さよなら、2021 【2021年振りかえり・前編】
60%くらいの出力で、ゆるーく去年を振り返ってみました。
しかも前編のみ。7月から12月にかけては、原稿は書いたけれど推敲はできていないのでまた今度。
きちんと一年を振り返るのは、随分と久しい気がする。
ここ数年は、一年どころか数ヶ月前ですら振り返って直視することができなかった。何もかもが怖く、開けてしまったらもう終わりだと思っていた。
もちろん、開けたところで何も変わらなかった。自分の中に作り出したゴーストと戦っていたんだなと思う。開けてみて、よかった。
2021年は、「起きた」というひとことがぴったりの一年だったよ。
今までこんこんと眠っていたことが分かった。起きることができた。
身体が、かるい。
それにしても、随分とカチコチの文体になってしまった。もっとやわらかく、エッセイのように書いてみたいと思う。今回は過去の自分を振り返って分析するという目的なので、堅苦しい文体のまま最後まで書き切りました。
ある個人の人生をここまで詳細に書き出すのって、ちょっと恥ずかしいけれど。自戒と、「こんな一年を過ごしてきました」という自己開示もこめて。
一ヶ月ごとの内容は、
・影響を受けたもの(本/映画)
・印象的だった出来事、感想を箇条書き
・まとめ
というかたちで書いています。
🌄1月
📚・ライフハック大全/読了
・独学大全(読書猿)/読了
・こころ(夏目漱石)/読了
🎥・燃ゆる女の肖像
・バッファロー'66
・小さな映画館の求人の面接を受けに行き、落ちる。
・婦人科へ行き検査を受ける。
・コロナへの恐怖はまだ消えず、ぐらぐらと精神的に不安定な日々を過ごす。
・よくスパゲティを食べている。
・良質な映画を観る。
・タスク管理、生活の管理などについて学ぶ。
・Twitterとの距離感をうまく取れず、感情的に安定しない。
・まだ自分の軸が出来ていない。
・日記の内容が少なく、淡い。思い出せることは少ない。
・精神薬の服用をはじめて数ヶ月目、やっと安定し始める。
気分としては、あまり晴れやかな年明けではなかった。年始は面接準備に追われて焦っていたから。
まったく自信が無いにも関わらず、妙な焦りが大きな波となり、衝動的に応募した。不安を無視しようとして、ハイになってたような気がする。
ただ、前から好きで通っていた場所の稀な求人だったこともあり、チャンスだと思って行動してみた。後悔はしていない。けれど、「ここで働けたらな」と思っていた場所だったので、落ちたのはそれなりにショックだった。
今はちゃんと反省点が見える。準備不足だった。焦って落ち着きのない、不安の滲んだ頼りない人間だったと思う。
ちょうどTwitterにも依存していた時期だった。
詳しくは2月に書いてあるけれど、とにかく自分一人でしっかりと自立できなかった。Twitterでのやり取りから色んなことを学んだけれど、自分のすべきことから目を逸らすためにタイムラインを眺めていたようにも思える。いい側面と、よくない側面があった。
自分の軸が未完成だから、自他の区別を付けられず、たくさんの情報に振り回される自分がいた。情報の渦のなかで自分を守る方法を知らないから、必要のない傷を負い、どんどん世界が怖くなる悪循環。
冬も深まり、真白の景色を眺めながら心穏やかな瞬間もあった。それでも、一人で途方に暮れる時間でいっぱいの一ヶ月だった。
妙に頭に残っている瞬間がある。
夜中のリビング。小さなオレンジ色の間接照明でぼんやりと薄暗い中、スパゲティを食べながら「バッファロー'66」を観ていた。主人公の男が「もう生きていけない」と言って泣くシーンがあって、画面をじっと見つめたことをよく覚えている。
わたしにとっての1月は、あの淋しげな色で彩られたビリーの泣き顔。それとスパゲティ。
⛄2月
📚・職業としての小説家(村上春樹)
・象の消滅(村上春樹)
