたる巨匠の作品が並ぶさまはまさに先日まで公演していた宝塚OG公演『Greatest Moment』と言っていい。もはや『タカラヅカスペシャル』の域を超えている。ぴんと来ない方向けに言うと『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』といったところだろうか。しかしロッキンは一年に一回開催されるのだからレア度から言うとやはりGreatest Momentと言うのが適切だろう。ちなみに私はGreatest Momentの13日配信分を見ようと思っていたのにミートグラタンを作っている間にすっぽかした。向こう一カ月は引きずる。
再び閑話休題。
ともかく、この展覧会がすごいのだ。西洋絵画に少しでも興味があるなら行ったほうがいい。私は大学で西洋美術史をかじっただけの人間だけれど、なんとしても西洋絵画史をすべてカバーしてやるという気概に息を飲んだ。
強いて言うと新古典主義・ロマン主義が弱いようにも感じるが、それは解説文で補足するという充実っぷり。そう、章始まりの解説文もちゃんと読んだほうがいい。短い中によくぞここまで……! と美術史が詰め込まれている。
以下、この楽しさを忘れたくないので備忘録がわりにつらつら感想を述べてみる。
一章 信仰とルネサンス
フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》1420-23年頃、テンペラ/金地、板
えっ、フラ・アンジェリコがあるじゃん。勝ったな。
展示室に入って数分後には勝利を確信できる展覧会、それがメトロポリタン美術館展。
ルネサンス期以前の宗教的表現と、ルネサンス的な写実・遠近表現。そのふたつが溶け合ったフラ・アンジェリコの作品はそれ一枚で歴史の変遷を物語っている。美術史の教科書で見るような作品だ。ていうか見たことある気がする。
正直この時点で美術史ファンはときめきが止まらない。なんて楽しい展覧会なんだ。
ラファエロ・サンツィオ《ゲッセマネの祈り》1504頃、油彩/板
少し進んで、やたら優しい絵があると思ったらラファエロだ。ラファエロの描く絵には、特に初期にはあたたかな人間味とえも言われぬ優しさがあると思う。
この絵の主題はゲッセマネの祈り。キリストの死の直前の場面だ。寂しく、切実な画面の中にもどこか優しさが漂っている。これで22だか3歳だかの作品だと言うから天才はおそろしい。
エル・グレコ《羊飼いの礼拝》1605-10年頃、油彩/カンヴァス
明らかに異様な作品に出会う。見間違えようもない、マニエリスムの代表的な画家、エル・グレコだ。
羊飼いの礼拝。細長く引き伸ばされた肉体表現は今作では控えめだが、独特の明暗表現はやはり類を見ない。荒々しい絵の具の筆触といい、ルネサンス期ともバロック期とも異なる独特なスタイルは展示室の中でもひときわ目立つ。好きとは言えないが、どうしても惹きつけられる画家の一人だ。
個人的には細長く引き伸ばされた肉体というより画面左下の羊飼いの足が画面に納めるために極端に短く描写されていることのほうが気になった。そういうのもアリなんだ?
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》1550年代、油彩/カンヴァス
え? ティツィアーノ、絵が上手いな……。こんな絵上手いんだ? 知らなかったな……。
主題はヴィーナスとアドニス。アドニスと言えばギリシア神話においては少年だけれど、絵画では青年として描かれる。しかしティツィアーノのアドニスは精悍でありながらもどこかに少年らしさを感じさせる。画面全体の構成もうますぎる。絵、うま……。
二章 絶対主義と啓蒙主義の時代
グイド・カニャッチ《クレオパトラの死》1645-55年頃、油彩/カンヴァス
美しい女性のセミ・ヌードを見つける。悲愴な瞳の表情、赤く染まった頬、さらけ出された胸の陶器のような白さ。なまめかしさと上品さが溶け合い、見る者の視線を惹きつけている。
グイド・カニャッチの『クレオパトラの死』だ。初めて見る画家だったけれど、強く印象に刻まれた。知らない画家の好きな作品を見つけると嬉しくなる。
ペーテル・パウル・ルーベンス《聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者ヨハネ》1630年代初頭/中頃、油彩/カンヴァス
ひときわ大きなカンバスに描かれた聖家族。ルーベンスだ。彼特有の光輝く、鮮やかな画面。ドラマチックなのにどこかにあたたかみを感じさせる優しい筆触。見ていると穏やかな気持ちになる。
ルーベンスの作品を見るたびに絵が上手いな~と言ってしまうのだが今回も言ってしまった。絵が上手いんだよな、ルーベンス。東京五輪のスケートボード・ストリートで解説の瀬尻さんが堀米選手に「彼、スケボ上手いですね」と言った気持ちがよくわかる。上手いのなんかわかってるわと言われても言いたくなるんだよな、だって上手いんだもん。
サルヴァトール・ローザ《自画像》1647年頃、油彩/カンヴァス
サルヴァトール・ローザの自画像。これも初めて見る画家だったけれど、あるいはどこかで見ているのを失念しているのかもしれないけれど、ともかく気に入った。知性を感じさせる絵。深い洞察と知識の宿った画面は印象深い。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《聖母子》おそらく1670年代、油彩/カンヴァス
ムリーリョの聖母子があるじゃん! ヤッター!
