見出し画像

2024-03-17 なぜ市町村境界で道路が切れているのか 疑問と調査


事の発端

Xを眺めていると、このような投稿が流れてきました。

おもしろそうな話を見かけてしまった

調査するだけでも、とても面白そう!
インターネットでどれだけ調べて遊べるかを試してみます。

いじわるなのかな?それとも仕方なく?
せっかくなので調査記録を記事にまとめてみることにしました。

ここはどこ?これはなに?

元の投稿だけでもたくさんの情報があるので、これを元にGoogleマップで探してみました。
ここは大阪府豊能郡豊能町光風台と兵庫県川西市大和の間にあることがわかりました。

市町村どころか県を跨ぐ場所でした。
大和 豊能 道路]などのキーワードで検索するとすぐに公式名称が出てきます。

この道路の名称は町道光風台通路3号線道路です。
2020年5月に開通したようです。思ったより最近出来たものでした。

簡単な調査

前提知識

私の経験ですが、このような見た通りわかるような分断は、所謂いじわるや怠慢によって”しない”ことよりも、整備する側の権利と義務が及ばず”出来ない”ことが原因であることが多いです。

市町村を跨ぐ道路は県道でないと、建設・管理の主体が決まらないため、作ることは難しいでしょう。A市の税金でB市にA市の公共物を作ったらトラブル間違いなしです。

それにも関わらず道は作られたので、両自治体のことを知れば深く理解できるのではないでしょうか。

大阪府豊能郡豊能町光風台について

このあたりは元々は吉川村という村だったようです。
明治期に村指定されるよりも前から昔から人が住んでいたのでしょう。

国道477号線・国道173号線を通ることで、川西市と尼崎市方面に出ることができます。
見たところ、後から国道指定と整備が行われただけで、古くからある道の作り方です。
市街へはこれらを通って行けたので、元々は大和地区とは関係する必要のない土地だったかと思われます。

その後1978年に光風台・新光風台団地の開発が始まり、大和地区ギリギリまで後から開発されたのだと思われます。

光風台とつながる国道477号線
猪名川の支流塩川沿いに沿って地面が削られている。
地形としては、元々は尼崎市に付随する形で発達したのであろうことがわかる。

吉川村(よしかわむら)は、大阪府豊能郡にあった。現在の豊能町の西部、能勢電鉄妙見線国道477号の沿線にあたる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉川村_(大阪府)

兵庫県川西市大和について

この地区全体が、大和団地株式会社が作った阪急北ネオポリスと呼ばれる造成地のようです。(現在は大和ハウス工業株式会社へ吸収合併)

歴史は1961年に始まり、1974年に開発が完了しています。
人口増加に対応するために作られた、新しい土地です。

この道を作った理由

なぜ今になって町道光風台通路3号線道路が作られたのでしょうか。
豊能町の記録によると2018年7月の豪雨によって豊能町の幹線道路網と鉄道が通行止めになり、都市が孤立したためとのことです。

平成 30(2018)年7 月豪雨の際は、本町の幹線道路網において、連続雨量が基準値に達したことや、斜面崩落等により次々と通行止めとなり、人流、物流ともに一時的に本町へのアクセスが出来なくなりました。
(中略)
広域的には、川西市大和団地との幹線道路の整備に向け、引き続き用地交渉を行うと ともに川西市や地元自治会など関係機関とも調整を図りつつ、実現に向け取り組んでいきます。

https://www.town.toyono.osaka.jp/data/doc/1680833662_doc_223_0.pdf

簡単なまとめ

お互い別の拠点である豊能町と川西市から都市を拡大していった結果、町が隣接したが、整備主体が違うので放置されていた。
自然災害を機に豊能町から依頼して防災目的で道を作った。

と言ったところでしょうか。
たしかにポールを抜いたらトラックや車の移動ができそうな形になっています。

時系列
1889年 以前:豊能町の前身となる集落が存在する
1889年(明治22年):豊能町中心部が吉川村として成立
1961年(昭和36年):川西市の拡大に伴い、大和地区の開発開始
1974年(昭和49年):大和地区の開発終了
1978年(昭和53年):光風台・新光風台団地の開発開始
2018年(平成30年):豪雨発生、豊能町が孤立
2020年(令和2年):今回の道路が開通

