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『守護神 山科アオイ』3.隠し事

 慧子が「国際的な臓器密売組織」と口にすると、和倉はごくりとツバを飲んだ。
「心当たりがおありのようですね」
慧子が突き刺すような視線のまま、ソファーテーブルに乗り出していた身を引く。
「まさか、そんなことが現実になるとは……」
和倉が声を詰まらせる。
「なにが、現実になって欲しくなかったんだ?」
黙って慧子と和倉のやり取りを聞いていたアオイが初めて口をはさむ。
「お聞かせいただけますか」
慧子が和倉をうながす。

「実は、国際的な臓器密売組織に狙われている可能性もゼロではないのです」
和倉が細い声になる。
「とおっしゃいますと?」と、慧子。
アオイは黙ったまま、厳しい目を和倉に向ける。
 和倉がひとつ息をついてから、話し始める。
「五年前、創生ファーマはAIを駆使したDRが専門のベンチャー企業を買収しました。その企業が国際的な臓器密売組織と関係しているという噂があったのです。それ以来、私たちが研究に使えるヒト臓器の種類と量が増えたと、研究者の間で噂になっていました」

「AIは知ってるけど、DRってなんだ?」
アオイが尋ねる。
「Drug Re-positioning (ドラッグ・リポジショニング)の略です。すでに何かの病気に使われている薬を別の病気向けに転用することです。開発が中断した新薬候補を別の病気の薬に作り変えることも含まれます」
「創生ファーマくらいの大手だと、DRの対象は何万とありそうですね」
慧子の問いに、和倉が答える。
「DRの対象になるクスリは、開発中止になったクスリ候補も含めると
一〇〇万以上あります」
「うわ、すごい宝の山じゃんか!」
アオイが驚く。

「大手の製薬メーカーなら、どこも似たような宝の山を持っています。ライバルの先を行くためには、宝の山で迷わず真のお宝にたどり着くための道案内が必要です。AIがその役目を果たしてくれます」
「そこでAIを使ったDRをしていたベンチャーを買収した。すると、その会社に臓器売買組織との黒い噂があった」
慧子が確認し、和倉が黙ってうなずく。
「とか言って、創生ファーマは臓器密売組織とのコネが欲しくて、そのベンチャーを買収したんだろう」
アオイが意地悪な調子で言う。

 和倉がアオイに食ってかかる。
「まさか、創生ファーマに限って、そんなことはあり得ない」
「今のような状況になっても、本当にそう思いますか?」
慧子が厳しい口調で訊くと、和倉が
「今にしてみると、その可能性も……否定できない……ですね」
とトーンダウンする。
「ほら、そうだろ」
アオイが鬼の首を取ったように言う。

 慧子が「コホン」と咳ばらいしてアオイをひとにらみしてから、和倉に尋ねる。
「和倉さんが臓器密売組織に狙われている可能性を考えるようになった根拠を、お聞かせください」
「私は上司が聖命会病院からヒト臓器を買い取ろうとしていたことを会社の内部通報窓口に訴えました。その時、窓口の人間が私に『ヒト臓器について知っているのはそれだけか?』と尋ねたのです」
「『それだけか?』という問いが『臓器密売組織との取引も知っているのではないか?』を意味する。そう解釈したのですね」
慧子に言われ、和倉がうなずく。

 慧子が質問を続ける。
「臓器密売組織にも追われているかもしれないことを、遠山教授に話しましたか?」
「いいえ」
「なぜですか?」
「確証があるわけではありませんから」
「ヤクザに狙われていることだって、実は、確証はありませんよ」
慧子が目の端に冷たい笑みを浮かべて言い、和倉がはっとする。

「遠山教授に話さなかった理由は、他にあるのではないですか?」
慧子がたたみかけ、和倉が身じろぎしながら小声で答える。
「恐かったのです。臓器密売組織に狙われていると言ったら、遠山先生に助けていただけないかもしれない。相手が日本のヤクザなら研究の場を海外に移せば追及を逃れられる。しかし、国際的な臓器密売組織だと、どこまでも追ってくるかもしれない」
 慧子はアオイの表情をうかがうが、アオイの表情に変化は見られない。
「お気持ちはわかります。ですが、厳しい言い方をすると、和倉さんは遠山教授と須崎の二人を彼らが知らないうちに大きな危険に巻き込もうとしているのですよ」
和倉がうつむいて言葉に詰まる。

「和倉さんが臓器密売組織から狙われている可能性は、須崎が和倉さんをお引き受けするかどうかを最終決定する上で、重要な検討材料です。私たちから須崎に報告します」
慧子が強い口調で言う。
「あなた達が報告すると、須崎さんの気持ちが変わる。そういうことですか?」
和倉がソファーテーブルの上に身を乗り出す。
「私は須崎ではありません。したがって、彼の気持ちが変わるかどうかは、私にはわかりません。私が須崎と交わした契約上の義務として、報告すべきことを報告するだけです」
慧子が和倉を突き放す。

 和倉が慧子にすがるような目を向ける。
「お願いです。私を助けてくれるよう、あなたからも須崎さんに頼んでください。私には、まだやり残した研究がある。私は、まだまだ人類に役立てる人間なのです」
「あんたが人類に役立てるかどうかも、須崎が判断することだ」
アオイが和倉を突き放す。

 慧子がソファーから立ち上がる。
「和倉さん、私たちは、これから須崎に報告に行きます。あなたは、ここでお待ちください」
「私を独りにするのですか? それじゃ、警護にならない!」
「和倉さん、この部屋を見てください。高層ホテルの最上階、オーシャンビューのスイートルームです。窓は全て海に向いていて、近くのビルから狙撃される心配はない。ホテル内でこの部屋にアクセスする手段は、この部屋のカードキーがないと動かない専用エレベーターだけです。これほど安全な隠れ家はありません。私たちは一時間で戻ります。この部屋でじっとしていてください」

 慧子とアオイがドアに向かおうとすると、和倉が親に置いて行かれる幼子のような声を出す。
「必ず、戻ってきますか?」
「ご心配なら私の財布を置いていきます。中には現金が2万円とクレジットカードが三枚入っています。これで了解いただけますか」
慧子が和倉に財布を差し出す。
「たった2万円ですか?」と、和倉。
「慧子、2万しか持ってないのか?」と、アオイ。
「現金は持ち歩かない主義なの」
「わかりました。財布はソファーテーブルに置いておいてください」
和倉があきらめたように言った。

〈「4. 人間兵器」 につづく〉