ムリーリョは去年のナショナルギャラリー展で初めて知った画家だ。そのときショタへの妄執的なこだわりが垣間見えて、かなり気に入ったのだった。今回はショタではなく乳児だけれど、やはりムリーリョのこだわりは健在だ。
特にイエスのぎょろりと大きい目が印象的だ。わかる。赤ちゃんって目が宇宙人みたいにでかくて可愛くないんだよな。わかる。と無限にわかってしまう。やはりムリーリョは信頼できる画家だ。
二コラ・プッサン《足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ》1655年、油彩/カンヴァス
プッサンの『足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ』。プッサンと言えばセザンヌが「プッサンを再構成している」と言ったことでも知られる画家だ。実は生ではあまり見る機会がなく、大変興味深かった。色彩にあふれた画面は展示室内でも目を引き、私の隣の来館者も「色がきれいだね」「他の絵が暗いから目立つ」と会話していた。
安定した画面構成は重厚感があり、まさに古典主義だ。明暗の表現はほとんどなく、通常のバロック期作品とは明らかに一線を画す作風。プッサンの他の作品と比べても、セザンヌへ与えた影響が強く見えるのではないだろうか。
ピーテル・デ・ホーホ《女主人への支払い》1670年頃、油彩/カンヴァス
面白かったのはピーテル・デ・ホーホの『女主人への支払い』。人物表現が見事で、画面から会話が聞こえてくるようだった。
ジャン=バティスト・グルーズ《割れた卵》1756年、油彩/カンヴァス
そしてヅカオタは立ちどまる。待って。グルーズがある……。
グルーズと言えば、シャーロック・ホームズシリーズでモリアーティ教授が収集しているとされるフランスの画家だ。そして今年公演されていた宝塚歌劇団宙組公演『シャーロック・ホームズ』ではその情報が誇張され、モリアーティ教授はグロテスクなグルーズの収集家として描写されていた。
要するにヅカオタにとっていまやグルーズはモリアーティを、そして彼を演じた芹香斗亜さんを想起させるアイテムなのだ。聞いてない、グルーズが来てるなんて。驚いた私は「グルーズ」と小声で叫んだ。たぶん誰にも聞こえていない声量なので許されたい。主題は少女の純潔の喪失。それを割れた卵に託して描いている。ヤダ、モリアーティが好きそうな主題じゃん……。
グルーズはロココ期のフランス人画家にめずらしく、民衆の風俗を描いた画家らしい。しかしその繊細さはロココの特徴を覗かせる。ていうか絵がうまくない? 絵がうまいな……。卵を割ってしまった男、割られた女、卵を元に戻そうと虚しく奮闘する少年。それぞれの登場人物の表情は印象的で、どこか謎めいてもいる。この画家、日本人に受けるんじゃないだろうか。もっと日本に来てほしい……。
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン《ラ・シャトル伯爵夫人》1789年、油彩/カンヴァス
美しい、どこか影のある女性の肖像画に出会う。『ラ・シャトル伯爵夫人』。作者はエリザベート・ヴィジェ・ル・ブラン。女性画家だ。アントワネットの肖像画を多く手がけたことで知られている。
この肖像画は、既婚者である伯爵夫人がかつての恋人に贈った肖像画らしい。なるほど、女性のこの心の機微を理解してあまさずカンバスの上に再現できるのは女性しかいないだろう。ル・ブランがアントワネットに重宝された理由がよくわかる。
三章 革命と人々のための芸術
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》1835年頃、油彩/カンヴァス
ターナーの作品がある!