深まる疑問:なぜ車が通れないのか

せっかく防災用の道路を作ったのに、なぜ車やバイクは通してくれないのでしょうか。
もうすこし深く調べてみましょう。

詳しい調査

豊能町側の公文書

令和3年度町政懇談会意見交換要旨を発見。
これだけでもかなり詳しく書いてあります。

まちづくりについて 8
質問:大和団地との連絡道路(広域道路)の進捗状況は。 孤立になるのを懸念している。
回答:連絡道路開通に向け、四者協定の中で進めている。昨年度はコロナの関係もあって川西市とは1回しか協議できていない。町側に私有地があり、用地交渉をしており、前向きな協議を進めている。今後協議を再開する予定。

まちづくりについて 13
質問:光風台から大和団地の連絡道路が開通したが、バイクが通れないのは何故か。
回答:H30.7 月豪雨で道路が通行止めになり本町が孤立したことが あったことを受け、川西市とは協定を結び色々な事項を検討している。検討内容の一つが光風台~大和団地の通行できる歩道の開通。2つ目は星野石油からの上り信号左折した 12m車道を 大和団地と繋げることであった。1つ目の光風台~大和団地間の歩道は、開通できたが近隣住民の反対でバイクは通行できない。 2つ目の車道の開通については現在交渉中。

拡大図


全体図

この回答によれば、おそらくオレンジ色のラインの部分をメインルートとしてつなげたいのだと思います。
たしかに道路幅が広くて、多くの交通量に耐えられそうです。

防災について 11
質問:雨量が多くなると一の鳥居から豊能町間が通行止めとな り迂回しないといけない。何とかならないか。
回答:光風台から大和団地間に車道が抜ければ迂回する必要がなく
なる。現在川西市へ交渉中。民地買収にも努めていく。また川西
市の企業団地造成が進めば箕面森町に車道が抜けて来るのでア
クセスは良くなる。また、一の鳥居から豊能町間は雨量 110m で
通行止めになる。現在宝塚土木と交渉中

おそらくこの事業を指しているのでしょう。
とりあえず防災上の交通は他にもルートを考えているようです。

景気がいい話!
大きい…
頑張って大きくして見てみてね

思ったより豊能町は頑張っています。

川西市側の公文書

令和元年度 第1回 都市計画審議会を発見。
近年の議事録もざっくりと読みましたが、これより新しい光風台への道路の記述がありませんでした。

委員:補助幹線街路になります見野線につきまして、3区間目の道路は大和団地から 新光風台に抜ける道となりますが、川西市から東へ大阪府方面に行く道路となり ます。ご存じの通り、大和団地というのは袋小路になっておりまして、抜け道がありません。廃止ということで検討されていますが、その理由付けを明確に教え ていただきたいと思います。

事務局:1次評価の中でございますが、ステップ2の客観的な評価基準より評価した中で、豊能町側からの道路要望があるのは十分承知しておりますが、現在都市計画 道路としては川西市側にしかなく、豊能町側には都市計画道路がないという状況でございます。道路が必要なことは理解していますが、都市計画道路としての位 置付けが必要かという判断をした結果、豊能町側に都市計画道路がありませんので、現状の評価としては必要性を見出せなかったということでございます。
(中略)
先程の説明の中でもありましたけれども、今行っている1次評価は、道路機能 として今後も必要性があるのかという評価をさせていただいております。次の評価では、地域づくり、まちづくりの面的な観点でまた違う評価をさせていただい て総合的に判断をし、最終的に全体像が見えてきた中で、交通量評価と合わせてみて渋滞が起こるところはないのかということをチェックしていただくという3 段階の審査をして最終案となります。現在行っているのは3段階のうちの1段階目ということでご理解いただければと思います。
議長:大和団地から光風台に行く道についても、大和団地から光風台への道を抜くことによって大和団地のイメージが向上するではないかということで、高齢化している大和団地のイメージアップにつながって更新が促進されるということになれば、郊外ニュータウンの地域づくり観点からすると評価をするということになりますので、先程ご指摘いただいたような地域づくりの観点からぜひとも特徴ある2次評価をしていただ ければありがたいと思います。分かりました。 これはまだ1次評価の段階ですので、また2次評価、3次評価と出てきた段階で議論させていただいて、最終答申として存続廃止の判断をさせていただけたらと思いますので、また継続審議としてよろしくお願い致します。

