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ニンジャスレイヤー二次創作:ドリーム・オブ・ザ・ウィナーズサークル

『先頭はアイアンアロー、先頭はアイアンアロー! おっとここでモーターシュンメが追い上げる! そのままタックルを仕掛け……大きくよろめくアイアンアロー! 追い抜きました! 先頭に躍り出たモーターシュンメ! さらに外から後続のアシガハヤイ、チタンゴウキン、マグロテイオー、ヤバイモヒカン! アイアンアローは最後尾に転落! しかしレースの行方はまだわからない! まだわからない……』

 ネオサイタマの一角に存在するヨコナギ競馬場。そこで日夜行われているのは、市民の熱狂迸るサイボーグ競馬である。ボディの一部分または大部分をサイバネティクスに置換したサイバー馬達が、文字通りのぶつかり合いも辞さないダイナミズムあふれるレースを繰り広げるのだ。

 観客席には馬券を握りしめながら、日頃露程も信じていないブッダに対してこの時ばかりはと心から祈りを捧げる者達の叫びがこだまする。ある者は拳を大空へと突き上げ、ある者は両掌を大地に擦り付け、訪れた人間の人生をあらゆる方向に流転させてゆく。まさに喜怒哀楽のケオスの縮図である。そしてそれは、観客だけに限ったことではなかった。

「ドーモ。どうですか、コイツの調子は」

 サイバー厩舎のメンテナンス馬房内。ナガレは、サイバー馬の傍らにいるカミネへと声をかけた。

「ドーモ。ナガレ=サン。だいぶいいですね。これなら明日のレースも問題ありませんよ」

 カミネはこの厩舎に所属している女エンジニアである。不健康そうな癖っ毛を意味もなく掻きながら、眠そうな愛想笑いとともにバイタルデータを確認してみせた。

「そいつはよかった。なんたって、オレ達のこれからを左右するような大舞台ですからね」

 ナガレは馬のサイバネティクス置換されていない背中の毛並みを撫でながら、その精悍な顔つきで微笑みかけた。彼は目の前の馬のジョッキーであり、まだデビューから間もない新人騎手でもあった。

 馬の名はトテモミサイル。ナガレとは対照的とも言える実力派のベテラン競走馬であったが、近年は成績の衰えが否めなかった。そこにサイバネティクス置換率をさらに上げることでその問題を克服しつつ、新進気鋭の若きジョッキーたるナガレと組ませることで、ドラマティック性を重点し返り咲きを図ろうというプロモートである。事実、ナガレの元には新人とは思えぬほどにマスコミの目が向き、TVや新聞の取材を受けたことさえあった。ナガレ自身はこの露骨なまでのプッシュに思うところがないわけではなかったが、かつての勇名を背負った名馬とともに走ることは紛れもない誉れであり、この機会を逃すまいという気持ちを一層強固にさせているのだ。

「そうだ……コースを一着で駆け抜けて、一緒に新たなスターになろうぜ、トテモミサイル……!」

 ナガレはトテモミサイルへと感情移入しながら、明日に控えた松尾芭蕉杯に向けて、気持ちを整えていく。もうすぐ自身も本格的にコンディションを整えるため、調整ルーム入りしなければならない。

「やあやあ、キアイは十分のようだねェ。ナガレ=サン」

 その声を聴き、ナガレとカミネは半ば条件反射的に顔を向けた。堅太りした身体に趣味の悪い高級スーツを身にまとった男、エバザキである。日焼けした肌がギラつき、右眼周辺まで大きく置換したサイバネ義眼には金色の装飾が施されている。この男は磁気嵐焼失後の混乱期にあったネオサイタマにおいて成り上がった人間の一人であり、明日開催される松尾芭蕉杯の大口スポンサーでもあった。ナガレのプロデュースにも大きな影響力を持っており、その暗黙の上下関係は絶対だ。

「……」

 その隣には油断なく周囲に目を光らせる護衛……メンポをつけた……然り、ニンジャである。ニンジャという存在が公然のものとなって久しい時代、エバザキのような権力者が傍らに従わせている光景など珍しくはない。しかし場のアトモスフィアが何重にも張り詰める感覚は、モータルの彼らにとっては慣れるものではなかった。

「……ドーモ。エバザキ=サン。ええ、明日はやってみせますよ!」

「頼もしい限りだよ……君には期待しているからねェ! 私はナガレ・レウイチがサイボーグ競馬ジョッキーの新時代を切り開くと信じているんだ!」

 エバザキは大仰に手を広げ、熱く語ってみせた。言葉の勢いとは裏腹に、そのアトモスフィアはいかにも芝居がかっていたが、この場で誰もそのことを表に出せるものはいない。

「オレだけじゃなくて……トテモミサイルも、ですよ」ナガレは愛想笑いを浮かべながら、自らの半身とも言えるサイバー馬へと軽く目をやった。

「オット……そうだったね。ウン。馬にも頑張ってほしい。なんたって明日は……」「エバザキ=サン、そのう……ナガレの奴はもうすぐ明日に向けての調整に入らなきゃいけないもんで……」

 エバザキに同行していたオガノが恐る恐る口を出した。彼はこのサイバー厩舎を預かる責任者であり調教師である。エバザキとは正反対とも言える印象の痩せた中年男で、エバザキから厩舎運営などに関して多額の出資を受けている一人でもあった。

「ああ、わかったわかった……じゃ、後は任せたよ」

 オガノに対して鬱陶しそうな視線を隠そうともせず、エバザキは乱暴に手をぶらつかせて馬房から出ていった。無論、護衛のニンジャも。その場の三人は皆安堵の息を吐き、空気の変化を喜んだ。

「……アイツ、いッつもああですよね。自分の世界に入っちゃってて、それ以外はどうでもいいって感じで。カネモチってみんなああなのかな」カミネがぽつりと言葉を漏らした。

「ちょっとやめないか。俺達はエバザキ=サンのおかげで飯が食えてるようなものなんだ」オガノが咎めに行く。だがその語気はお世辞にも強いとは言えない。「そりゃァ……わかってますけど……」

 カミネは自分が管理するトテモミサイルに目を向けた。結局、あの男は一度もこの馬を見もしなかったのだ。それがカミネには腹立たしかった。

「大丈夫ですよ、カミネ=サン。明日オレが結果を出して見せれば、エバザキ=サンだって見直してくれるに違いない」

 歯を見せて爽やかに笑うナガレ。いくつか歳の離れた若きジョッキーの笑顔に、カミネは途方もない頼もしさを感じさせられた。灰色に包まれたネオサイタマにおける太陽になってくれるかも知れない、そんな少女のような気持ちに。その太陽を登らせる手伝いができるのはこの上なく光栄なことであり、自分の人生そのものを照らしてくれる光でもあると、荒れ気味の頬を指で掻きながら噛みしめる。

「明日のレース……この子のためにも、お願いしますね」

 撫でられたトテモミサイルはブルルと穏やかに鳴いた。どこにでもいるパッとしないエンジニアであった彼女にとって、競走馬としての下り坂を迎えていたトテモミサイルの再起プロジェクトメンバーに選ばれ、さらにはこうして専属のスタッフとして残ることができたのは僥倖というほかない。故に、その思い入れの深さは騎手であるナガレにも負けてはいなかった。

「まかせてください。カミネ=サンのメンテあってこそですからね」

「……」オガノは笑い合う二人を神妙な面持ちで見つめている。彼もまた、トテモミサイル再起プロジェクトの一員だった男だ。

「どうしました、オガノ=サン?」いつもはもう少し口数の多い人ではなかったかと、カミネが訝しみ声をかける。「いや……なんでもない。さあ、そろそろ行くか、ナガレ」「ハイ!」

