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『守護神 山科アオイ』7. 探偵登場

 幸田とのすり合わせを終えたアオイと慧子がホテルに戻ると、スイートルーム専用エレベーターの前に男女二人組が立っていた。慧子が上着の上から、拳銃を納めたホルスターに軽く触れる。

 女性は小柄だが均整の取れた身体つきをしている。ポロシャツの上にパーカーを羽織り、ジーンズをはいている。足元はトレッキングシューズ。キャップをかぶっている。
 男性はTシャツの上にブレザー、チノパンに足元はスニーカーといういで立ち。
 それぞれの足元にバックパックが置かれ、男性は右手に文書の入ったクリアファイルを持っている。

 アオイと慧子が近づくと、女性が微笑みながら声をかけてきた。
「エレベーターに、ご一緒させてください」
女性は、少しほお骨がとがっているのを除けば綺麗な卵型の顔をしている。二重まぶたでやや下がり気味の優しそうな目。まっすぐ通った鼻筋をしているが、鼻腔がすこし開いているところに愛嬌がある。茶色がかった髪をポニーテイルにし、キャップの後ろからのぞかせている。

 「ご一緒にと言われても、このエレベーターはスイートルーム宿泊客専用です」
慧子が固い声で女性に答える。
「スイートルームA にお泊りの和倉修一さんにお会いしたいのです。フロントから電話してもらっても和倉さんがお出にならないので、同室の方をお待ちしていました」
女性が微笑んだまま続ける。
「それは残念。あたしたちはスイートルームBに泊まってんだよ」
アオイが突き離すように言う。

 「いいえ、お二人は和倉さんのお連れでいらっしゃいます。そこの壁に貼ってある写真をご覧ください」
エレベーターの横の壁にアオイと慧子が和倉を連れてチェックインする姿の写真が貼ってある。

 慧子が腰のホルスターに納めた拳銃に手をかける。
「ホテル内で銃器を持ち出すのは、お勧めしません。私たちはあなたの敵ではありません。写真の下に貼ってある名刺をご覧ください」
女性が落ち着いた声で言う。微笑みが消え、慧子の目にピタリと視線を合わせているが、とがった感じはない。

 「アオイ、名刺になんて書いてあるか読んで」
慧子がホルスターに手をかけ女性に目を向けたまま、言う。
アオイが名刺を読み上げる。
「京橋テクノサービス(株)調査員 宝生 世津奈、京橋テクノサービス(株)調査員 菊村 光太郎」

 女性の顔に笑みが戻る。
「調査員となっていますが、手っ取り早く言えば探偵です。産業スパイ狩りが専門です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いされません。お引き取りください」
慧子が銃を抜き、女性に向ける。装填してあるのは特殊樹脂製の訓練弾だが、女性との間隔は二メートルを切っている。痛みで一時的に動きを止めるだけでなく傷も負わせることができる距離だ。

 しかし、女性は銃を向けられても、いささかも動じない。
「私たちは、NGO『「顧みられない熱帯病」と闘う会』から依頼されて和倉さんにお会いしに来たのです」
「『「顧みられない熱帯病」と闘う会』?」
慧子が女性の言葉を口の中で転がし、思い出したように言う。
「『顧みられない熱帯病』と言ったら、貧しい亜熱帯の国で猛威をふるっているのに先進国の医療機関や製薬企業から無視されている熱帯病のことよね」
「はい、『闘う会』は『顧みられない熱帯病』の撲滅を目指しているNGOです」
女性が答える。

 「そんなNGOが和倉さんに何の用かしら?」
慧子が問い返す。
「コー君、あの契約書をお見せして」
女性に言われて、男性が右手に持ったクリアファイルを差し出す。男性はおそらく一九〇センチ近くあるだろう。ボサボサの髪。細長の顔。鼻に黒いセルのメガネを載せている。メガネの奥の細い目は楽しそうに笑っているように見える。

 「アオイ、契約書を見て」
慧子に言われてアオイがファイルを受け取り、表紙をめくる。
「署名してあるな。本物の契約書なんじゃないか? 契約しているのは『「顧みられない熱帯病」と闘う会』と『京橋テクノサービス』だな」
「契約の内容は?」
「う~ん、ややこしいな。慧子が自分で読め」

