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武郷(たけさと)神社

鳥取県西伯郡大山町にある武郷神社は、経津主命、武御雷命、五十猛命をお祀りする神社です。

長い階段のある参道
随神門正面

建保二年(1213年)以前の創建。
猛ノ庄の庄司である竹本庄司光忠が平素から崇敬していた、経津主命、武御雷命、五十猛命を鎮祭していたが、竹本氏死後にその神霊を合祀。
猛ノ庄の中央にある竹の宮に広大な社地を設け、社殿を建立。
猛ノ庄の総産土神として奉り、猛大明神と称した。
正保三年(1646年)中核である神社氏子であった東坪村(真子神社)を分離した。
倉谷村坊垣と言うところに八町余りの山林を氏子より寄進してもらい、新社地を設け、猛大明神も遷し、猛ノ庄、四ヶ村の本社、寶宮大明神と改称した。同時に倉谷、木料、前谷の小社三社合殿の社を建てた。
倉谷の法恩寺にあった客大明神も遷して一緒にお祀りするようになった。
慶應四年の鳥取藩の神社改革の際、小竹神社と改称させられ、倉谷、木料、前谷の祭神も各村社に改称させられようとなったとき、氏子内で紛糾が起きた。
そのため、明治十三年に許可を得て、小竹地区の現在の社地に遷宮を行い大正十五年に武郷神社へ改称した。

昭和10年 鳥取県神社誌より
拝殿正面

武郷神社も真子神社の御祭神も経津主命と武御雷命がおられるのも、元は同じお社でお祀りされていたからだったんですね。

庄司と言うのは、荘園を管理する役人だったようですので、竹本氏は武家の関係だったのかもしれません。
ご祭神の経津主命も武御雷命も国譲り神話で、大国主命に国譲りを迫った神様ですし、経津主命は刀の化身とも云われる神様です。
そんな神様を奉るのはやっぱり武家と考える方が良いですよね。

木製の由緒書
石製の由緒書
本殿の龍の彫刻
本殿の彫刻

中央に太陽、両脇に夫婦岩がシンメトリーに作ってあります。

本殿正面の彫刻
月とカラスと雲のように見えます
桜紋のように見えます
本殿


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