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競馬を愛する人

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#スポーツ観戦記

59キロで勝っちゃったヴェルトライゼンデ。日経新春杯とテンポイント

59キロで勝っちゃったヴェルトライゼンデ。日経新春杯とテンポイント

JRAの新規定 負担重量の増加

今年2023年から、JRAの負担重量の基準が変わり、より重い斤量負担が強いられることになった。
その基準は各条件によって細かく規定されているのだが、大まかに言って古馬G1などの別定重量は基礎重量が58キロに統一されることになった。

その理由として、昨年10月17日に行われたJRAの定例会見では「騎手の健康と福祉、および将来にわたる優秀な騎手の人材確保の観点から」

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人生で初めて当たった馬券 マグナーテンはまだ元気

誰しも、自分が初めて当たった馬券というのは、忘れられないものだと思う。

私の馬券が初めて当たったのは、2003年のアメリカジョッキークラブカップ(AJCC)だった。

初めて馬券を「買った」のは、2か月半前の天皇賞(秋)。
珍しく中山競馬場で開催された天皇賞で、私はナリタトップロード‐ダンツフレームの馬連500円の一点買い。
結果は3歳馬シンボリクリスエスが勝ち、ナリタトップロードは2着になった

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カルストンライトオ JRA史上最速の韋駄天 2004年スプリンターズステークス

カルストンライトオ JRA史上最速の韋駄天 2004年スプリンターズステークス

2004年 雨の中のスプリンターズステークス

個性派の、他から抜きん出た特徴をもった馬というのは、なかなか忘れがたいものだ。

2004年スプリンターズステークスの覇者、カルストンライトオはまさしくそんな馬だった。

彼にこそ、韋駄天という二つ名がふさわしい。
カルストンライトオが「JRA史上最速の馬」であったことに異論を差し挟む者は、競馬ファンの中には少ないだろう。
彼は本当に速かった。

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清水成駿◎ボールドエンペラー 1998年日本ダービー 成駿はホントは何と言っていたのか

清水成駿◎ボールドエンペラー 1998年日本ダービー 成駿はホントは何と言っていたのか

今年もダービーウィークとなった。2022年5月29日、東京競馬場では第89回の東京優駿が開催される。
ダービーといえば、今でも語り草となっているのが1998年スペシャルウィークが優勝した第65回だ。1着こそ1番人気のスペシャルウィークだったものの、2着に14番人気のボールドエンペラー、3着に15番人気のダイワスペリアーが飛び込み、馬連は13,100円の万馬券となる大波乱となった。

当初スペシャル

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ヒシミラクル、奇跡の記憶 宝塚記念予想(2022)

ヒシミラクル、奇跡の記憶 宝塚記念予想(2022)

春のG1シリーズを締めくくる宝塚記念。このレースは、年末の有馬記念に比肩するグランプリレースを関西にも、ということで阪神競馬場の改修が完了した1960年に創設された。
八大競走ではない後発のレースだったことから、当初は一流馬を集めることもままならなかったが、G1に指定され、イナリワン、タマモクロス、メジロマックイーンが勝利を挙げるなど次第にレースの格付けも上がっていき、現在では春競馬を締めくくる中

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ゼンノロブロイ 漆黒、最も雄大な馬体 死去の報に寄せて 2003年神戸新聞杯の記憶

ゼンノロブロイ 漆黒、最も雄大な馬体 死去の報に寄せて 2003年神戸新聞杯の記憶

ゼンノロブロイの死

去る9月2日、ゼンノロブロイが繋養先の北海道新冠町の牧場で亡くなった。満22歳だった。4歳時、2004年に天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念という秋のG1シリーズ三連勝を達成し年度代表馬となったことで知られる。これはテイエムオペラオーとゼンノロブロイしか成しえていない快挙だ。
8月に亡くなったタイキシャトルに続いて、またしても藤沢和雄厩舎所属だった名馬がこの世を去った。

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柔道王小川直也が見たオグリキャップのラストラン 1990年の有馬記念

柔道王小川直也が見たオグリキャップのラストラン 1990年の有馬記念

平成二年の有馬記念 オグリキャップのラストラン

今年も有馬記念の季節が来た。

競馬の中でもこのレースだけは格別で、スポーツ紙も年末のこの一週間は一面が有馬記念の話題で各紙埋め尽くされる。
なんといってもその売上額はダービーを凌ぐというのだから、日本人がいかに有馬記念を好きかということがわかる。

今から22年前の有馬記念。
1990年つまりは平成2年12月23日は、日本競馬最高の日だという。

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