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私が勉強する理由

私はセクシャルマイノリティの当事者であり、看護師として小児科・産婦人科のある病棟で働いています。今は性教育や依存症、自傷、児童虐待を中心に勉強しています。


私は虐待を受けて育ってきました。両親は離婚していて、女で一つで母は私たち姉妹を育ててくれました。今となっては、母のことを恨んではいませんが暴力を振るわれたことや「お前なんて産まなければよかった」などと言葉の暴力、時には食事を食べさせてもらえなかったり、怒られて家を追い出して野宿したこともありました。時には、母の交際相手が目の前で母に暴力を振るっている場面を目撃したことや母の交際相手から性的な発言を何度も受けたこともありました。

そうして育った中で、『死んでしまいたい』『死んだら、楽になるかな』と思ったことが何度もありました。その中で、リストカットやタバコ腕に押し付けたり、ネットで知り合った人と無防備な性行為をしたりもしたことがあります。


元々女性として生まれた自分のカラダに違和感を感じている中で、看護学生の時にゲイやレズビアンの友達ができたことで自分自身の性について向き合うことになりました。小さい時から男性に対して恋愛感情を抱いたことがあまりなかったですが、自分は女性として生まれたから男性と付き合うのが当たり前というような考えが母にはあったので、女性に対して惹かれていも気のせいだと思って看護学生になるまでは生きていました。

看護学生の時に初めて女性と付き合うようになり、今まで男性と交際したことはありましたがその時に感じたいた窮屈な感情を抱くことなく女性と付き合うことができました。そんな中で、元々女性として生きていくのに違和感を感じていてネットでLGBTやセクシャルマイノリティについて検索したりする中で、GID(性同一性障害)だと思うようになりました。そう思って、当時付き合っていた彼女に付き添ってもらって病院に受診してGIDと診断されました。それから、家族に相談をせずホルモン注射を打つようになりました。ホルモン注射を打つようになり、カラダの変化が出てくる前に家族へカミングアウトをしましたが結果としては「気持ち悪い」「男になるのは無理があるからやめときなさい」「気の迷い」と否定的な発言をされて未だに家族には理解してはもらえていません。

今はXジェンダーと自認して生活しています。自分自身がXジェンダーと思う理由は、『自分は自分』『性別は男女の2つではない』と思うようになったからです。簡単に言えば、性別を男女のどちらかに当てはめるのが煩わしくなったのもあると思います。今もホルモン注射は続けていますし、昨年の夏に胸を切除しましたが、それは男性になるためではなく一人の人間として生きていくための方法の一つとして手術を受けました。

仕事ではカミングアウトをせず、女性として過ごしています。見た目など男性的であり、戸惑われることや嫌な思いをすることもありますが戸籍上の性別にこだわることなくこれからも過ごしていきたいと思っています。

自分自身が自分の性に対しても感じたことですが、その時の状況によって性自認や性的指向が変わることはあると思います。LGBTと聞いて、当事者じゃない人は芸能人などメディアに出ている人を思い浮かべるかもしれません。ですが、実際にはセクシャルマイノリティにも様々な方がいて同じ人は一人もいません。LGBT当事者でなくても、同じだと思います。


LGBT当事者として、虐待を受けて育ってきた当事者として性や生について興味をもって今勉強しています。

看護師として色々な方と接する機会があり、自分の興味のあることを勉強しながら今日も自分自身が生きている理由を探しているのだと思います。

もちろん、自分が経験してきたような思いをこれから未来のある若者に体験し欲しくないという思いもあります。

勉強して知識を身に着けることで、自分自身が今まで経験してきた体験や心理状態を知りたいというのが根底に今もあるのだと思います。

これからも自分が生きている理由を探しながら、看護師として関わる方々と真摯に向き合っていきたいと思います。

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