僕は、コロナ鬱になった【現状分析と今後】

はじめまして。「数輪の花」へようこそ。当ブログは日々の雑感を徒然なるままに記していきます。今回は初投稿にしていきなりセンシティブな内容なのですが、最後まで読んでくださるとうれしいです。また、記事を読んだ感想など率直にコメントに書いていただけるとうれしいです。

0.はじめに

4~6月の約3か月もの間、自粛生活を余儀なくされ、友達と会うことも、街へショッピングに出かけることも難しかった。
大学はその間休校となり、今は本来は実習が行われる期間であるためオンライン授業もなく、実質春休みが3か月延長という形になった。
そして、その殆どの時間を家でゲームやらYouTubeやらの娯楽に費やした。
程なくして、そんな体たらくな生活に嫌気が差すようになったのか、自粛期間の孤独感も手伝って、どんよりとした鬱々とした感情が自分を支配するようになった。
体を動かしたら少しは気分も晴れるだろうと近所をランニングしたり自宅で筋トレをしたりする時期もあったが、長くは続かなかった。
今振り返ると、折角まとまった時間があるので何か自分のスキルアップになることを始めることもできただろうが、鬱々とした感情が手伝って、「やってやろう」という意欲が湧いてこなかった。
ある夜、漠然とした将来に対する不安や絶望感から、一人で寝床でボロボロと泣いたことがあった。
その頃を境に、自分の口から「死にたい」という言葉がポツリと出てくることが増えた。
僕は、コロナ鬱になった。

これは、僕がコロナ鬱になった原因をできるだけ客観的に分析しようと試みたものである。
また、コロナ鬱になってしまった人が今後訪れる(すでに訪れているかもしれない)「コロナ明け」の世の中でどう自分を適応させていけばいいか、その心の持ちようについても考えたい。


1.「コロナ鬱」について

まず、「コロナ鬱」という言葉であるが、ここでは「新型コロナウイルス感染症の拡大予防を目的とする外出自粛に伴い、うつ病に類似した症状を呈した精神状態」と定義する。


2.現状分析

次に、僕がコロナ鬱になってしまった原因を考えてみた結果、以下の3つを挙げることができた。
①コロナは、己の弱さをつまびらかにした。
②コロナは、人の醜さをつまびらかにした。
③コロナは、人を疑心暗鬼にした。
この3項目について、一つ一つ説明していく。

①コロナは、己の弱さをつまびらかにした
僕はいわゆる「真面目な人間」を自任しており、周りからもそのような評価を貰えることが多い。
大学の講義はすべてのコマに出席するのが当たり前。もちろん毎授業欠かさずしっかりメモをとる。
しかしながら、大学がなくなった瞬間、朝は太陽が傾きかけてから起き(もはや朝ではない)、起きたら真っ先にSwitchを起動して軽く6時間はゲームに没頭し、腹が空かないので食事は一日2食になり、夜は空が明るくなった頃に寝る(もはや夜ry)という、怠惰ここに極まれり、といった生活を送っていた。
ここで言えるのは、僕を「真面目」たらしめていたのは、毎日(といっても平日だけだが)決まった時間にやってくる大学の授業だったのだ、ということだ。
つまり、僕は大学という縛りがなくなった瞬間、真面目というヴェールが剥がれ、どこまでも堕落した人間になれるということなのだ。
これは、コロナで大学がなくなったせいで僕が怠惰になったのではない。コロナが、僕の本性を暴いたのだ。
このことに僕が自分自身で気づいたとき、非常に愕然としたのは言うまでもない。

②コロナは、人の醜さをつまびらかにした
4月上旬に、以下のnoteの記事を読んだ。これはとある医療従事者の方が書いている。
https://note.com/8to_blue/n/ne8826da06a37
下に、この記事の一節を引用させていただく。


若者が人生の門出を祝われることすら自粛している、させられている今の状況で、パチンコや旅行やジムや会食やと遊び回っている、それを自慢気にすら話している高齢者。

なんの罪もないドラッグストアの店員にマスクや紙製品が店頭に並ばないことを責め立て怒鳴り散らす狂人。

「あの人は病院勤めだから近寄ったらコロナがうつるよ!」
と指差して言った子連れの女。

不調を訴えて訪れている人、具合の悪い人で溢れる外来の待合席に大股を広げて座り「どこも悪くはないけどここに来るのは友達との会合のようなものだから」「コロナは若者のせいでうつるんだから若者は外来に来るな」と堂々と喋る人でなしのクソジジイ。