・読書を仕事につなげる技術(山口周)/読了
🎥・バーニング
・水曜日のエミリア
・ストーンウォール
・1917 命をかけた伝令
・日記の文字のサイズがバラバラで、罫線に沿って書くことができていない。
・記録を残せていない日がある。
・行動履歴を付けはじめる(独学大全の影響)。一日の流れを時間で追って残している。
・この時期はまだ無自覚だが、認知療法としてのセルフモニタリングを始める。
・ぐちゃぐちゃの思考をなんとかしようとマインドマップにトライするも、使いこなせず挫折。
・体力がつき、一時間程度のウォーキングも平気になる。
・バレンタインデーは精神的に何かできる状態ではなく、落ち込み、やけ酒をして泣きました。もう終わってしまったのだと悲しみに暮れていた。本当に何してるんだろうね。
・家事マシーンとして無心に掃除をする。今思うと、現実逃避と思考整理だった。
・相変わらずTwitterで荒れていた。まだ心の殻が薄く、簡単に割れてしまう。Twitterに依存しつつ、同時にTwitterを経由する情報に傷つき、振り回されていた。うすうす限界を感じはじめる。
特筆するような、大きな出来事はなかった。
けれど、なんとなくずっと不安な感じ、不穏な気持ちを抱えていた気がする。
相変わらずTwitterとの距離感を掴みかねている。
Twitterを認知療法として使用しながら、ずいぶん久しぶりに居場所のようなものを作ることができて嬉しかった。けれど、それが立派な依存になっていることも自分で分かっていたし、自分がSNSにハマればそれだけ傷つくことも知っていた。
必要とすることで傷つく、その矛盾のなかで血を流していたように思う。
この時期のことは、あまりよく覚えていない。意思のようなものは、かなり薄かったように思う。何かに操られていたような感覚。
今思えば、自分で自分の面倒を見られないために、他の誰かに面倒を見てもらおうとしていたのかもしれない。もちろん直接的にどうこうという話ではなく、自分の感情や考えを、まるで宿題を提出するかのようにTwitterに投稿して、それに対しての反応を、赤丸かペケのようなものとして必要としていたのかもしれない。
精神的な親を探していたのだろうか。甘えることが必要だったのだと思う。
おそらく、ほんとうに、寂しかったのだ。もう、ただそれだけだったと思う。
寂しかった。
だから人のいる場所としてのSNSに掴まっていた。
まだ現実と向き合う強さは持てなかった。
世界で起きているどんな不幸もすべて自分に関係のある物事だと思っていた。もちろん直接の関係はない。でも、どこかでいつか自分に降りかかる恐怖なのだという認識は、かなり根深く私の中に根を下ろしていたように思う。
刃物、コロナ、自殺、政治、毒親、育児放棄、倒産。そういったワードが一つずつサクッと身体に刺さっていた。心の殻はうすいどころか、ほとんど無かったのかもしれない。あまり良い一ヶ月ではなかった。
読み返していて、我ながら「Twitterをやめろ」という一言しか出てこない。
上手に使えないなら、Twitterはやめなさい。せめて一時的にアカウントを停止しなさい、と。
それすらも自分で選択できないくらいに、参っていたのだと思う。今から思えば。
☕️3月
📚・問題解決大全(読書猿)/読了
・線と面の思考術/読了
・共依存症 心のレッスン
・女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと/読了
・アダルトチルドレンの〜(タイトル忘れた)/読了
・最高の体調/読了
・13歳からのアート思考/読了
🎥・クイーンズ・ギャンビット
・イカとクジラ
・欲望の翼(ウォン・カーウァイ)
・食生活の改善を試みるが、勢い余って空回り。アーモンドミルクなどを買っている。健康によさそうな特別なものを摂れば元気になると思っている。
