AOE1 古代文明の歴史をちょっと解説

 AOE2のDLC「Return of Rome」の購入予約がスタートし、いよいよその内容が明かされた。

 価格は定価で1540円、予約購入で1309円となる。内容は

・AOE2内でAOE1のゲームモードが遊べる
 (UI改善や門追加などAOEDEにない要素を含む)
・既存のAOE1の16文明に加え、新規文明のラックベト(古代ベトナム)が登場
・3つの新規キャンペーン
・ベトナムで流行ったゲームルール「D3」が公式化。
 (青銅(3)の時代に入るまで使う兵種を1つに絞り、皆が青銅の時代以降で公平なバトルが出来るようにする。塔や壁は使用不可)

・AOE2のゲームモードに新文明ローマを追加
 (おそらくAOE1のローマとは仕様を少し変えると思う。ユニークユニットはキャンペーンででてくる「軍団兵(歩兵)」と「百人隊長(騎兵)」)

 AOE1の詳しい内容についてまとめてあるサイトがないか調べてみたところ、このサイトが一番まとまっているようだ。

 私はというと、AOEDEは持っているがちょっとしか遊んだことがない。せっかくなので各文明について、自前の知識とネットを使ってちょっと解説してみようと思う。間違いなどがある可能性があるが、ご了承願う。


ゲーム内容はこちら。


文明表

 全17文明を地域ごとにまとめるとこんな感じになる。地中海周辺と東アジアの文明に限られている。
 なお高校の世界史でも使われている図説『世界史詳覧』(浜島書店)が、写真多めでわかりやすくておもしろい。おすすめ。


アッシリア

 イラク北部のニネヴェを中心に活動していた文明。前7世紀にはアッシリア王国が栄える。アッシュル=バニパル王の時代までには、エジプト、バビロニア、フェニキア、ヒッタイト、イスラエルなどを攻め落として、イラクシリアエジプト辺りを統一し、最古の世界帝国を築き上げた。前1350~612年と長きにわたって存続していた。Fateのセミラミスはアッシリアの女王である。

 一時期メソポタミアを統一していたというだけあって、経済や文化などはザ・古代メソポタミアみたいな印象がある。中継貿易や図書館、中アッシリア法典、アラム語、宮殿など、RPGの題材になりそうな要素が多い。


バビロニア

 ティグリス、ユーフラテス川沿いに発展した文明。民族というより地域名である。前2000~1500年頃のバビロン第一王朝、カッシート、前6世紀頃の新バビロニアなどが主な国である。
 バビロン第一王朝は「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典で有名な国である。またこの頃に学生達の書き写しという形で『ギルガメシュ叙事詩』が発見されている。Fateシリーズの元ネタの1つとして有名な『ギルガメシュ叙事詩』だが、その話の元は10世紀前のシュメールの時代に遡る。
 カッシートはバビロニア王朝の中でも長く、400年程続いた。周辺国との外交の記録などが残されている。
 新バビロニアはバベルの塔や空中庭園で有名な国である。首都バビロンは交易の中心地であり、「バビロンの栄華」と呼ばれるほど栄えたそうな。ちなみに新バビロニアはカルデアとも呼ばれる。


カルタゴ

 ボエニ戦争でローマと戦ったことで有名な文明。民族というより地域名であり、民族としてはフェニキア。アフリカ北海岸に位置するフェニキア人の植民市である。ハンニバルの象軍が冬のピレネー・アルプス山脈を越えてローマに侵攻したことは有名なエピソード。

 交易と海軍力で成立した国、都市群であり、ギリシアとシケリア戦争をしたり、ローマとぼボエニ戦争をしたりした。その後ローマに占領され、数百年後にゲルマン民族のヴァンダルに征服され、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が奪還し、ムーア人やアラブ人(ベルベル、サラセン)に反乱されたり制圧されたりした。