 カミネはその態度が気にならないではなかったが、本番を前に余計なことに気を回している暇はないと気持ちを切り替えた。馬を預かる立場である以上、明日の成否は自分の肩にかかっていると言っても過言ではないのだ。ナガレの調整が終わった後にはレース直前の最終調教も控えている。踏ん張りどころだ。彼女はポケットに常備しているバリキドリンクを飲み、ニューロンをブーストさせモニタへと向かった。

 翌朝。最終調教を滞りなく終え、レース開始まであと数時間。今頃ナガレは一足先に競馬場の控室で仮眠でも取っている頃だろう。カミネも思わず欠伸が漏れた。「フアア……!」顎の筋肉が攣りそうなほどに口が開く。普段から女らしさなどとは無縁だが、さすがにこんな顔はナガレには見せられないなと考えた後に、おかしくなってまた勝手に吹き出しそうになった。

「……あれ、オガノ=サン……?」

 カミネは馬房のトテモミサイルの傍らにいるオガノの姿を見た。何をしているのだろうか。調教師でもある彼が馬に寄り添っていること自体は不思議ではない。だが、カミネのサイバーサングラスはオガノがその手に持ったフロッピーディスクをトテモミサイルの首部分に設けられたスロットへ挿入している様をはっきりと捉えていた。

「……スミマセン、何かあったんですか?」「!!」

 オガノは一瞬身体を震わせ、その後すぐにいつもと変わらぬ表情でカミネの方を向いた。スロット横の液晶画面には「インストール正常な」のミンチョ体。……何を?

「いや、これは……」「何かの、プログラム……?」「ただの、改善パッチだよ……根幹プログラムを少しでも最適化できるようにメーカーの知り合いに頼んでおいたやつが、ギリギリで届いたんだ」

 カミネはその言葉に奇妙さを覚えずにはいられなかった。なぜ? このタイミングで? しかも、専属のエンジニアである自分に無断で……解せない。

「本当にちょっとしたものでな、これぐらいなら君の手を煩わせるまでもないと思ったまでだ……その、全然寝ていないんだろう。スタジアムはここから近いんだ、少し休んでおくといい」

 オガノの言葉はいかにも自分を気遣ってのように聞こえるが、この土壇場でプログラムに変更を加えるなど……万が一を考えればありえない。だが、彼が悪意を持ったプログラムを仕込む理由もカミネには考えつかなかった。もしも誰かがこのレースを台無しにするようなことがあれば、エバザキが黙ってはいないだろう。さらにあのニンジャの存在もある。裏切ればどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。

「ありがとうございます。……でも一応エンジニアとして、この子のデータチェックだけはやっておきますね」「ああ……わかった。だが、少しぐらいは休んでおくんだぞ」

 オガノは特に止めることもなく、馬房を後にした。カミネは眠い目をこすりながらトテモミサイルに内蔵されたUNIXにコマンドを走らせ、妙な部分がないかを確認してみたが、少なくともこれといった異常は見当たらなかった。もちろん完全な検査などには程遠いが、一応の安心を得ることぐらいはできた。

(やっぱり、あたしの考え過ぎかな……)

 第一、本当に第三者からの明確な害意があるとすればこんな回りくどいやり方は取るまい。オガノはこの厩舎の最高責任者であり、それこそ各種スケジュールにも口を出せる男だ。もしも本気で対立陣営などに抱き込まれたのであれば、もっと簡単かつ確実な方法がいくらでもあるはずなのだ。バリキで根を詰めたこともあって、些か神経質になりすぎているのかもしれない。

「言われた通り、ちょっとぐらいは寝るかなァ……またあとでね、トテモミサイル」

 手を振るカミネ。トテモミサイルはブルルル、と見送るように鳴いた。

 カミネが目を覚ました後も、馬の移動や準備など全て問題なく進行した。ナガレとトテモミサイルは既にゲートインを済ませ、カミネはオガノとともに関係者席でレースの開始を待つばかりだ。

「そうだ……大丈夫だ、何も問題ない……」「オガノ=サン……?」

 カミネの隣に座るオガノは、ぶつぶつと何やら言い聞かせるようにつぶやき続けている。消えていた疑念が蘇りそうになったその時、全頭のゲートイン終了のアナウンスが流れ、レースが開始された。カミネは余計な考えを吹き飛ばし、食い入るように会場に設置された大型中継ディスプレイへと目をやった。

『さあついにスタートしました松尾芭蕉杯。まずは12頭が横並び、綺麗に出揃いました。ここから第一コーナーを制するのは果たしてどの馬か。早速3番のヤルキタマチャンが4番のオーバードーズに仕掛けます。ボディがギザギザしていてこれは痛い。しかしオーバードーズも負けじとボディをぶつけ返します。両者少し遅れながら集団に追いすがる。おっと、ここで大きく飛び出したのは……トテモミサイル! 8番のトテモミサイル! これはすごい勢いです。大きくリードして第一コーナーへ突入! 』

「トテモミサイル……!」

 カミネは目を輝かせる。だが、すぐに彼女の喜びは黒い疑問へと変わった。いくらなんでもまだそのペースで走るには早すぎる。このレースは長いコースを2周するクラシックかつオーソドックスなものであり、騎手と馬はそれに合わせてのペース配分を考えた走りを行わなければならぬ。それは身体の大小を機械部品へと置き換えたサイバー馬であっても変わらない。

「ナンデ……!?」

 トテモミサイルは既に競走馬としては高齢の域に達している馬である。故にサイバネティクスへの依存度を高めた現在も、堅実を是とした走りを前提としたチューンがなされている。ベテラン馬としての経験を活かしつつ、高度にサイバネ置換された四肢が肉体への負担を軽減させ、徹底したスタミナ管理のもとに後半で追い上げていく。そういう馬だ。だが今カミネの目の前で起こっているインシデントはそれとは全く真逆の光景であった。

「これでいいんだ……このまま……最後まで……」「オガノ=サン!?」

 呪詛めいて呟き続けるオガノは、明らかに何かを知っていた。あのようなスピードで走り続ければ、トテモミサイルの肉体のみならずサイバネ部分にも過負荷がかかり、極めて危険なのは素人目にも明らかだと言うのに。仮にこのレースを走りきれたとしても、トテモミサイルの身体は……!

「どういうことなんですか、どうしてトテモミサイルはあんな! ナガレ=サンは!」オガノの肩を掴み揺さぶるカミネ。だがオガノは沈鬱な表情のまま、何も語ろうとはしない。トテモミサイルに搭載されている緊急用の無線へコールを試みるも、繋がらない。何が起こっている……? 何かが起こっている!!

