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底にあった感情「恐れ」

前回のつづき。

前回のあらすじ:無職のメンタルは時にヤバい。

そういう意味で、無職時代は最強であった。

時間がある。
貯金もそこそこある。
誰も自分を気にしない。自分も誰かを気にしない。

それがいかに強いバックボーンだったか。
最初は抵抗があったけど、結局は満たされたいという欲を叶えるため、ひたすら進むことをやめなかった。
その一方、当時の自分を裏から真に動かしているものが「恐れ」であることも知っていた。

何もしていない自分を恐れていた。
することがない毎日、目的も目標も行く場所もなく。
何処にも居場所がない自分から目を反らしたかった。
だから、今までにない喜びや達成感に浸っていたかった。

ほら、よく言うでしょう。
お酒やギャンブルに依存してしまう人は、精神的に不安やら何やらがあるからだって。不安から逃れるために、何かに病的にのめり込むという。

私は目的がない日々が不安だったからこそ、常に外に目的を求めた。無職といえど、1日中家に居たのは土日だけ。電車に乗って、知らない場所をよく訪れてました。
おかげで半年で数十万ほど、お金が飛んでいきました。
一見すると活動的に見えるけど、逃避してたのも事実。

まさに闇と光。
光があれば闇もあり、闇があればまた光もある。
恐れという闇から目を反らすため、光の方に動いていけばいくほどに闇も深くなっていく。

楽しい思いをして達成感でいっぱいの翌日には、それらがなくなった「何もない自分」を見ざるを得なかったから。この落差。

無職生活が楽しくて気楽なのと同時に、苦しさで死にたくなるのは、こうした葛藤があるからかもしれません。

恐れと不安を持ちつつも、自分の生活圏から離れた場所では普通の人として町を歩く。そこに行けば、自分は単なる「観光客」になれたから。
時に普段の自分ではできないこともやってしまう。
まさに、旅の恥は搔き捨て。

でも、忘れてはいない。
私はその頃から(退職前後から?)、肌が痒くて全身掻きむしる→肌がボロボロになるという症状に悩まされ出したことを。
スリルに満ちた日々は、同時に極度のストレスに満ちた日々でもあったということを。
当時書いていた日記には、何もすることのない日々の死にたくなるような苦痛が、結構な頻度で書かれていたことを。

ある意味、無敵というのは、そういった不安などのネガティブな気持ちを無理やりにポジティブに変えようとするかのような、カラ元気のようなものであったのかもしれない。
捨て身タックル的な。
だから最強なんだけど、同時にそれはガラスのような繊細さもあった。

つづく


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