朝鮮

 ここで言う朝鮮は紀元前108年頃の古朝鮮の事を指す。古朝鮮とは檀君朝鮮、箕子朝鮮、衛氏朝鮮の3つの国の総称だが、その内檀君朝鮮は考古学的、史学的な裏付けがない。中国の伝説的王朝である夏が前20世紀頃から400年続いたとされるのに対して、檀君朝鮮は前24世紀頃から5000年続いたとされている。箕子朝鮮、衛氏朝鮮は『史記』によれば殷の皇太子の箕子、燕の武将衛満がそれぞれ朝鮮半島にやってきて建国したと書かれてある。

 余談だが、氷河期の終わりから5000年間は朝鮮で人類が生息していた痕跡は確認されていない。前50世紀から土器の存在が確認できるが、土器の形状やDNA研究、言語研究などから、当時は日本の縄文人が朝鮮半島にも住んでいて、互いに交流・交易していたということが伺える。


エジプト

 ナイル川流域で発展した文明。AOMにも存在している。各王朝は時代ごとに古王国、中王国、新王国など10の期間に分けられている。gギザのピラミッドは古王国、ツタンカーメンやアブ=シンベル神殿は新王朝のものである。数学などの技術は高く、太陽暦や十進法、測地術、パピルス(paper)などを発明している。

 外国との有名な戦いとしてカデシュの戦いが挙げられる。前1274年にシリア北部でラムセス2世率いるエジプトとムワタリ2世率いるヒッタイトが衝突した。最後は平和条約(現存する中で世界最古)を結び引き分けに終わった。

 エジプトは砂漠地帯だが、ナイル川の流域は農耕が可能となる。ナイル川の氾濫を予測するために上記の物が発明されたりした。メソポタミアは多くの国や民族が争いを繰り返したが、エジプトは比較的平和で3000年程エジプトの王朝の時代が続いた。最後はローマに滅ぼされる。

 古代ギリシアの歴史学者ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜物」という言葉を残している。エボンの賜物ではない。


ギリシア

 現在のギリシャで活動していた文明。元々ギリシャよりも北に住んでいたが、前20世紀と前12世紀頃に南下してきた。かつてのギリシャととの周辺にはミノア(クレタ)文明、ミケーネ文明、トロイア文明といった文明が存在していた。
 ギリシアは民族の違いにより民主制政治を築き上げたアテネと厳しい軍国主義のスパルタに二分される。ギリシャ神話や哲学、パルテノン神殿など、文化芸術学問の分野で大きな発展を遂げた。

 またギリシアの民は地中海を渡って各地に移り住んだりもした。例えばフランスのマッサリア(マルセイユ)、イタリアのタレントゥム(タレント)、シチリアのシラクサが代表例である。

 アテネやスパルタは前4世紀になって個人主義の台頭や自作農の没落、衆愚政治や紛争などで力が弱まり、最後はマケドニアに覇権を奪われる。しかしマケドニアがオリエント(中東)で大きな帝国に成長することでギリシア文化はヘレニズム文化として更なる発展を遂げた。ユークリッドやアルキメデスなどがそれを代表する人物である。


ヒッタイト

 前20世紀頃に北方からトルコ辺りに侵入してきた文明。かつてはヒッタイト王国が世界で初めて鉄器を扱った文明とされていたが、現在では学術的に否定されている。バビロン第1王朝やエジプト中王国と戦った。

 前17世紀頃の建国当初からヒッタイト王国は猛威を振るっていて、前16世紀頃にはバビロン第1王朝を攻め落とした。しかし資源を浪費して首都を放置していたため当時の王ムルシリ1世が暗殺され、以後しばらく弱弱しい時期が続いた。
 前15世紀頃になって再びヒッタイト王国が力を取り戻し、ヒッタイト帝国時代と呼ばれる時期に入る。同盟と征服を繰り返して力をつけるが、王が代わると首都が陥落するまでに弱まる。しかし前14世紀頃に再び領土を取り戻す。その後カデシュの戦いを経て、アッシリアの台頭によりヒッタイト王国は滅んだ。