 トテモミサイルの様子がおかしくなったのは、レースが開始してすぐのことだった。ナガレはがむしゃらにUNIX操作を試みるも、一切の操作を受け付けない。液晶画面には『自動走行モード』の表示。わけがわからなかった。心臓が破裂してしまいそうなほどに高鳴っているのが自分でもわかる。新人とは言え騎手の端くれであるナガレは、この状態が続くことの危険さを十分知っていた。

「どうなってんだ……こんなんじゃ潰れちまうぞ、トテモミサイル!」

 最終調教の時とは全く違う、騎手をも顧みぬ乱暴な走り。サイバネ四肢をカタログスペック頼みに限界駆動させているだけの、最早走りとも呼べぬ冷たい機械の運動に過ぎなかった。容赦なく三半規管が揺さぶられる。

「こんなのがお前の走りなわけ、ないよな……?」

 何がどうなってこうなっているかの想像などナガレにはつかなかった。だが、思わしくない何かが起こっていることだけは確かだ。既にレースは自分がトップを独走し一周目の終わりが近づいている。実況の声も観客の歓声も、ナガレの耳に入ってはいなかった。

「お願いします! 今すぐレースを中止してください!」「それはできません」「せめてトテモミサイルだけでも止めてあげて、失格扱いで退場でいいから!」「レースの円滑な進行が最優先と申し付けられております。それはできません」「なんだッてのよ……!」カミネは係員に食い下がろうとするも、聞き入れられる気配はなかった。

「俺達にはもう何もできん……祈るんだ……ナガレだけなら、きっと……」「オガノ=サン、何を言って……!?」席に座るオガノは頭を抱え込みガクガクと震えていた。まるで何かから必死で逃げようとしているかのように。

 トテモミサイルは激しく嘶いていた。今までに聴いたことのない荒々しい鳴き声は、悲鳴めいてすらいた。ナガレは鞍にがっちりと接続固定されたテクノシューズのロックを手動解除することも考えたが……すぐにその考えを捨てた。確かに無理にでも馬から降りれば自分の命ぐらいは助かるだろう。だが、トテモミサイルはどうなる?

「自動操縦」の文言に嘘がなければ、自分一人がリタイアしたところで何も変わらぬのではないか。トテモミサイルはただ一頭、ゴールするまで無慈悲な走りを強要され、挙句に……競走馬として、壊れてしまうのではないか。それどころか、その生命すら……。ナガレは呼吸を整えた。覚悟を決めようとした。どうすればいいのかなどわからない。ただ自分にできることは、最後までトテモミサイルの騎手であり続けることだけではないかと、そう思ったのだ。

「トテモミサイル……オレはここにいる。お前がどんなにひどいことをされちまってるとしても……オレはここにいるぞ……!」

 レースは二週目に突入し、独走するトテモミサイルに対してコース上に仕掛けられたトラップが起動する。派手な爆発、殺人トマホーク、毒矢。しかしトテモミサイルは、その全てを難なく回避していく。……あたかも、その全てを予め把握していたかのように。やはりこれは、何者かの明確な意図によるものだ。

 ナガレはブッダに祈り続けた。どうかトテモミサイルを無事に完走させてやってくれと。そうすれば、この残酷を極めしジゴクの責め苦のような所業も止まるかもしれない。コイツの生命だけは一着の栄光とともに救われるかも知れない。無我夢中で祈り続けた。……だが。

「……ッ!?」

 ガキン、ガキン……身体を駆け抜ける鋭い振動と同時に、とても嫌な音が耳に入った。異音。そしてわずかに馬体が傾く。トテモミサイルは嘶いた。限界駆動を続けたサイバネ四肢が悲鳴を上げ、異常走行下に置かれたトテモミサイル自身が身体をよじり……結果は自明だった。

「畜生ッ、せめて体勢だけでも、トテモミサイルッ……ウワーッ!!」

 一度歯車の狂った走行ベクトルはたちまち行き場を失い、もつれあい、空中高くトテモミサイル自身を放り上げる。ナガレの目には、ネオサイタマの灰色の空が映っていた。……その瞬間、彼の意識はソーマト・リコール現象を起こし、過去へと遡った。

 ナガレはどこにでもいる平凡な家庭の少年だった。小さい頃は、父に連れられてよくサイバー競馬場へ行ったものだ。温厚な父は競馬で人生を狂わせるようなこともなく、手堅く賭けては、勝った時に旨いスシを食べさせてくれた。

 競馬場で見るサイバー競走馬は、ナガレ少年の心を掴んで話さなかった。銀色を始めとしたメタリック混じりのボディは、あたかもカトゥーンの世界から飛び出してきたようで、ジョッキーと一体になってコースを疾走する姿は幼い彼にとってのヒーローそのものだった。

 10年前にネオサイタマが未曾有の大混乱に包まれた後も、家族三人励まし支え合いながら生きてきた。嵐のような破壊と再構築が続く社会の只中においても、ナガレの心には常にサイボーグ競馬の記憶があった。

 そして大人になったナガレは巡ってきたチャンスを逃さず、サイボーグ競馬界へと飛び込んだ。それ以外の道など考えようがなかったからだ。エバザキに見出され、期待のホープという看板を掲げられ、そこには憧れだけでは済まない裏の世界が色濃く存在していることも薄々感じていた。それでもあのトテモミサイルの騎手に選ばれた時には歓喜に打ち震えたし、これで両親に旨いスシを腹いっぱい食わせてやれると思えた。……そう、全ては過去の記憶だ。

 ……ソーマト・リコールから脱したナガレは、己がサンズ・リバーの畔にいるような錯覚を起こしかけたが、それは間違いだった。レースの喧騒がナガレのニューロンをキックし、たちまち現実へと舞い戻る。全身に鈍い痛みが走る。

「そうだ、トテモミサイル……!」

 ナガレは己のすぐ傍で倒れるトテモミサイルの姿を見つけ、痛む身体を押して駆け寄った。だが、すぐに言葉を失った。ナガレの目に容赦なく飛び込む、液晶画面バイタル表示のフラットライン。トテモミサイルはもう、鳴き声一つ上げることはない。電源を切り忘れたオモチャめいて、サイバネティックの四肢が虚しく駆動を続けていた。

 ナガレはたまらず声を上げた。臓腑の奥から絞り出てくるような呻きにも似た叫びは、ジゴクの獣が乗り移ったかのようですらあった。何故だ。何故だ。何故コイツがこんな目に遭わなければならない……何故オレを遺して逝かなければならない! 何故だ!! ナガレのニューロンが焼け付かんばかりの怒りに染まった時……彼は、一秒前の彼ではなくなった。


「ナガレ=サン!! トテモミサイル!! 嫌だ……嫌だよ!!」「そんな……まさか……アアアア……!」

 一部始終を見つめていたカミネは絶叫した。関係者席にほど近い位置へと大きくクラッシュしたトテモミサイルに、彼女らのみならず観客もざわつくが、レースは続行される。係員達がトテモミサイルの遺骸を処理すべく、迅速かつ淡々と準備を行い始めていた。

「お願い! トテモミサイルを助けてあげて! こんなの……こんな……」「あの馬は既に生体反応が消失しています。我々は規定に基づきスタジアム内からの搬送を行います」

 カミネ達を見張る係員はにべもない対応を続けている。悪い冗談としか思えない光景。映るもの全てから目を背けたくなったその時、ある異変に気付く。

「グワーッ!?」「ちょっと君……グワーッ!」

 見よ! トテモミサイルの遺骸を運び出そうとした係員達を、ナガレが殴り飛ばしているではないか! その様子は単に逆上・激昂しての暴力というだけではない、異様なアトモスフィアに満ちていた。

 唖然とする係員の隙をつき、ナガレへと駆け寄るカミネ!「オ……オイ!」オガノもおっかなびっくりながら後に続いた!

