ぼくは教師になれない
こんばんは。ふらっとです。
教員になれた
わたしは、教員になれました。
しかも、採用試験に落ちたのに教員になれました。
さらには、給料も変わらないという噂です。
けれど、わたしは感じています。
教師にはなれない
どうやら、教師という意味を調べてみると、このような意味をもっているそうです。
学業や技芸を教える人や、宗教上の教化を担う人などのように、さまざまな立場で他者を教える人を指す
一方で、教員はというと、
直接教育に従事する職員
細かくはこの記事を読んでください。
そう考えていくと、私は教師にはなれないと思いました。
「なりたいのになれない」じゃありません。
「なれ」と言われてもなれない
ぼくには夢があって、
学びたい人が学ぶことのできる世界
をつくろうとしています。
ここには、『学びたい』が先にあって、それを『一緒に』学ぶことができる世界が広がっています。
そこには、教える⇒教わるという既存の考えではなくて、学ぶ⇔学ぶという双方向の考えがあります。
この『学ぶ』中には、主体性が眠っていて、自ら掴みにいくことが不可欠だと信じています。
学びについては、すでに記事を書いていて、ここに少し乗っています。
『学び』について一言でまとめるなら、
自ら情報をインプットし
仲間へアウトプットすることで
互いに高め合う共育のこと
ぼくには、これならできると思いました。
なんなら今もやっています。
だからわたしは学ぶことはできるけれど、教えることはできません。
だからこそ、ぼくは想いをもって行動していくことにしました。
そして、行動した結果。
支援者数40名
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