ラックベト(甌雒)

 前4~1世紀頃のドンソン文化の時代の北ベトナム文明。おそらく甌雒(おうらく)という国のことを指すと思われる。ドンソン文化とは銅の太鼓に代表される金属器文化である。

 秦の侵攻を受けていたところを古蜀(中国の小国)の元武将の蜀泮が助け、その流れで建国したらしい。秦の再侵攻に備えて古螺城を築いたが、秦が滅ぶと敵がいなくたったために内乱に発展して滅亡した。以降ベトナムは南越国を経たのち、漢などの中国王朝に長く属するようになる。その後中国から独立するのは10世紀頃となる。


マケドニア

 ギリシアでの覇権を手に入れ、オリエント(中東)に東征し統一帝国を築き上げた文明。東征時の王アレクサンドロス大王、イッソスの戦いで彼に敗北したアケネメス朝ペルシアの王ダレイオス3世が有名で、Fateのイスカンダル・アレキサンダー、ダレイオス3世の元ネタでもある。

 前338年のカイロネイアの戦いでマケドニアはギリシアの覇権を得る。前336年に王になったアレクサンドロス3世は東征を始め、10年程で東はインド西端部や中央アジア、西はマケドニアやエジプトまでを制する巨大帝国に仕立て上げた。共通語としてギリシア語が採用され、東西文化の融合が進んでヘレニズム文化が構築された。

 ただアレクサンドロス大王は後継者を決めていなかったため、死後は後継者争いで、アンティゴノス朝、セレウコス朝、プトレマイオス朝の3つに帝国が分裂した。その2,3世紀後には3つともローマに攻め落とされた。


ミノア(クレタ)

 前20~14世紀にギリシア人南下の前にクレタ島に存在した文明。クノッソス宮殿やミノタウロスが有名で、Fateにもこれが元ネタのキャラクターが存在する。宮殿跡の様子からして開放的で平和な文明であったことが伺える。

 同期のギリシア文明として、ミケーネとトロイアが挙げられる。ミケーネはギリシア本土に存在した文明でいくつかの小国に分立していた。青銅剣や石門が発掘されており、戦闘的な文明であったことが伺える。
 トロイアは文字通りトロイの木馬が有名な文明である。小アジア(トルコ西岸)に存在し、強大な王権により統治されていた。ギリシアとの戦いの際、オデュッセウスの案でギリシア軍がトロイの木馬を海岸に放置して撤退し、トロイアがそれを自陣内に入れたことで、中にいたギリシア軍が奇襲を仕掛けることに成功し、そのままトロイアは滅んだ。

 クレタ島では数々の美術品が発掘されている。ただミノア文明が使用していた文字は未だ解析が終わっていない。


パルミュラ

 3世紀頃、ローマ帝国が存亡の危機に立たされていた時に3年間だけ独立した帝国。高校の世界史では一切出てこない。パルティアじゃないのかよ。

 3世紀のローマは、様々な軍人が武力で次々に皇帝に成り代わり、辺境で諸民族が度々襲撃を起こし、東ではササン朝ペルシアに皇帝が捕らわれたりと、崩壊の危機に瀕していた。パルミラ地方はササン朝ペルシアとの戦いでローマに尽くしていたが、ローマの危機に便乗してローマ帝国を乗っ取ろうとしたっていうところか。ようわからん。


ペルシア

 アケネメス朝ペルシア、アルサケス朝パルティアなどに代表されるイラン人の文明。AOE2のペルシアはササン朝ペルシアやブワイフ朝、サーマーン朝、サファヴィー朝などが元ネタ。順番などはwikiを参照願う。