「ナガレ=サン! どうしたんです……か……!?」

 カミネはまたも言葉に詰まった。ナガレの身体はテクノジョッキージャケット越しにもはっきりとわかるほどに、別人のような体躯になっていたのだ。はちきれんばかりの筋肉が脈動する太腕で殴られた係員の顔面は完全に陥没していた。……ナムアミダブツ。

「何が、ど……どうなって……ア……アイエエ……」惨状を目の当たりにしたオガノが情けない声を上げた。

「カミネ=サン……オガノ=サン……トテモミサイルに……一体何があったんですか?」ナガレの声は平易だった。二人が知るナガレの声と、なんら変わりない。

「アアア……」オガノが腰を抜かしまたも震えだす。「そうだ……オガノ=サン! あのフロッピー、やっぱり……!」カミネはついに疑念を問いただした。最早それ以外に考えられることなどありえない。

「ゆる、許してくれ……エバザキ=サンからの命令だったんだ! トテモミサイルはどうなってもいいから、君が華々しく勝てるようにと……!」場を押し潰すようなアトモスフィアに屈するようにオガノが白状した。「筋書きは全部エバザキ=サンが用意したものなんだ! もし失敗しても、そこにドラマを作れさえすればカネにできるって……! 俺は反対したんだよォ……でも、断ることなんて……お願いだ、許してくれ……助けて……」

 オガノは地面に顔を擦りつけ、矢継ぎ早に言葉を繰り出しては必死に許しを乞うた。カミネは溢れんばかりの罵声を浴びせたい気持ちに駆られながらも、できなかった。自分が同じ立場であればそうせざるを得なかっただろうし、何よりも事前に仕掛けを見抜けなかったエンジニアとしての自分の甘さが最も許せなかったからだ。無限にも思える後悔の念が胸中に滲み出る。

「そうだったんですね……でも、もう大丈夫ですよ」「エッ……?」

 すぐ近くに落ちていた殺人トマホークを拾い上げるナガレ。オガノは死を覚悟し、失禁した。「アイエエエエ……!」だが……ナガレが向き直ったのは、トテモミサイルの遺骸の方であった。

「イヤーッ!」

 おお……ナ、ナムサン! トマホークの刃によって切断されしは、トテモミサイルの首ではないか! 鮮血と火花が舞い散る凄惨なる所業!

「アイエッ!?」「……ッ!?」

 さらに切り離れた首の断面から、黙々と肉と骨と電子部品をちぎり取るナガレ! なんたる酸鼻極まりない絵図であろうか……ご覧になっている読者諸氏はどうか心を強く保っていただきたい!

「さあ、行こう。トテモミサイル」

 空洞化した馬の頭部を、ナガレは淀みない所作で被った。そうすることが至極当たり前で、自然なことであるかのように。そして……これは……? その行為に呼応するかのようにナガレの身体が変化を見せていく。下半身の骨格がメキメキと変化し、神話の半獣人めいて体毛と蹄が生み出されてゆく!「ウオオオオ……!!」目の当たりにした二人はようやく理解した。ナガレが……ニンジャになったのだと!

「アイエエエエ!?」「ナガレ=サンがニンジャ……ナンデ……!?」

「二人とも、今までありがとうございました。オレは……コイツと一着になる」

 馬頭メンポに包まれて表情は依然伺い知れぬ。だがその声に二人に対する害意は感じられなかった。普段どおりの、優しい声色だった。

「ナガレ=サン、何を……」「イヤーッ!!」

 ナガレ達のこのインシデントにもかまわず、サイバー馬達は着々とゴールへ目掛け疾走していた。そこへ……超高速で飛来する殺人トマホーク!!

 狙い過たず、先頭を走るオイランブラストの首にクリーンヒット! ブルズアイ! 制御を失ったオイランブラストは、後続馬とともに次々とクラッシュしていく! あまりにも突然の事態に声を上げ始める観客!

『おっとこれはいかなるトラブルでしょうか、オイランブラストが突如他の馬を巻き込み崩れていく崩れていく! しかしそこを大きく外から追い抜こうとするオーバードーズ! 番狂わせなるか……おや、何やらコース外から人が……いや、馬……? 違う、これは、ア、アーイエエエエ!?』

 レースに意識を集中させていた実況者はいち早く気付いたのだ……乱入者がニンジャであることに! ナガレは荒々しいニンジャ存在感を中継カメラ越しにスタジアム中に撒き散らし、瞬く間に観客達の騒ぎ声がそこかしこで木霊する!

「邪魔だ! オレは一着になる! お前達全員をなぎ倒して!」

 サイバー馬だけでなくジョッキー達にまで容赦なく振るわれる殺人トマホークの嵐! 欲望渦巻くレース会場は、たちまち狂気と恐怖が支配するアビ・インフェルノめいた様相を呈する!

「なんだッ! 何が起こっているんだ! ニンジャだと!?」VIP席のエバザキが吠える! 高級ビール入りのグラスを放り投げて!

「大方、事故を起こしたあのガキがニンジャ・ディセンションを起こしたんでしょうなァ……よくある話ですよ。俺も昔は……」護衛ニンジャが口を開いた。

「昔話なぞどうでもいい! だったら早く始末してこないか! 何のためにお前に高いカネを払っていると思っているんだ、エエッ!?」「俺の受けた仕事はあくまでアンタの護衛……あすこまで行ってアイツを始末してこいとなると、追加料金をいただきますが、よろしいか」まくし立てるエバザキに対して、護衛ニンジャはメンポの奥の瞳を油断なく光らせて応じる。

「……ナガレを倒すのも護衛のうちだ。あいつは先程オガノと何やら話していた。ならば、事故の原因が私にあると知った可能性がある……故に今から私を殺しにくる可能性が極めて高い!」エバザキは芝居がかったアクションで護衛ニンジャに対してさらにまくし立ててゆく。「私が殺られる前に殺るんだよ! それが護衛の仕事だ!」「……全く、口ばかりは回る御人だ。まァ放っとくわけにもいかんしな……ギャラの話は後回しにしますかね」

 そう言うと、護衛ニンジャはすぐさま跳んだ。それを見届けると、エバザキは速やかに逃げ支度を始めた。

「一着……オレ達が一着だ!!」

 レース参加者達のみならず、駆けつけた大勢の警備クローンヤクザすらも惨殺したナガレは、ゴールの向こうで高らかに声を上げた。そして目を向ける。優勝馬のみが足を付けることを許される、輝かしき表彰区画を。……その時だ。

「!!」

 飛来するスリケンを間一髪、トマホークで弾き飛ばす! 視線の先には……深緑のマフラーのニンジャあり。

「ドーモ。サドゥンガストです」雇われニンジャが丁寧かつ威圧的な先制アイサツを決めた。「ブルルル……」馬めいて声を上げるナガレ。

「アイサツもできないほど狂っちまッてるのか? そこなニュービーの小僧よ」「ドーモ。サドゥンガスト=サン。……ホースヘッドです」ホースヘッド。そう名乗るニンジャのアイサツはいかにもぎこちなかった。ニンジャとしての本能が、この状況に呑まれかけていると言っていい。

「お前さんに恨みはないがね……まァそれもよくある話よ! イヤーッ!」サドゥンガストは即座に連続スリケン投擲! ホースヘッドは両手の殺人トマホークで辛くも防御!

「オレ達のレースの邪魔をするのか! お前も!」「オレ『達』ときたか……これまた随分イッちまっていることだ」サドゥンガストはホースヘッドの精神状態が最早ニンジャ基準でも正常ではなくなっていることを改めて感じ取った。何をしでかすかわからない相手だ。しかし!

「イヤーッ!」鋭いシャウトとともにサドゥンガストが放たれる大振りのケリ・キック! そこからホースヘッドへと襲いかかったのは、ソニックカラテによる広範囲衝撃波であった! この衝撃波は物理的な破壊力にこそ乏しいものの、超大型扇風機からの送風めいて相手の自由を奪う!「なにッ……!?」

「イヤーッ!」放たれるスリケン! 巻き起こった衝撃の波に乗り、その威力はさらに倍増! 拘束状態にも等しいホースヘッドは防御姿勢を取ることもできず、正面からスリケンが刺さる!「グワーッ!!」よろめくホースヘッド!