ターナーと言えば大気と光を描き出した画家だ。印象派の先駆けとも言われる画風は明るく、青と白が効果的に使われている。光に満ちた運河の風景の中、ヴェネツィアの湿った空気が伝わってくる作品はまさにターナー的とでも言おうか。
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《ホセ・コスタ・イ・ボネルス、通称ペピート》1810年頃、油彩/カンヴァス
ゴヤの描いた肖像画も印象的だ。ゴヤは近年「怖い絵」のヒットによって「黒い絵」の印象で語られることも多いが、もとは宮廷画家として肖像画を多く描いた画家だ。その鋭い洞察力と、人間味あふれるいきいきとした表現力はほかの誰にもまねできない見事さがある。
隣に並べられているのはマネの描いた肖像画。構図からスペイン絵画の印象が強く見て取れるが、この配置の仕方ではゴヤを引き立てる舞台装置になっているようにも思われる。そのくらいゴヤは圧倒的だ。
オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》1889年、油彩/カンヴァス
シスレーにもドガにも言及したいけれど、目を引いたのはルノワール。『ヒナギクを持つ少女』は、一度古典主義に立ち返ったルノワールが再び印象派的な手法を用いるようになった時期の作品らしい。たしかに丁寧に塗り重ねられた肌の描写には古典主義の影響も感じられるが、色の使い方には印象派の手法が見て取れる。
オーギュスト・ルノワール《海辺にて》1883年、油彩/カンヴァス
横に並ぶ『海辺にて』はもっとわかりやすい。女性の顔は古典主義的な描写がされているが、スカートに見える素早いストロークは顕著に印象派の特徴を映し出している。
最後に私が言及しなければならないのはモネの『睡蓮』だ。
残念ながらダウンロードすることはできなかったが、メトロポリタン美術館展の公式ホームページにも掲載されているのでそこから見ることはできる。
クロード・モネ。印象派を代表する画家であり、写実を突き詰めた結果抽象芸術への基礎を築くことになった芸術家。今回来日している睡蓮は、彼が視力の低下に悩まされながら描きとった一枚。荒いストロークに暗い色彩。物体の輪郭はなく、睡蓮と水面に映りこむ風景とが溶け合い、一見何を描いているのかはわかりにくい。
けれど私はこの時期のモネも好きだ。画面から遠ざかって、ぼんやりと全体を眺めているうちに、モネが見ていたであろう景色がそのまま眼前によみがえるから。
印象派は、ことにモネは、光を描き出す。物体ではない。光の粒そのものだ。だからモネの絵は写真より写実的だ。それは晩年になっても変わらない。この作品も、モネらしい写実性と抽象性に満ちている。
これは絶対に、生で見なければわからない感覚だ。目の前の、何の意味もなさないような色の連なりがひとつひとつ踊って、ある風景を作りだす瞬間。この瞬間が忘れられなくて、私はモネを愛好し続けている。
書ききれなかったけれど、ホルバインもベラスケスもレンブラントも絵が上手いし、カラヴァッジョとフェルメールは謎めいているし、ブーシェとフラゴナールはかわいいし、ポスト印象派なんてセザンヌ、ゴッホ、ゴーガンとそろい踏みだし、とにかく楽しい。西洋絵画に少しでも興味のある人は可能な限り行ったほうがいい。
絶対に行ったほうがいいと言えないのがつらいところだ。巡回は大阪と東京だけで、このご時世遠征はためらわれるという人も多くいるだろう。
そんな方にはメトロポリタン美術館の公式サイトが強い味方になってくれる。美術館所蔵の406,000点が閲覧可能なうえに、パブリックドメインでダウンロードも可能。私が今回ここに掲載した画像も、すべてこのサイトから拝借している。
でもできたらやっぱり生で見てほしい。生で見る絵画は感じ方がまるで違う。サイズ感からくる迫力も、生々しい筆触も明暗の表現も、すべて生でなければ体感できない。
行ける人は是非、行ってみて下さい。
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