 前8世紀までのメソポタミアは小規模の国が複数ある環境が続いていて、アッシリアが初の統一王朝として君臨した。しかしアケネメス朝ペルシアはその最大領土をはるかに超える規模の帝国に成長した。それに伴い、地方分権制や貨幣制、シルクロートによる交易など進んだ社会制度が整備された。先述のヘレニズム文化を担い、また善神アフラ=マズダと悪神アーリマンで有名なゾロアスター教(拝火教)を国教とした。文化においてはシルクロードや遣唐使を通じて、水差しやガラス碗などが日本の正倉院まで輸送されている。


フェニキア

 レバノンを拠点として地中海周辺の各地に移り住んだ民族。アルファベットの元となる文字をつくったり、造船・航海術を発展させたりした。各地域との海上交易で栄えた、いわば商人民族である。古代の歴史学者ヘロドトスによれば、一部のフェニキア人はエジプトのファラオの命で紅海から時計回りにアフリカ大陸を1周してエジプトに戻ってきたという。


ローマ

 かつて地中海周辺を統一した巨大な帝国。ロムルスとレムスの建国神話に始まり、カエサルなどの共和制、アウグストゥスなどの帝政を経て、400年頃に東西に分裂。東ローマ帝国はビザンツ帝国(ビザンティン)としてさらに1000年程残るが、西ローマ帝国はフン族を発端とするゲルマン民族の大移動によりゴートに滅ぼされる。

 キリスト教が広まったのもローマ帝国の時代である。28年頃にイエスがユダヤ教の選民思想や律法主義を否定して、神の前の平等などを説いた。しかしローマ帝国への独立反乱の指導者として十字架刑に処せられる。イエスの復活を信じて民衆がイエスの残した福音に救いを求めるようになり、帝国の迫害を受けながらもそれが帝国中に広まった。帝国崩壊の危機もあって、最後はコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認、テオドシウス帝が国教化した。


漢(シャン)

 劉邦により建国されて約200年、間数年を挟んで子孫の劉秀が再建して約200年続いた中国王朝。郡国制などの政治システムが構築され、塩鉄酒の専売や貨幣の統一、均輸・平準法など経済システムも構築された。北の匈奴、東の朝鮮半島、南のベトナム、西のフェルガナなどといった外敵を征し、ローマ帝国とも交流を交わした。現代では世界の中心はアメリカ、その前は西ヨーロッパというイメージがある人が多いだろうが、世界史的にはかつては世界の中心は長らく東アジアであったとされている。

 建国者の劉邦は「項羽と劉邦」の劉邦である。四面楚歌や虞美人も「項羽と劉邦」に登場する言葉、人物である。また漢が滅んだ後は三国史の時代に突入する。


シュメール

 前30世紀頃にティグリス、ユーフラテス川沿いに発展した文明。『ギルガメシュ叙事詩』の舞台である。シュメールの都市国家群の王たちは、ギルガメシュをはじめ、伝説を残して後世に崇められた人物が多い。建造物としてはジッグラト(神殿)が有名。

 メソポタミアにおいては最古の都市国家を築いた民族であり、ジッグラトを中心として家が建ち並び、周りを城壁が囲む都市を形成した。前24世紀頃に各都市国家が統一され、アッカド王国が誕生した。文化的には太陰暦や六十進法、占星術が発明され、農耕などに役立てられた。


大和

 古代日本、大和政権の事である。日本史では大和政権の成立の話を書かないからわかりにくい。中学はともかく、高校ではずっと古墳についての話が続いたかと思えば、いきなり大和政権下の役職の話になるから訳が分からない。さらには用語の説明ばかりするから、どういう流れでそうなったのかがどの時代もわかりにくいし、肝心の用語の意味も分からずじまい。

 ついでに言うと、AOE1, AOEDEの大和のキャンペーンは滅茶苦茶である。大和と出雲が対立してるし、出雲大社は燃やすし、DEになって中国の秦の部下が大和を作ったとかデタラメ文章追加してきたし。ちゃんと神武東征とか再現してくれ。