「おっと……くたばる前に目的ぐらいは聞きたい。あれか? エバザキ=サンに復讐でもやらかす気か?」「ハァーッ……ハァーッ……復讐だって……? バカな!」「ほう」「トテモミサイルはオレとともに在る! ならば復讐になんて意味はない……ネオサイタマ中のレースで一着になることこそが、オレ達の進むべき道だ!」馬頭メンポの下でホースヘッドは叫んだ。サドゥンガストはニヤリと笑う。

「オーケー、オーケー。その言葉が聞けてよかったよ。これでギャラの交渉もやりやすくなるってもんだ……じゃあな」ソニックカラテのムーブに入るサドゥンガスト! ……だが、この難敵を前にしたホースヘッドのニンジャ第六感……いや、野性の勘とでも言うべき原始的な直感と、ニンジャ身体能力へのさらなる覚醒が驚異的な反応速度を実現せしめた! ホースヘッドが……跳ぶ!「!!」

 なんたる二本の獣脚から生み出される信じがたいほどのニンジャ跳躍力か! 一瞬のうちに極めて小さくなったホースヘッドの姿に、サドゥンガストが驚愕に目を見開く!

「イヤアアアーッ!!」

 天空からの隕石めいた重さのトビゲリがサドゥンガストを襲う! すんでのところで両腕ガードを果たしたものの、鋼鉄を遥かに凌ぐ硬度の蹄がサドゥンガストの左腕前腕をブレーサーごと粉砕! 右腕、さらにはその下の胴体にまで無視できぬ衝撃!「グワーッ!!」左腕があらぬ方向へと曲がる!

 これこそがホースヘッドの下半身をサテュロスめいた異形へと変貌させているヘンゲヨーカイ・ジツの力であった。ニンジャ化から間もないイクサにおける危機的状況を前にして、ホースヘッドは驚くべき速度で本能的順応を果たしている。

「このパワーは……バカな……」サドゥンガストの額に嫌な汗が流れる。ニュービー・ニンジャがこれほどまでにやれるものなのか。だが彼は己を律する。まだ左腕が折れただけだ。ソニックカラテに支障なし。

「イヤーッ!」サドゥンガストの連続蹴りから繰り出されるカラテ衝撃波!先のような大規模な拘束力にこそ劣るが、鋭い真空の刃めいて襲いかかる! ホースヘッドはかろうじてトマホーク防御! しかしこれも牽制であった!

「イヤーッ!!」「グワーッ!」本命は脚狙いのスリケン! これでイクサの主導権を引き戻した……かに見えた。

 サドゥンガストは即座に防御姿勢を取る! そこにワン・テンポ遅れて……凄まじい踏み込みからのホースヘッドのトマホークが来る! ギャリリリ! 金属製ブレーサーが火花を上げた! 確かにスリケンはサドゥンガストの狙い通り脚に刺さっている……だが、浅い! ヘンゲヨーカイ・ジツにより規格外のパンプアップを遂げているニンジャ筋繊維に阻まれ、致命打足り得ていないのだ!

「コイツは……うまくない……!」すぐさま連続側転で距離を取るサドゥンガスト。彼は生命の危機すら感じ始めていた。カラテ警戒のまま乱暴にIRC通信を送る。「……エバザキ=サンよ。あのニュービーはアンタへの復讐なんぞには興味がないとさ。よって特別追加料金重点だ。精々たっぷり用意しておいてくれや……どうせとっくに安全なとこへ逃げてンだろ」『オイ、なんだと!? カネ……クッ、考えてやる!』

「イヤーッ!!」ホースヘッドは殺人トマホークを投擲! 力任せのその軌道はいかにも単純で、ワザマエの拙さを感じさせるものだ。紙一重で避け、脚にカラテを込める。

「お前はここで潰さにゃァ、だいぶマズそうだ」抑揚のない言葉。そして……解き放った!「イヤアーッ!!」ゴオオオン!! 大気のみならず大地をも揺るがすカラテ拘束衝撃波がホースヘッドの全身を縛り付ける!「グウウーッ!!」そして己の発した衝撃の波に乗り、サドゥンガストが来たる! ワン・インチ距離!

「イイイヤアアアーッ!!」接近の勢いを殺さぬままに、ホースヘッドの胸元目掛けケリ・キックを見舞う!「トッタリ!」

 一筋の矢と化したサドゥンガストの一撃が自身の胸を、心臓を抉らんとするその寸前……死の危険を前にしたホースヘッドの脳内ではニンジャアドレナリンが急速分泌され、主観時間を泥めいて鈍化させた。死など怖くはない。しかし死ねば一着になれぬ……そしてトテモミサイルとともに走れなくなることが彼には何よりも恐ろしかった。

 ニンジャ化によって歪んだジョッキー性が、イマジナリーフレンドめいた存在となったトテモミサイルの影に突き動かされる。死ねば走れぬのだ! ホースヘッドのニューロンが圧縮時間から解き放たれた時、彼は自身を縛る風にあえて逆らわず、逆利用する形で後ろへと跳んだ!

 「グワーッ!!」入った……だが、またも浅い! 鎧のような胸板を貫くには至らず、次撃への体勢へ移行しようとするサドゥンガスト。ホースヘッドは激痛をカラテでこらえながら、その動きを許しはしなかった。両腕で胸元へと伸びた脚を掴み取った。「ヌウッ!?」「逃がす……ものか……!」

 そのまま大きくサドゥンガストを振り上げ……「イヤーッ!!」SMAAAASH! 地面へと叩き付ける! バイオ芝生満ちる地面にクレーターめいた凹みが生じ、サドゥンガストの全身の骨を激しく軋ませた!「アバーッ!」

 サドゥンガストはこのニュービー・ニンジャのオバケの如きニンジャ膂力に心底恐怖した。暴力の象徴たるニンジャが、さらなる暴力に塗り潰される感覚を身をもって味わわされている。そして聞いたことがある。強大なニンジャソウルを宿したニンジャは例えディセンション直後であっても凄まじい力を手にするケースがあると。だがまさか……これほどのものとは!!

「ナメ……るなよ……!」掠れ声。サドゥンガストは掴まれていない左脚にカラテを込めた。一瞬でいい。衝撃波を浴びせ、一瞬の隙を作れれば……「イヤーッ!!」「アバッ……!!」サドゥンガストの身体は再び先程と変わらぬ勢いで地面に叩きつけられた。彼の意識はそこまでだった。クレーターが深くなる。「イヤーッ!!」もう一度叩きつけられた。サドゥンガストの全身の骨が砕けた。クレーターが深くなる。「イヤーッ!!」もう一度叩きつけられた。クレーターが深くなる。サドゥンガストは爆発四散した。


 ホースヘッドにザンシンなどという言葉はなかった。ただニンジャを相手にした初のイクサに打ち勝った喜びに震えた。だがそれでも、一着になった時の歓喜はこんなものではないはずだ。そうだろう、トテモミサイル。ホースヘッドは周囲を見渡す。イクサが過ぎ去ったヨコナギ競馬場はカラテ衝撃の余波で激しく破壊され、それは表彰区画も同様だった。今やどこに存在していたかすらわからない。

「……一着になって、あそこに立たなければ意味がない」ホースヘッドは虚無的につぶやいた。そしてパルクールめいて走り出した。新たなウィナーズサークルを求めて。

「チッ、とんだ疫病神だ……!」エバザキはリムジンに乗りながら毒づいた。よもやあの若造のせいで、松尾芭蕉杯そのものが滅茶苦茶になるとは。サドゥンガストのバイタル反応も消失している。……返り討ちにされたか。あれだけ大きなことを言っておきながら。

