こうして私は生き抜いた
今までの人生を振り返った時に、小学校低学年までの記憶が断片的にしかないです。
小学校低学年までの記憶の中で覚えている事は、2つだけ。1つは、小学校入学前に両親が喧嘩して父が家に放火しようとして黒焦げになった床と、年子の姉がストレスで髪の毛を抜いて坊主に近い状態になってしまった事です。
何故、記憶がないかと聞かれると虐待されたことによって自己防衛のために記憶がないのだと思います。
私は、4人兄弟の次女として生まれました。両親は私が小学校1年生の頃に離婚し、母子家庭で育ちました。両親が離婚した頃から、下の妹たちはまだ幼かったこともあり私は自立して過ごす様に育てられました。我慢して、家事を手伝って、妹の面倒を見ることを小学生ながらも要求されてきてきました。
母は離婚して、しばらくして何人かの男性と付き合っているのを知っています。母が付き合ってた人と時にトラブルになることもあり、時に既婚者のパートナーの方が乗り込んできたこともありました。小学生ながらに男女関係のトラブルをよく目の当たりにしてきました。
そして私が中学生の時に母はある男性と出会って、そこから私たち家族の人生が大きく変わりました。母はその男性と交際するようになり、毎日の様にその男性は家に入り浸るようになり、その男性の好物ばかりを作り、お酒を出して、気に食わないことがあると母に暴力を振るい、母から私たち姉妹に暴力や暴言を言われる日々が続きました。そんなある日、母はその男性の子どもを妊娠して、中絶することになりました。その頃から、姉の様子がおかしく母と喧嘩する頻度が増え、母とその男性が性行為をしている現場を目撃し、家をでていくことになりました。そんな中でも、その男性からの母に対する暴力や私たち子どもに対しての性的発言は日常的に続きました。母からも「お前を産まなければ」「気持ち悪い」などと日常的に言われる日々が続き、時には家を追い出されて真冬に野宿することもありました。そんな日常が続き、『死にたい』『消えてしまいたい』『今死んだら、楽になるのかな』と考えが出てくるようにリストカットをするようになりました。最初は、リストカットをすることで心の痛みを体の痛みで紛らわすことができて、すーっとした感じがして何とも言えない気分になりました。リスカットを習慣的にやっていたわけではありませんでしたが、母からの暴力など耐えれないほど辛い時にリストカットをするようになりました。そんな生活を中学生~高校生までの期間過ごしていました。
私は、この中学生・高校生の時に出会った3人の学校の先生達のおかげで人生が変わることになります。
今、辛かったことも経験してきたのは事実としてありましたが、この経験があったからこそ今仕事で明確にやりたい事が分かったのだと思います。人生無駄なことなどないと言われるけど、確かにその通りだと思います。遠回りもしたし自己肯定感も低いですが、それなりに年をとるごとに自分らし生きる事ができて、自分の事が好きになっていると感じています。
今があるのは、自分のことの様に考えて私のことを守ってくれた人たちがいたからだと思います。
自分自身、信頼できる大人なんていないと思っていました。だけど、自分が全て包み隠すことなく悩みを打ち明けることで受け止めてくれる大人はいる事も事実としてあります。一歩踏み出す勇気はいるけど、その信頼できる人は力になってくれます。1人で悩みを抱えこむことなく、誰かに助けを求めて欲しいと思います。
私は、私を守ってくれた信頼できる人達のように今を悩む人たちの力に少しでもなれるようにこれからも仕事に励んでいきたいと思います。