サクラブリザード

ニンジャスレイヤーの男女カップリング語り~その3

※この記事はその1からの続きになります。
語る上でのスタンスなどはそちらに書いてありますので、そのあたりについてはあちらの一読をお願いします。
相変わらずネタバレも満載ですのでご注意を。


ヤモト×スーサイド(以下ショーゴー)

初期から存在する王道カップリングの一つ。
ニンジャスレイヤーではかなり珍しいティーンエイジャー同士の組み合わせということもあって、今に至るまで根強い人気を誇る二人です。

この二人もまた知名度の割に作中で直接接する機会が極めて少ないのが特徴。
それでも王道カプ足りえているあたり、この二人の看板エピソードとしての「ラスト・ガール・スタンディング」がいかに完成度が高いものであるかを如実に示していると言えます。

見た目上は普通の少女と不良少年という極めてわかりやすいこの二人。
しかしそんな表面的な印象だけでは語り切れない複雑な心情を秘めた二人でもあります。

二人の関係の始まりはエピソード開始よりも以前。
借金を抱えた家族が自分を一人残し蒸発するという境遇にいたショーゴーが、絶望から飛び降り自殺を図ったことが発端となります。
飛び降りた先には偶然にもヤモトがおり……二人は重傷を負い……結果、両者はニンジャソウル憑依者となりました。
これが二人の関係における最大のポイントであり、結節点です。

この事件はショーゴーの心に深い影を落とし続けると同時に、彼の人間性の拠り所の一つであり続けます。
ヤモトに対する後悔の念を抱え続けるショーゴーの姿は、ニンジャ化してもなお変わらない繊細な内面を映し出していると言えるでしょう。

再び二人は黙った。今度の沈黙はそう長くなかった。ショーゴーが言った。「俺なんだ!キョート。そもそもの発端……自殺に巻き込んで、お前を殺しかけたのは。あれがなきゃ、お前はそもそも、こんな風に、」「……」ヤモトは滑らかに、すべてを理解する。それはほんの一欠片のパズルのピースだ。「あれがなきゃ、アタイはどうなっていただろう」ヤモトは呟いた。責めるトーンはなかった。「もう、ずっと昔だ」「俺は」「アタイはあの時、ニンジャになって、」ヤモトは言葉を拾うように、「戦って、アサリ=サンや、皆を守った。ニンジャになって、守って、生き延びて、そして今ここにいる」ショーゴーに言葉はない。ヤモトは付け加えた。「サイオー・ホースな」「……」ショーゴーは視線をそらし、サングラスを外す。微かに震える、長い息を吐いた。不意にヤモトはショーゴーのアフロヘアーを掴んだ。「ヤメロ!」ショーゴーは狼狽えて身を捩り、サングラスをかけ直す。ヤモトは笑った。

そんなわだかまりが解消されたのは、「ラスト・ガール・スタンディング」の連載から約三年を経ての「ニチョーム・ウォー……ビギニング」でのこの一幕。
ようやく再会できた二人に訪れた、とても穏やかな決着でした。
あまりの尊さに爆発四散したヤモショゴクランのヘッズも多かったことでしょう。

さて、ここからは個人的な考察多めになります。
二人の内面についてですが、共通しているのはどちらも家庭環境に恵まれなかったということ。
それでいて対照的な面を数々持ち合わせています。

ヤモトの過去は未だ詳しく語られておらず、第二の主人公的な立ち位置からすると意外なほど不明瞭な点が多いです。
ただニンジャとなる前から「ヤモトの家庭は何もかもがおかしかった」と語られ、「家の外へ締め出され、隣家の窓の向こうの暖かい明かりを羨んだあの頃」が存在し、ソニックブームが言い放った「親殺し」という言葉。
そして未だ全貌の見えないニンジャである「キルチャージ」の名鑑記述などから、おおよその事情を推察することはできると言っていいでしょう。
オリガミに打ち込んだのもそういった家庭環境からの逃避であり、彼女が抱えた闇の強さが伺えます。言うならば重い十字架を背負っているような。

ショーゴーについては少し述べましたが、切っ掛けとなったのは家族から見放された絶望です。
そしてここがとても重要な部分なんですが、彼には何もありませんでした。

日常に何の楽しみも持たず、友人もおらず、勉強もできず、スポーツをせず、好きなアニメ・コンテンツも無かったショーゴーは何一つ取りうる行動を持たなかった。

ここがショーゴーという人物のキャラ付けにおける一種特異な要素だと思っていまして、彼はスクールカーストで言うところのナードですらなかった。
ディセンション前のショーゴーについて上記以上のことはほとんど語られていませんが、心の拠り所とできるものが何もない孤独さは、想像するに余りあるものでしょう。
故に、彼はその空虚な内面をディセンションによって大きく埋めるような変化を遂げました。

