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剣道人

 小3から高3の約10年間、ぼくは剣道をしていた。剣道をやっていたからこそ今の自分があり、心や体が成長できたと思っている。剣道というフィルターを通してみてきた人や環境のことを、少しだけ文章にしてみる。

 ぼくは”剣道”というものに対して、「どうやったら上達できるか、自分が楽しくできるか」ということを第一に取り組んできた。その時々で「○○優勝、○○大会出場」という目標は掲げてはいた。けれどもぼくは、「試合に勝つ」ということに関してはそこまで意識していなかった。

 「折角試合をするなら負けるよりは勝ちたい」という気持ちは勿論あった。試合に勝てるように努力をするのだが、試合になると「勝ちたい!絶対勝つ!」という気持ちは全くなかった。「自分のベストを尽くそう、やりたいようにやる、なるようになる」という気持ちが当時のぼくの正しい心境だった。勝敗にこだわりはなかった。

 こういう心情だったのは、別に自分は強くないしたいした実力もないと思っていたからだ。ぼくとしては、「ここまでやってきたことをちゃんと発揮すればどうなるんだろう」というわくわく感を楽しむために剣道をしていた感がある。

 自分で考えた練習や自分で工夫したりすることが好きだったからだと思う。だから、顧問に言われたメニューをこなすだけの練習はモチベーションが上がらなかった。だって、自分のやりたいことを練習する時間が減るだけだから。

 中学高校になると県内外構わず、他校との練習試合や練成会が毎週のようにあった。普段できないような人たちとできるので最初は楽しみな気持ちが多かった。いろいろ自分が練ってきたことがどれくらい通用するかなってわくわくするから。

 でもある時から、練習試合や練成会のことが嫌いになった。というよりはつまらなくなった。それは、勝つためならどんな卑怯なことでもしてくる人たちを見てしまったからだ。そういう人たちとの試合はとてもつまらない。やる気を削がれてしまった自分がいた。

 高1の時、ぼくの高校に四校ぐらい集まっての練成会があった。チームの強さのレベルでいうと、ぼくの高校は四校中二番目ぐらいだった。お世辞にも強いといえるチームではなかった。この僕らのチームvs○○工業高校の時の話をする。

 この工業高校とぼくの高校が普通にやったら負けてしまうのだが、なぜかこの日は大将のぼくに回ってきて、ぼくが勝って、結果チームが勝つという試合が何試合か続いた。すると相手チームがイラついているのが目に見えた。「そんなに試合に勝つことが重要なのか?勝てないからってそんなイラつくか?」と思ってしまった。この時点でぼくのわくわく感が少し下がった。

 問題はここからだ。その○○工業高校ともう一試合することになった。ぼくはまた大将で出て相手を見たら、その日は補欠だった中学の剣道部の同級生が相手だった。そいつとは小学校の時から剣道部で一緒で仲も良くて試合が始まる前に「試合するの久しぶりだね、楽しみだね」という会話もしていた。

 試合は進み、大将のぼくに回ってきたときのスコアは○○工業側が一人分勝ち越していて、ぼくが1本でも取って勝てば、ぼくのチームが勝つという状況だった。ぼくはわくわくしながら同級生との試合が始まったが、昔のように正々堂々とした真剣勝負ができると思っていたが、そうはならなかった。中学の時の同級生は勝負を避けるような展開に持ってきた。どうやら試合が始まる前に先輩や主力の同級生から、「どんな方法でもいいから絶対に負けてくるな、チームで勝つために」と言われていたらしい。ある意味脅し。ぼくはこの異変に試合中に気づいて、試合に勝とうという気力がなくなってしまった。そんな楽しくない試合に全力をぶつけるのは違うと思ったから。

 こんな感じの似たような場面に何回も遭遇した。そのたびに「ぜんぜんわくわくしないな、つまらないな、自分のやりたい剣道をすればいいのに」と思った。

 最近の剣道は勝利至上主義のチームが多い気がする。いや普通の人たちは勝つためなら何でもするのだろう。もしかすると、勝利至上主義じゃないぼくがおかしいのかもしれない。

 中学の時に大人たちの練習会に参加したときに、爺さん先生がぼくに向かって「君は優しすぎる、もっと相手が嫌がることをしないと勝てないよ」と言われたのを思い出した。別に性格悪くしてまで試合に勝ちたいとは思わんわ、っと心の中では思っていた。

 剣道には昇段試験というものがあり、その中に学科試験というものがある。学科試験で剣道の理念と剣道修練の心構えを覚えさせられた。その内容はこんな感じ。

剣道の理念
剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である
剣道修練の心構え
剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて礼節をとうとび
信義を重んじ誠を尽くして
常に自己の修養をに努め
以って国家社会を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんとするものである
全日本剣道連盟

 このように剣道とは人間形成の道と書いてあるのに、人間として素晴らしい人間はいないのかと思った。どこを見ても勝つことにこだわるやつばかりで自分を高めよう、人間として成長しようというやつは全然いなかった。同じ剣道をしていた人間だけど、絶対こいつらと同じような人間になってたまるかと思っていた。



 たぶん、ぼくは侍に憧れている。質素な生活で、鍛錬を怠らず、気遣いができ、自分を大きく見せようとしない。現代の若者と真逆なんじゃないかと思う。あこがれているけどぼくは侍にはなれない。だから剣道をやっていた人間として、剣道人として、恥ずかしくないような大人になる。

 剣道について思ったことを書いてみたが、筋道立てて書けていないなと気づき落ち込んでしまう。まずは文章力を上げることからだな。まだまだ駄目でそれでもまっすぐ前を見て進んでいきたい。たりないひとり。





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