「……まァ、これでヤツに高いカネを払わずに済んだのはいいがな」サドゥンガストの遺した言葉が真であるならば、自分が狙われる可能性は薄い。レースを台無しにされた被害こそ大きいが、ニンジャ保険には加入済みだ。純粋な損失は大したことはないだろう。

 元はと言えば、一山いくらのルーキー騎手にピークを過ぎた有名馬をあてがい、あの松尾芭蕉杯そのものを使って手軽にスターを生み出してやろうという極めて費用対効果を重点した計画であった。再起プロジェクト自体、隠れた人材発掘という名目で安い連中をかき集めたに過ぎない。

 仮にレースで馬が壊れたところで、騎手の勝利のためにその身をなげうった忠義者という美談に仕立て上げれば大衆はいくらでも食いつくものだ。どう転んでもかまわない、堅いプロジェクトのはずであったのに……。ここまで大事になった以上、関係者にはさらなる脅し・あるいは処分も必要か。

「次の手を考えないとな……」エバザキはタバコに火をつける。競馬場でのあの凄惨な事件も、彼にとっては既に半ば過去のものだ。「あれだけ派手に暴れたんだ、どのみちアイツらが黙っちゃあいない……!」ほくそ笑むエバザキを乗せたリムジンはネオサイタマの澱みに紛れ、ほどなくして消えていった。

 ヨコナギ競馬場の事件から一夜明け、カミネは暗い怒りの中に沈んでいた。避難後に上から厩舎での待機を命じられ、それまでの無理もありつい先程まで泥のように眠り込んでいた。悪夢すら見なかったのが、また皮肉めいていた。

「ナガレ=サン……」TVは昨日のニュースで持ちきりだ。大勢の観客がニンジャによる殺戮劇を目撃した事件の語られようは、いかにもセンセーショナルであった。死した馬のユーレイが騎手に取り憑いてああなっただとか、サイボーグ競馬界に絶望した若者の復讐劇であるとか、ナガレとトテモミサイルの過去も含めて、余すところなく推理ごっこの材料にされている。

『ええ、とても嘆かわしいことです。しかし私が被害者ならば、彼もまた被害者だ! ニンジャになってしまうだなんて!』被害者の一人としてインタビューを受けているのはエバザキだ。『彼という才能をいち早く見出した一人の男として、どうか一刻も早く事態が収まることを祈っています』

「あの、クソ野郎ッ……!」諸悪の根源たるあの男は、このようなインシデントさえ好感度上昇の場として利用することしか考えていないのだ。涙が溢れそうになった。「…………」オガノは何も言えずに、ただ死人のように見つめているだけだ。カミネ自身も、ずっと目を合わせられていない。気持ちの整理がつけられない。

 ナガレはどうなってしまうのだろう。あの優しく、真っ直ぐだったナガレは。トテモミサイルの首を切り落とし被ったおぞましい化物。しかし……あれは確かに自分の知っているナガレに違いなかったのだ。ニンジャとは……。

 果てしなく続く思考の迷路に迷い込みそうになったその時、視界の端に見慣れぬ人間の影。……いつの間に? 身にまとう雰囲気は、明らかに表社会に生きる者のそれではない。「アイエッ、あ、アナタは……?」オガノは戸惑いと驚きの色を多分に含んだ声を上げた。真っ先に目に飛び込んできた、その紋章。クロスカタナのエンブレム。「ドーモ。事情聴取に来ました」

 ネオサイタマ・ヨコナギ地区の数ブロック先。ワラビー地区ジャンクヤード。凄惨なる事件を起こした馬頭メンポのニンジャは、既にこの場所へと潜伏していた。類まれなるニンジャ脚力による長距離スプリントの為せるワザであった。

 ジャンクヤードの先客は全て殺された。この場を根城としていた不幸な浮浪者達の死体が廃車めいて積み上がっている。連中が隠し持っていたスシを貪るホースヘッド。その手にあるのは、競馬新聞。

「ワラビー競馬場でまた新しいレースが始まる……今度こそ最後まで走れるぞ、トテモミサイル……!」馬頭メンポ越しにボトル入りのチャを胃へと流し込む。彼は意識を次のレースへと向けようとした。だがその時だ。ホースヘッドの鋭敏なニンジャ感覚は、自らのナワバリと化したジャンクヤードへとエントリーしてくる存在を知らせてくる。

「誰だ……!」ホースヘッドの下半身がザワザワと波打ち、蹄行性動物のそれへと大きく形を変えてゆく。ヘンゲヨーカイ・ジツ。両手に殺人トマホークを構え、周囲をカラテ警戒した。

 ……ジャンクヤードの入り口から悠然と歩み寄る二つの影。メンポを纏いしその姿は、紛れもなくニンジャであった。「馬メンポのニンジャ……情報通りだな」「ええ」男の言葉に、女が微笑で頷いた。


「ドーモ。ソウカイ・シンジケート、シックスゲイツ。ガーランドです」「ドーモ。同じく、カバレットです」

 クロスカタナの紋章。そして<六門>の刻印を携えた二人のニンジャが威圧的なアトモスフィアを漂わせ、アイサツした。

「……ドーモ。ソウカイ・シックスゲイツ=サン。ホースヘッドです」ホースヘッドもオジギを返す。ソウカイ・シンジケート。ネオサイタマに生きる人間であれば、その名を知らぬ者はいない。秩序の番人。

「さて、まずお前に言っておくことがある」一触即発の空気のまま、ガーランドが切り出した。「ここいら一帯はソウカイヤのテリトリー。それをお前は著しく乱した。ニンジャとなって」「……」ホースヘッドは黙ってそれを聞いている。「故にお前が選べる道は二つだ。ドゲザしソウカイヤのニンジャとなるか。ここで俺達に倒されるか。……恭順か、死か」

 しばしの沈黙。ホースヘッドはその空気に抗うかのように……動いた!「……死ぬのはお前達の方だ! イヤーッ!」二人へと投擲される殺人トマホーク!だが二人は避けぬ!「「イヤーッ!」」

 おお、見よ! 寸前でトマホークを弾き返したその得物こそ、ガーランドの恐るべき凶悪近代兵器・クナイウィップと、カバレットの爪裏に仕込まれしキラキラした糸……エメツ・ワイヤーである!「予想以上にイキのいいこと」「ヌウーッ!」

「よかろう。望み通り始末してやる」「ウオオーッ!」ホースヘッドは弾き返されたトマホークを拾い上げながら、弾丸めいた速度で踏み込む! そのスピードに目を丸めるカバレット!「イヤーッ!」だがその動きは、独自の意思を持つかのようにうねるクナイウィップによって容易に阻まれる! トマホークで打ち払う!

 ガーランドは眼前のニンジャのワザマエの程をおおよそ見切った。ヘンゲヨーカイ・ジツによりブーストされた身体能力に依存した極めて直線的なカラテ……だが彼のニンジャ第六感は決してそれだけではない何かを感じ取っている。「オレはコイツと一緒に走り続けるんだ……邪魔をするな、ソウカイヤァーッ!!」

 危険な蹄ケリ・キックがガーランドへと迫る! だが命中の直前、動きがピタリと止まった! これは何らかのカナシバリ現象であろうか……? 否。見よ、ホースヘッドの身体から伸びる光る糸を! カバレットのエメツ・ワイヤーがホースヘッドの全身へと絡みつき、ジョルリめいて動きを封じ込める!「これはッ……!」「少しは大人しくしなさいな、貴方」

 製造に希少鉱物エメツを用いることで、その細さからは想像もつかぬ強度を有するエメツ・ワイヤー。その耐久力はバイオシマウマを用いたテストをも難なくクリアし、その輝きは最高級オイランの黒髪よりもなお蠱惑的である。ポスト磁気嵐テクノロジーの産物であり、この世でも扱える者は極めて限定されている……その一人がこのカバレットだ。

 拘束が強まり、肉を断ち切らんとワイヤーが食い込む。抗うホースヘッド。ガーランドは胸元目掛けカイシャクの一撃を叩き込まんとする。その瞬間……カバレットの指先に伝わる違和感。ホースヘッドの身体が瞬間的に縮む! 次の瞬間、拘束を脱するホースヘッド!