 「私から申し上げてもよろしいですか?」
女性が言う。
「いいわ、言いなさい」
慧子がぶっきらぼうに返す。
「『京橋テクノサービス』が『「顧みられない熱帯病」と闘う会』のメンバーをいつわる産業スパイを摘発する契約です」
と女性探偵が言い、男性探偵が付け加える。
「『闘う会』のメンバーを名乗って医療と製薬の専門家に接触する産業スパイが増えてるんすよ。『闘う会』にとっては信用問題じゃないすか。それで、そういうスパイを摘発するためにボクらが雇われたんす」

 「それと和倉さんが、どう関係あるの?」
「私たちが捕えた産業スパイが和倉さんと接触した形跡があるのです。そこで、和倉さんにお話をうかがいたいと思いまして」と、女性探偵。
「そのスパイは、『闘う会』のメンバーを名乗って和倉さんに接触したと言ってるの?」
「いいえ。今のところ、私たちが捕えた案件以外については黙秘しています」
「和倉に接触したかどうか確かめるって、絶対に必要なのか?」
アオイがぶっきらぼうに尋ね、女性が柔らかく笑って返す。
「『闘う会』は、和倉さんに対して自分たちの名前が使われたのかどうか、使われたとしたら、和倉さんがどう受け止めたかを知りたがっています」
「そのスパイが『闘う会』の名前をかたっていた場合には、和倉さんの誤解を解きたいんすよ」
男性が補う。

 「あなたたち、どうして、ここがわかったの?」
慧子の声が鋭くなる。
女性の半歩斜め後ろにいた男性が女性に近づき、身体をかがめて耳打ちする。
「コー君、大丈夫。この件は話してもいいわ。うちの会社の営業秘密ではないのだから」
「そうっすね」
男性が納得の表情になる。

 「私たちが捕えたスパイは、スマホで和倉さんを追跡していました。そのスマホを奪って、ここを突き止めたのです」
「そんなはずないぞ」
アオイが反論する。
「あたしは、和倉のスマホを取り上げて電源を切った。電波が発信されてるわけがない」
「ええ、私も確かめた」と、慧子。
「スパイが和倉さんのスマホにメールした時に、ウイルスを送り込んだんすよ。そのウイルスに感染したスマホは、電源が落ちているように見えても追跡可能な電波を出し続けるんす」

 アオイが慧子に近づき、背伸びして耳元でささやく。
「こいつら、あたしたちに危害を加える気はないぞ」
「そう」
慧子が小声で答える。
「わかった。一緒にどうぞ。ただ、携行している拳銃は、ここで渡してもらう。アオイ、お二人から銃を受け取って」
「えっ、どうして、ボクらが銃を持ってるって、わかったんすか?」
驚く男性に、慧子が笑って返す。
「今、確信を得たわよ」

 「参ったなぁ。ブラフをかけられて、ハマっちゃたってことか」
男性が腰のホルスターから自動拳銃を取り出し、グリップを前にしてアオイに差し出す。グロック17。大型で17発か19発装填できる銃だ。
「銃弾は特殊樹脂の訓練弾っす。殺傷能力はないすから」
と、男性が言う。

 女性が左右のホルスターから回転式拳銃を2丁抜いて、同じくグリップを前にして差し出す。
「なに、この不細工な拳銃。弾倉が円筒じゃなくて、六角柱だ。こんなカッコ悪いの、初めて見た」
と、アオイ。
「チアッパ・ライノ。イタリア製の回転式拳銃です。携行しやすいし、慣れると使いやすいですよ」と、女性。

 「今どき、回転式拳銃なんて時代遅れね。自動拳銃の中には15発以上装填できるものが多い。自動拳銃の弾雨を浴びせられ追い詰められたら、6連発の回転式拳銃に勝ち目はない」
「あなたのはグロック30で、10連発ですね」と、女性。
「いくら装弾数が多くても、バカでかい銃を持ちあるく気になれない」
「先輩は回転式拳銃の装弾数が少ないのをカバーすると言って、2丁持ち歩いてるんすよ。12連発と同じって理屈っすね」
と、男性が答える。

 「なんでもいいけど。こっちは実弾だから、変なことは考えないように」慧子の銃も訓練弾が装填されているのに、ハッタリをかます。
「そんじゃ、行くか」
アオイがカードキーをエレベータ―横のスロットに差し込んだ。

〈「8. 産業スパイ」につづく〉