見出し画像

全世界がニューヨークを目指す?地域性がなくなる現代を生きる


はじめに 

 世界は均一化している。どんなに遠く、地球の裏側に行っても、馴染み深いチェーン系カフェでコーヒーを頼むことができる。見覚えのあるスーパーで買い物することができ、日本で見られるのと同じ映画や音楽に触れることができる。  
 これは交通インフラの整備やネットワーク環境の充実が進んだ事による均一化である。地域間、国家間を多くの人々が行き交い、どこでも同じようなサービスを受けることができ、生活をすることができるようになってきている。 
 一見ポジティブなこの変化だが、失われつつあるものもある。郷土料理、行事、民話や民謡といった地域特有の文化だ。「文化」という言葉で表さないにしろ、地域の生活に根付いた商店や暮らし方も失われつつある。 
 これら「地域性」の喪失にはどのような問題があるのだろうか。 
 
 

地域性は守るべきものか?

 第一に、地域性を守ることは重要である。地域性とはその地域で生まれた文化であり、歴史であり、これらを守ることの重要性は二つの視点から考えることができる。文化を生み出した人と継承している人の「当事者」の視点と、そこに新たに価値を見出している「第三者」の視点だ。 
 当事者の視点から文化を見ると、文化そのものが彼らの大切にしている価値観、ひいてはアイデンティティであると言える。そのため文化を失うことはただ単に慣習や技術が失われるだけでなく、彼らのアイデンティティを失うことを意味する。自分自身の拠り所となるものを失うことを見過ごすことはできないだろう。 
 一方で「第三者」は、その文化自体に他にない価値を見出し、そこから利益を得ようとする。特定の地域でしか味わえない料理、楽しむことのできない経験を観光客等に提供することを生業とする人々は、その価値をより高いものにして提供し続けたいと考えるだろう。 
 このように、当事者的視点でも第三者的視点でも地域性を守っていくことには非常に大きな意味がある。 
 
 

どう守っていくか 

 そもそもなぜ地域独自の文化が消えてしまうのだろう。考えられる理由は二つだ。それは、変化をつけるのが難しいことと、手間がかかることである。 
 地域の文化には、人々の生活の中で産み出され育てられてきた歴史がある。そのため、デザインや味付け、作法などには一定の型が決められていて変化を加えることが難しい。洋風・都会風なデザイン性を求める人や、味覚の西洋化に影響された現代人がそういった地方特有の文化から離れていくことは想像に難くない。 
 さらに、これらの文化は「手間がかかる」という側面も持っていることが多々ある。伝統的な行事や料理は準備に時間がかかる傾向にあり、手軽に便利に楽しめるコンテンツが登場した今、人々は時間がかからないことに価値を見出している。 
 この二つの壁を乗り越えて伝統を守っていくには、独自の価値をより高いものにして再構築する必要がある。他では経験することのできない魅力を前面に押し出し、消費者のニーズに合わせたサービスを提供することが重要だ。 
 
 

終わりに

 
 地域性が失われることのデメリットを強調してきたが、世の中が均一化していくことは悪いことばかりではない。世界が繋がり、価値観が共有されることでどんな場所にいても様々な経験ができるようになっている。むしろそのことを逆手にとって、どんな場所にいても「ある地域の文化」を体験できるようにしてもいいのではないだろうか。 
 いずれにせよ、様々なことを体験し経験できる世の中が続くことを願う。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?