「ムウッ!」まさしくニンジャ動体視力なくば捉えきれぬ一瞬の出来事であった。ホースヘッドは一時的にヘンゲヨーカイ・ジツを解くことで起こったごくわずかな時間の拘束の緩みを利用し、ワイヤーから脱してみせたのだ。ガーランドは瞬時にカラテを構え直し、勢いのままに放たれたトマホークの一撃を捌く。

 やはりこのホースヘッドというニンジャは単なる力任せのカラテだけではない……ワザマエと言うにも違う、原始的な状況対応力というものを持ち合わせている。

「イヤーッ!」カバレットが再びエメツ・ワイヤーを振るう。見えざる刃のように襲いかかるワイヤーに対してもホースヘッドは規格外のニンジャ筋力の鎧に任せ、突き進むのみであった。身体には無数の傷跡。しかしどれも致命傷には程遠い。「無駄だ! オレはトテモミサイルと共に在る……いや、オレがトテモミサイルなんだ!!」半狂乱めいて叫ぶホースヘッド! その瞳には目の前のもの全てを轢き潰さんとする暴虐の光が宿る。それは内なるニンジャソウルとナガレ自身の精神がさらなる化学反応を起こした証でもあった。

「ヒヒーンイヤーッ!!」まずはカバレットから殺すべしと判断したホースヘッドのトマホーク斬撃! おぞましき人馬一体のシャウトがジャンクヤードに響く! カバレットは……避けぬ! その顔には変わらぬ微笑が浮かんでいる!

 即座にガーランドによるインターラプトのトビゲリが入った! さらにクナイウィップが左脚へと絡みつき、軸足をズタズタに切り刻む!「ヒヒングワーッ!!」苦痛に悶えるホースヘッド!「アアア……よくもッ、オレの脚をーッ!」「生憎だが、俺は競馬というものには興味がなくてな」

「まだだ! まだ走れる……! ウオオヒヒーン!!」軸足の激痛を物ともせず、ホースヘッドは嘶き跳んだ! これは……隕石トビゲリの予備動作である! クナイウィップもエメツ・ワイヤーも届かぬ天高くへと身を翻しながら、カラテ漲りし破壊の蹄がガーランド目掛け降り注ぐ!「ヒヒイイヤアアアーッ!!」

「トラヒトアシ」ガーランドが呟いた。隕石トビゲリが命中する寸前のコンマ秒の世界。その勝負の末に、蹄は虚しく空を切る。そこには地面スレスレに身を沈めるガーランド。回避運動とともに仕掛けられたムチは列車を通過させるレールの如くうねり、飛来したカラテ隕石を完全に後方へといなしたのだ。おお……ゴウランガ。目標を見失った隕石トビゲリは地面を抉り、その衝撃はジャンクヤードに小規模な地震を引き起こした。スクラップの山が揺れる。

「イヤーッ!」「グワーッ!?」間髪を入れず、引き戻されたムチがトビゲリの反動で即座に動けぬホースヘッドの身体を切り刻む!「トテモミサイル……オレは……オレが……トテモミサイル……」ホースヘッドはうわ言のように呟いた。「狂人の感傷に付き合う義理は無し」ガーランドは吐き捨てる。

 ホースヘッドの背後に迫っているは……カバレット!「グウウーッ!?」ホースヘッドは途端に首を押さえもがき出す! これは……? キラキラしている! エメツ・ワイヤーだ! 彼女は指から伸びる全てのワイヤーを、ホースヘッドの首へと一点集中させているのだ! 10本の糸が束ねられ、その強度は即ち100倍にも達する!「さっきみたいにいくかしら」「アアアア……オレは……一着……に……!」

 いかにニンジャと言えど、生命活動のメカニズムそのものは人間のそれと大差ない。肺への酸素供給を阻害されれば、カラテに著しい支障をもたらすのは道理である。いわんや、エメツ・ワイヤー首絞めをや。「ARRRRRRRG……!」

 ガーランドはクナイウィップを構える。カチリ。グリップ部から内蔵されたギミックにより、ムチから生えた無数の小型クナイ全ての向きが一方向へと固定される。極めて短い予備動作……そして。「ヨコ・グモ……イヤーッ!!」

 エメツ・ワイヤーにより極限まで絞扼された首元めがけ放たれる、ムチ・ドーの奥義! クナイウィップ一閃! SLAAAASH!!「アバーッ!!」皮膚下に溜め込まれていた血が噴水めいて吹き出した! ネオサイタマの夜空に、馬頭が舞う!「サヨナラ!!」ホースヘッドは爆発四散!

 ……少しして、二人はザンシンを解いた。これでシックスゲイツとしてのミッションはほぼ終了した。彼らにとっては日常のようなものだ。強大なソウルによって精神を狂わせ、凶行に走るニンジャなど珍しくもなし。速やかなる事態の鎮圧。それこそが存在意義である。

「多少手間取ったか」「たまにいるわね……ああいうのが」カバレットが溜息を吐いた。しかし先のイクサでの疲労感など、微塵も感じさせていなかった。その仕草は鬱陶しい羽虫を払い除けるのと、大して変わりがない。「随分派手なことをやらかしてくれたものだ。報告に戻るぞ」「そうね。あとは……」

 最早駆ける馬なきサイバー厩舎に、男達の姿があった。三人のクローンヤクザを従えたエバザキ。厩舎スタッフであるオガノとカミネ。一見してわかるほどの険悪なアトモスフィアが漂い、誰の目にも大小の剣呑な光が宿っている。

「アイツは無事ソウカイヤが始末したそうだ。いやァ、一安心と言ったところだねぇ」エバザキはニヤニヤと笑いながら、いかにも挑発的にタバコの煙を吐き出す。カミネは今にも掴みかからんばかりの目でエバザキを睨み、オガノは口を固く結んだまま話を聞いている。

「……何の用なの」「おっと、これはご挨拶だ……。私は実質的な君達の雇い主として、親切を言いに来ただけだというのに」「親切?」エバザキの振る舞いはどこまでも大仰で、嫌味たらしい抑揚のついた言葉が堂に入っていた。周囲にはクローンヤクザがサングラスの下の目を光らせている。

「先日の事件について。くれぐれも変な気を起こさないように……ということだよ。……長生きはしたいだろう? 家族は大事だろう?」オガノもカミネもその表情に驚きはない。わかりきっていたからだ。裏社会において、自分の弱みとなりかねない存在を野放しにする者はいない。

「アンタが……ナガレ=サンを、トテモミサイルを……!」「ヒドイ言い草だ! 実際にやったのはその男だろう? 私は何もしてはいないさ……何もね」「あたしは! あの二人なら、本物のスターになれるかもッて……本気で……」カミネの目に涙が滲む。怒り、悔しさ、悲しみ……ありとあらゆる負の感情がないまぜになった、若さの涙だ。

掌から血が滲みそうなほど拳を握り込んだカミネを庇うように立ったのは、オガノだった。「エバザキ=サン……俺は……」その声は、今までの彼のどんな言葉よりも重い覚悟に溢れていた。「ホウ?」「俺がアイツを、あんな……ニンジャに……ニンジャにしちまった……!」その顔は老人めいて、憔悴の跡がはっきりと見て取れるほどに老け込んでいた。「こんな気持ちをずっと背負い続けられるほど……俺は狂っちゃいなかったようです」

「ハッ! そうかい……だったら自首でもなんでも好きにするといい。もちろん、何を言おうとやったのは君一人だがね!」あくまでも態度を崩さぬエバザキに対し声を上げようとしたカミネ。だが、その時であった。

「そうもいかないのよね」厩舎の陰から何者かの声! クローンヤクザ達が反射的にチャカガンを抜く!「誰だ!」……出てきたのは、黒いヤクザドレスに身を包んだ美しい女であった。「ドーモ。エバザキ=サン」「お前……ア、いや、貴女は……!」たちまち顔色が変わる! 即座にクローンヤクザに銃を下ろさせるエバザキ!