要望は認識しているようです。
事務局側の説明を見る限り、2の道路は川西市の範囲はギリギリまで出来上がっているため、豊能町側の完成目処が立たない限りは審議できないのでしょう。

状況の考察

両自治体をつなぐ、2つの道路計画

1側の道路はコストが低かったのかと思われます。防災の意図もあるため早期に解決したかったのでしょう。
しかしGoogleMapなどで確認する限り道が狭いです。
自動車・バイクを通してしまうと交通のボトルネックとなって交通量が急増します。区画街路として作られた道路幅にも関わらず、都市間を結ぶ幹線道路としての性質を持つことになります。
安全性や騒音の観点から人道に留めて置きたいのでしょう。

2側の道路についての議題は、両自治体とも議題に上がっています。
豊能町側が強く要望し、多くの区間も豊能町側に当たります。
議事録を見る限りではここが民間の私有地のため、権利問題が解決すればすぐに両自治体で予算が降りるのではないでしょうか。
こちらは幹線道路としての性質が持てる道路幅であり、国道とも信号機で接続されています。開通したらとても便利そうです。

まとめ

  • 両自治体とも前向きに接続を考えている。

  • 今つながっている道路は防災用の予備

  • 自動車が通行可能な道路がつながる可能性は十分にアリ!

意地悪じゃなかった!よかったよかった!

その他の情報

道路の設計について

日本では道路交通量によって道路の設計を変えています。
道路構造令によって、安全かつ資源の無駄遣いをしない、最適な設計をしています。
その最適な道路設計とは何なのか、研究者によって日々研究されています。

道路構造令の各規定の解説 - 国土交通省

https://www.mlit.go.jp/road/sign/kouzourei_kaisetsu.html

研究事例)道路の交通容量における新しい設計法に関する検討 - 国土技術政策総合研究所

https://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0317.htm

都市開発へのうんちく

兵庫県川西市の歴史を調べた際の情報をまとめたのでおいておきます。

この大和地区全体は、大和団地株式会社が作った阪急北ネオポリスと呼ばれる造成地のようです。(現在は大和ハウス工業株式会社へ吸収合併)
人口増加に土地の開発が間に合っていなかったようです。

もし大和グループに開発を依頼せず、この問題を放置した場合、住民全体がスプロール現象に悩まされることになったでしょう。

スプロール現象とは、都心部から郊外へ無秩序、無計画に開発が拡散していく現象のことです。
計画的な街路が形成されず、道路、上下水道、学校や病院等のインフラの整備も立ち遅れ、居住環境が整わないまま虫食い状態に宅地化が進んでいきます。その結果、農地や自然環境の荒廃につながり、交通渋滞を招いたり、災害に脆弱な街になるなど、広範囲にわたって都市機能が低下することがあります。
一度スプロール現象が進行すると、地権の細分化や地価の上昇などにより、改善は困難を極めることとなります。大都市への人口集中や地価高騰が原因で起こるといわれており、計画的な都市建設が求められています。

https://www.homes.co.jp/words/s3/525001463/
スプロール現象が発生した都市の例
大和地区の道路と比較すると一目瞭然!

ちなみに光風台団地も日本機械土木株式会社(現:奈良建設株式会社?)が造成に関わっているみたいです。
川西市は更に新しい造成も行っているようですし、日本の土木技術は企業体も含めて優秀ですね。

感想

いつもこういうのをまとめずに調べてます。調べるだけなら30分で終わるのに書くと4時間かかることがわかりました。
まとめるのは楽しいのですが、文章の作り方がまだよくわかってないので勉強したいと思いました。
慣れていない事もあって滅茶苦茶疲れました。
もっとこういった事例を面白く紹介できるようになりたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?