最近「何も言っていないコメント」多くない?
以前「コメントを見るのやめた」という記事を書いた。
これについて、もう少し深堀りしたいと思う。
「コメントもコンテンツの一部である」という言葉があるように、コメントはメインのコンテンツに対して付加価値を与えられるものだと思っている。
付加価値というのは例えば、
補足
要約
反論
意見 など
主コンテンツにコメントが加わることで付加価値がつく。メインコンテンツという情報を見て、コメントで更に追加情報を得られるということ。
付加価値(追加情報)があるからコメントを見る意味があるわけだ。
もちろん、くそ真面目なコメントでなくてもいい。
ボケ
ツッコミ
大喜利
こういうのも付加価値となる。
が、世の中にはコンテンツに付加価値を与えないコメントがある。
ひとつがそもそもメインコンテンツを読めていないコメント。これはTwitterのクソリプと同じで、読解力がない人は昔からあるので今さらどうでもいいしどうにもならない。
そして、最近になって気になっているのが「何も言っていない情報量ゼロのコメント」である。これがすごい気になる。
メインコンテンツを読めていないわけでもないが、付加情報が全くないのだ。ちなみに、ブログに限らず、Youtubeとか漫画アプリとか全部ね。
例えば「桃太郎」という作品があったとして、次のようなコメントが書き込まれる。
「桃から産まれてきて草」
「イヌ・サル・キジを仲間にするのすき」
「鬼を退治できるのつよ」
「だからどうした」としか言えない。内容をそのままコメントに書いているだけだ。
このように何か言っているようで何も言っていないコメントが多い。小泉進次郎構文か。
しかも、こういうコメントが多くのいいねを集め、露出を増やしている。
「桃から産まれてきて草」とか、メインコンテンツに書いてあることを
そのままコメントに書き出して、なぜ草が生えるのか理屈がわからない。
普通に読んでるとなかなか気が付かない視点や切り口から突っ込むからこそ、コメントをみて「なるほど」「たしかに」「おもしろい」となるわけだ。
それともアレか。「桃から産まれてきて草」ってコメントをみて「あ!確かに桃から産まれてる!すごい!」って気づく人が多いのだろうか。
まさかとは思うが、マジでこの可能性もなくはないご時世なのが怖い。
まぁ実際のところは、
「○○で草」「□□なの好き」という「ボケやツッコミや大喜利や皮肉」に使われる構文がある
「ボケやツッコミや大喜利や皮肉」で使われているという文脈・コンテクストが読めないか、読めても自身でボケを創造する能力はない人がほとんど
「とりあえず語尾に"草"とか"好き"とかつけてみる」みたいなガワだけをトレースする人間が増える
過半数の人間は文脈・コンテクストが読めてないので、違和感を感じずにいいねを押す
こんな感じで「何も言っていないコメント」が増殖してるんだと思う。
何度も言ってるけど、言語能力やばい人多いよね。
これって昔からそうで、可視化されただけなんだろうか?でも、昔と同じアプデされてない義務教育を受けてるなら、相対的に教育レベルが下がっていてもおかしくない。
授業以外はYoutubeとTiktokしか見てない人がほとんどだろうし。と言っても、昔もテレビしか見てない人間もいたか。
とりあえず、ここを読んでいる「日本語が読める遺伝子ガチャ」にあたった皆さんはほんと良かったですね。
AIと共存できるように頑張りましょう。
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