「ド、ドーモ。カバレット=サン。ご機嫌麗しゅう……」裏社会に生きる人間……ましてやエバザキのような男であれば当然知っている。ソウカイ・シックスゲイツに名を連ねるカバレットの存在を。恭しく顔色を伺いにかかるのは道理であった。「そういうのはいいわ」「な、何故貴女がこんな……」「物のついで、というやつかしら」カミネも驚きを隠せなかった。目の前の女はまさしく、つい先日ここへ事情聴取に訪れた、ソウカイ・シンジケートを名乗る女その者だったのだから!

「あの人……エ……? シックス……ゲイツ……?」「裏社会を力でまとめ上げるソウカイヤの精鋭中の精鋭ニンジャだよ。わかっていたさ……こうなることは……」オガノは観念したような顔で語った。その表情には、いくばくかの安堵感も含まれていた。

「話は色々聞いてるわ。あの事件が起こったの、元はと言えば貴方のせいなんですってね」カバレットは気怠げな微笑を浮かべたまま、手に持ったキセルでエバザキを指してみせた。「アナヤ……あれは不幸な事故です! むしろあの男の被害者であって!」「なッ……ザ、ザッケンナコラー……ザッケンナコラー!!」憤りを隠せぬカミネ! カバレットはなんら気にすることもなくキセルに火をつけ、ゆったりと煙を吹かす。その所作は非常にマイペースであり、エバザキとはひどく対照的であった。

「サイボーグ競馬。ヨコナギ競馬場。松尾芭蕉杯」「アイエッ?」「言うまでもないことだけど、様々な企業やカネモチが出資している一大興行。……それを、いちスポンサーの立場で私物化しようとした」「アイ、アイエエ! それは! す、全てはソウカイヤのため! 私は実際良く上納金を払っています! これからはもっと払います!」エバザキは躊躇いなく跪いた! ドゲザである!

 カバレットは静かに歩み寄り……爪先でエバザキの顎を起こし、強制的に上向かせた。その気怠げな表情にほとんど変化はない。だがわかる者にはわかるほどの、わずかばかりの鋭さが増していた。「知らなかったのなら教えてあげるわ。メンツはね……カネでは買えないのよ」「アイエエエ……」「ソウカイヤのナワバリで無法を行ったのなら、相応の覚悟をしなさいな」最早エバザキに次の言葉はなかった。

 命令権をカバレットへと移譲されたクローンヤクザ達がエバザキを外へと連れてゆく。そして……オガノも。「あ、あのっ!」カミネは恐怖を押し殺し、カバレットへ声をかけた。「……なあに?」「これから……どうなるんですか。エバザキは……オガノ=サンも……」「私の知るところではないけれど……あの男は二度と表舞台には戻れないでしょうね。強引なやり口を快く思っていない者は多いみたいだから」「そう……ですか……」

 カミネの心中は複雑なものだった。ヤクザの世界で裁かれるという事実が何を意味するのか、自分には正確に掴みきれていない。闇を飲み込む、より深い闇を前にするような気分であった。だが、エバザキにとっての破滅であることは確かなのだろう。それは一筋の救いである。「貴方は……少なくともケジメってところかしら。誠意を見せることね」「……覚悟はできております」オガノは背を向けるカバレットに対して丁寧にオジギした。

「わ、私は……」「貴女はシロみたいだし……好きにすればいい」「でもっ、ナガレ=サンも、トテモミサイルもいなくなって……それしかなかったんです! 私には……」カミネは半ばわけもわからず胸中を吐露した。目の前の女は恐るべきヤクザニンジャであるにも関わらず、その佇まいに対し、打ちのめされた心が頼もしさを感じずにはいられなかった。

 涙で霞む視界。瞬きをしたその一瞬に……カミネの鼻先へとカバレットのキセルが突きつけられていた。「ヒッ!?」その感覚はカタナの切っ先を突きつけられたにも等しい。思わず腰が抜けそうになる。「……言ったでしょう。好きになさい。私は貴女がこの先どうなろうと興味はない」「ア……イ……エエエ……」カバレットはカミネの顎をそのしなやかな指で上向け、視線を合わせた。その顔に微笑はない。すぐに後ろへと向き直る。「……まあ、精々あがいてみたらどう? 『死んだら終わり』よ……」

 ミヤモト・マサシの言葉とともに、カバレットは厩舎から去っていった。後には、残されたカミネが一人座り込むのみであった。

 エバザキとオカノの護送をクローンヤクザに任せ、カバレットは外で待機していたガーランドと合流する。「……お前が、珍しく殊勝なことだ」「あら、聞いていたの」「この距離ならば嫌でもな」「そうね……ほんの気まぐれみたいなもの。女同士の、気まぐれ」「そうか」カバレットはキセルの灰を落とした。彼女は既にいつもと変わらぬアンニュイげな微笑をたたえている。

「あとで呑みにでも行く?」「そうだな……いや、サケよりもスシだ」「ヨロコンデー」ほどなくしてヤクザリムジンが到着すると、二人のニンジャを乗せ、厩舎の傍から走り去った。


 ……『ホースヘッド事件』はこれにて幕を閉じ、一部の人間の中でひっそりと記憶される程度の存在となった。かようなニンジャの暴走さえも、さらなる暴力という名の免疫機能で瞬く間に駆逐される。経済という名の血液の停滞を許さぬ激しい新陳代謝によって、ジゴクめいた凄惨な記憶すら市民にとってはたった一夜の悪夢として過ぎ去っていく。それが暗黒電脳都市ネオサイタマだ。

 心に浅からぬ傷を負い、失意のカミネはいかなる道を進むのか。それを語れる者は誰もいない。だが……少なくとも、その胸に残ったのはマッポー極まりし世間への絶望だけではないのだろう。そのニューロンにはカバレットの最後の言葉と、あの時ニンジャと化してなお自分達に礼の言葉を告げたナガレの優しい声が、いつまでも鮮明に残り続けていた。


【ドリーム・オブ・ザ・ウィナーズサークル】終わり



◆忍◆
ニンジャ名鑑#XXXX
【ホースヘッド】
ルーキー騎手のナガレ・レウイチが競馬場での事故を切っ掛けにニンジャとなった。特に下半身を馬のように大きく変化させるヘンゲヨーカイ・ジツを行使し、増強されたニンジャ筋力により豪胆かつ俊敏なカラテを振るう。ディセンションの影響で妄執に取り憑かれ、その思考は他者の理解が及ぶものではなくなっている。
◆殺◆

◆忍◆
ニンジャ名鑑#XXXX
【サドゥンガスト】
フリーランスの傭兵ニンジャ。要人の護衛などを主な仕事口としている。カゼニンジャ・クランのソウル憑依者であり、状況に応じて様々なソニックカラテを使いこなす手練。
◆殺◆

スシが供給されます。