過去に何かがあったヤモトと、何もなかったショーゴー。
闇の抱え方が見事なまでに正反対なんですね。

またその性格についても、ヤモトは一見屈指の女子力を持っているキャラクターです。
オリガミが得意で奥ゆかしく、か弱く繊細な面を見せることも多い。
ショーゴーはニンジャとなってからは上半身裸もしくはジャケット一枚などのアフロパンクススタイルで、見た目通りの不良っぽい振る舞いや物言いが目立ちます。
しかしこれらは両者を構築する表層的な一面でしかなく、本質的には真逆のような力強さを持ち合わせるヤモトと、細やかさを持ち合わせるショーゴーの図が存在しています。
(実際のキャラ造形としてはそこまで単純でもないのですが、あくまでも二人を比較してのざっくりとした対比の話だと思ってください)

当初のヤモトはソウル由来の力に頼ることの多いおぼつかぬニュービーでしたが、「ラスト・ガール・スタンディング」の時点で既にそのエゴの強さの片鱗は数多く示されています。
性格面についてはシ・ニンジャの強大な力の影響…という部分もあるでしょうが、芯の部分は概ね生来のものであろうという見方をしています。
逃避のためとは言え、オリガミに夢中で打ち込んでいたという事実は、少なからず自分の力で現実を変えようとする姿勢の表れでもあるのではないかと。

そこにシルバーカラスから授けられたイアイドーや数々の人間との出会いが彼女を強くし、「地獄戦士」と形容されるまでのニンジャへと成長していきます。
特に「ニチョーム・ウォー……ビギニング」以降で顕著になってくる二面性めいた苛烈さも、ヤモトが変わったと言うよりは、心身ともに強くなったことで彼女本来の真っ直ぐな荒々しさが表に出ることが多くなっただけだと思っています。

逆にショーゴーは前述の通りヤモトに対しての罪悪感をずっと抱き続けていたことからもわかるように、ニンジャ化して得たアウトローとしての一面と、自分よりも他人を気遣う生来の性格であろう一面が同居しています。
同じサークル・シマナガシの面々に対する仲間意識はもちろんのこと、ヤモトに対しては影ながら危機を救うなど、献身的とすら言える描写も。

3部最終章では迷うヤモトの背中を押す場面も見られ、的確に彼女の本質を見抜いていることが伺えます。
さらに言うならば自作二次小説にも入れたネタですが、「ショーゴーはヤモト本人よりもヤモトの内面を理解しているのではないか」とすら思っています。

二人でデッドフェニックスへカチコミをかけた時もそうですが、基本的にヤモトがメインとなりそれをショーゴーが支える、という図がとても自然に構築されており、いい意味で見た目と逆の関係を築いていると言えるでしょう。
ヤモトはカラテ=エゴ・拒絶が強いタイプで、ショーゴーはジツ=共感・理解が強いタイプであるというのが現れてるようにも見えますね。
やっぱりよくできてると思うこの図式。

もうちょっとカップリング的に暴走気味に踏み込んでみますと、ヤモトはその境遇から大なり小なり歪な自己形成を遂げているものと思われ、こと恋愛に関してなどの感性はかなり未発達なのではないかと常々思っています。
そもそも親からの愛情をまともに受けられていたかどうかも大いに疑問で、多感な思春期が現実逃避のオリガミに注がれていたであろうことも考えると、おそらくかなりアンバランスなことになっている。

なので、例え知人友人からショーゴーとの関係をあれこれ訊かれたとしても、多分「照れ」の段階にすらいかないんじゃないかなぁとか思ってます。あくまでも私見です。
自分の中でそれを恥ずかしいだとか気になるとかいうステージにまで到達していないのではないか、という感じですね。
もちろん作中では(主に敵ニンジャから)性的な視線を向けられることも多く、その意味も承知しているはずですが、実感として結びつきにくいのではないかと。

ショーゴーもショーゴーでヤモトに対しては罪悪感をずっと背負い続けてるわけですから、異性としての意識などしている暇は少ないはず。
ただヤモトに比べると割と健全な男子としての感覚を持ち合わせているような雰囲気なので(エッチ・ピンナップ見てたり)、再会後、奥ゆかしくもちょっと天然気味なヤモト相手に大いに意識させられるショーゴーとかネタとしてはベタですがアリなんじゃないでしょうか。
もちろんショーゴーに対してこれまで未成熟だった恋愛観を徐々に芽生えさせていくヤモト…というのも王道。