「おまえらには必要ないだろ!」と入荷したマスクを買おうとした親子を押し退けてマスクを買った中年の男。

「コロナ騒ぎで風俗行けないから受診したらナースに医療の一貫として抜いてもらいたいよな」と話していた若い男。

こんなひどい、まともじゃない人々のことを僕は目撃こそしなかったが、存在をブログで知ってしまった。
このブログの筆者の方は

決して新型コロナウイルスのせいじゃない、
新型コロナウイルスというレンズが、こういう人間がいかに醜いのかをよりハッキリ見せてくれただけだ。

と言っている。本当にその通りだ。
この世は醜い人間ばかり、と思って生きるのはとてもしんどいことだ。
そればかりか、自分も同じような醜い行動をしてしまうのではないか、という不安にも駆られた。
これが僕がコロナ鬱になった2つ目の理由と考えている。

③コロナは、人を疑心暗鬼にした
今挙げた3つの中で最も大きい原因ではないかと考えている。
振り返ってみると、新型コロナウイルスが大きな話題になりはじめた2月~3月上旬頃は、「新型コロナウイルスの致死率は季節性インフルエンザとほぼ同じ」であるとか「以前流行したSARSやMERSに比べると脅威ではない」という論調をよく目にしたように思う。僕はそのデータを信じ、外出自粛をする必要は薄いのではないかと感じ、マスクはしながらも普通に友達と遊んでいた。
ところが、3月25日に小池百合子東京都知事が緊急会見で週末の不要不急の外出を控える要請をしたあたりから、世の中の風潮が自粛ムードへと傾き始めたように思う。僕自身も3月下旬からは不要不急の外出は一切しないようになった。
しかし、では僕がそれまで信じていて、それを自らの行動の根拠としていたデータは一体何だったのだろう?という気持ちが芽生えてきた。信頼のおける専門家やサイトから得ていた情報のはずなのに。一体この先どの情報を頼りにすればいいのだろう?
もちろん、今回の新型コロナウイルスは人類にとって未知のウイルスであり、専門家同士でも意見が食い違うことは仕方のないことなのかもしれない。しかし、その「誰を、どの情報を信じればいいのかわからない」という状況が、たまらなく人々を不安にさせるのだ。
今となってはコロナも収束の兆しを見せ、このまま流行が終わればコロナに対する人々の不安も払拭されるだろう。
しかし、一度「何を信じて生きていけばいいかわからない」と感じるようになってしまった人が、再び前を向いて歩き出せるようになるのは容易なことではない。


3.今後

コロナ鬱になってしまった人(もちろん僕も含めて)は、コロナ明けの世の中でどう生きていけばいいのだろう?
まず、一つ目の可能性として、コロナが明ければコロナ鬱も解消する、というのが考えられる。
実はこの可能性はかなり高いと思っている。
新型コロナウイルスは、2~3か月もの外出自粛という、人々がほとんど体験したことのないほど長い期間の自粛生活をもたらした。昨年、台風19号が日本を直撃したときも外出自粛が求められたのは記憶に新しいが、あれはほんの1~2日程度のものであった。
今回はそれほどの異常事態となれば、精神的な不調を訴える人が出てきたとしても何ら不思議ではないのである。
確かに、コロナが明けて以前通りに学校や仕事に行くようになっても、なかなか元のリズムを取り戻すことができず、辛い思いをすることになるかもしれない。でも、それは仕方のないことだ。人間は適応する動物なのだから。自粛生活に適応してしまったのだから。でも逆に、これから時間はかかるかもしれないけど、以前の普通に学校や仕事に行く生活に適応することだって、きっとできるはずだ。

コロナは己の弱さを暴き、人の醜さを暴き、この世界に対する不安を露呈させた。そのせいで僕は鬱にもなった。けれど、強い者ほど己の弱さを知っていると僕は信じている。己の弱さを認識できているならば、その対策を講じることもできるはずだ。

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