ともすれば小学生レベルの微笑ましいアトモスフィアすら感じさせそうですし、お互い暗い境遇を持つ者同士でしっとりとしたやり取りも似合いそうな、多様性を秘めた組み合わせだと思います。

4部での10年後のショーゴーの姿は多くのヘッズにショックを与えましたが、それでもそこからの脱却を果たす大きな原動力の一つはヤモトとのあの場面ということで、やはり二人の絆の強さが伺える一幕でした。また再会して欲しい二人ですねー。
ヤモトは果たしてどういう大人になっているだろう…。


シルバーカラス×ヤモト

こちらも定番ですね。
渋い大人の男と少女の組み合わせはいつの時代も変わらず層に届く力があります。
束の間の師弟関係ではありましたが、生活を共にし、ただの教え以上に強固なインストラクションを伝え、別れを遂げる様はとても美しいものでした。

この二人の関係は師弟であり、擬似的な父娘のようでもありました。
結論から言ってしまうと、お互いの人生で欠けていたものを埋め合わせたような形です。

ニンジャとなり求道精神を失ったシルバーカラスことカギ・タナカは裏社会のサイバーツジギリへと身を落としながらも、病による余命宣告を受け、偶然出会ったヤモトを助けるに至ります。
これは死する前にミーミーを残したいというニンジャとしての本能もあるでしょうし、師であったタオシへの不義理がずっと心に引っかかっているというのもあったのでしょう。

何の抵抗もなくカネのために無差別殺人同然のアンダーグラウンド非道行為を繰り返す一方で、モータル時代の師への敬意を捨て去ってはいない。
このような歪な人間性もまた、ニンジャソウルのもたらす影響をうかがい知ることができる一例と言え、カギ・タナカという男の魅力にもつながっています。

ニンジャとなることで力を得て、どんな形であれ満たされない心の隙間を埋める者・埋めようとする者が多い中で、カギ=サンは逆にただただ空虚さを募らせていっただけのタイプではないかと思います。
モータルとは違う次元の存在となることで他者への共感性を失うケースは多いですが、彼の場合それが支配欲や嗜虐性に置き換わることはなかったんですね。
それは彼が本来持っていた人間性の賜物か、センセイの教えによるものか、はたまたその両方か。

何にせよ、死を目前にしてそんな空虚さに向かい合う機会が生まれ、ヤモトを「自分のワガママ」に付き合わせました。
それは図らずも、ヤモトにとっての人間的な欠落を埋める形にもなっていたはずです。

ショーゴーとの項でも書きましたが、ヤモトはおよそまともな思春期を送れなかったものと推察されます。
崩壊同然な家庭や「親殺し」の過去から察するに、一般的な子供が本来通過するべきプロセスが未完了のまま成長しているのではないか、という見方はおそらくそう間違ってはいないのではないでしょうか。

シルバーカラスとして向き合おうとするカギ=サンに対して激しい感情をぶつけ、優しく受け止められた末に死別する様は、まさに擬似的な父娘体験です。
故にカギ=サンとの一連の出来事は、ヤモトにとって成長過程における欠けたピースを埋めるために非常に大きなものだったはず。
もちろん完全にではないでしょうが。

さて重い背景をつらつらと書いてみましたが、この語り的には「ひとつ屋根の下で過ごした時間が存在する」というポイントも見逃せません。
一緒に買物をし、一緒にテレビを見て、一緒に食事をする……他愛のないことですが、この作品においてはとても貴重なシチュエイションです。
各人それぞれのイマジナリを膨らませるには絶好の要素と言えるでしょう。

死に別れという結果で終わった出会いではあるものの、決して悲劇ではありません。
そういった形での優しさが存在するのも、ニンジャスレイヤーという作品の大きな魅力だと思います。


はい、今回はヤモト編でした。
ヤモトとショーゴーも好きな二人ということで大分長くなりました。
相変わらずカプ語りというか多分にキャラ考察も入ってますが、楽しんでいただけたら幸いです。
もう一人の主人公的なポジションだけあって、こういった方面でも非常に魅力的な人間関係が生まれていますね。
特にショーゴーとの徹底した対比のような造形は非常に面白く、深みがあります。
カギ=サンもいざ書いてみると、それまで思っていた以上においしいキャラであること。

来たるべき4部でのヤモトの再登場、そしてそこで彼女はまたどういった関係を紡いていくのか…備えよう。

スシが供給されます。