・「ほどほどを継続する」という発想がない。焦っておかしな方向に向かっている。
・「不調なのはグルテンのせいでは?」とパスタに責任転嫁し、パスタを食べるのを控える(え?)。
・病院で札幌へ行った際、どこかカフェに入ろうと思うが、人の多いカフェにはまだ入れない。人が集まっている状況に対する苦手意識、恐怖はまだ健全。
・けれど「パニックになりかけてるな」と自覚できるようになった。
・お酒でやらかしてしまう。お酒というものの本当の力を知る。もう二度と味わいたくないと思うほどの二日酔いだった。「悲しくなって飲むのはもう本当にやめよう…」と、さすがに懲りた。本当に何をしていたんだろう。
・「今、自分は不安にのまれている」「冷静さを失い、不安を解消しようと衝動的な行動をしている」とメタ認知できるようになる。この辺から徐々に安定してくる。
・手帳術などを学び、とにかく日々の管理を徹底しようと頑張っていた。5月にバレットジャーナルと出会うまでの試行錯誤の時期。
・一冊に時間をかけすぎないように読書できるようになる。自分に必要な情報の取捨選択のコツを掴み始める。
・化粧品への興味を取り戻す。一体何年ぶりだろうか、と我ながら驚く。「私もリップを塗るだけで楽しくなれる、普通の女性なんだ」と思えて、嬉しかった記憶がある。
・ジェイゾロフト(抗鬱剤)を1錠から1.5錠に増やす。そのおかげもあり、自分だけでなく周囲に目を向けられるようになる。
読んだ本がずいぶん多く見える。
でも、そんなに頑張った記憶はない。なんだか不思議だ。
その中でも「共依存症 心のレッスン」という一冊と出会えたことは、本当に大きな幸運だった。この一冊のおかげで、私はやっとこの出口のないように思える迷宮から出ることができた。やっと自分で自分の人生を生きる方法が分かった。
この一冊をじっくりと読み、心理状況を明らかにするテストをやってみた結果、自分の状態を客観視できたのは大きな収穫だった。
「自分、傷ついているんだ。怖かった、大変だった、今も苦しいと思っていいんだ。甘えじゃなかったんだ。ダメな奴じゃなかったんだ」と思えた。
許してもらえたような気がして、ぼろぼろ泣きながら「本当は死ぬのが怖い」「楽しく生きたい」「自由になりたい」と素直に感情が溢れたのを、なんだか新鮮なものを見るような気持ちで、ただ感じていたような気がする。
この時期は、平均で6時間前後は作業できたと思う。読書をしたり、思考の整理をしたり、職場での躓きを克服できるようにあらゆる情報を調べ実践していた。
同時に体力づくりは継続。駅までの往復の散歩、日々の家事や食事の用意などのこまかい習慣を安定して継続できるようになったあたりから、「体力は戻ってきている」と思えるようになった。
それでもまだぼんやりとした感覚があった。頭の中がとろけて、どろどろとした沼に取られた足は重たくて動かせない。とても困っているのに、どうしてもコントロールできない。そんな霧のなかで、素早く自由に動けないことにストレスを感じ、焦っていた記憶がある。
あの現象は、一体何だったのだろう?
「本当にこれでいいのかな?」「もっと先にすべきことがある」「でも今はそれができない」「じゃあ今は何をすべき?」ずっとこんな思考をぐるぐる抱えていた。分かっているのに何から手を付けたらいいのか、まるで分からなかった。
相変わらず辛い時期ではあったけれど、それは鬱が治ってきた証拠だったのだと今ならわかる。鬱で埋まっていた場所が空き、次に考えるべきことが流れ込んできたのだ。
変化の多い時期で、しかし心は持ちこたえる強さを取り戻し始めていた。
乗り越えられてよかったと思う。
この時期から日記に残した情報量が増えてきているので、分析材料も多くなってくる。反省するのは辛いけれど、自分が変わっていくのが嬉しく、楽しいね。
🌸4月
📚・共依存症 心のレッスン(メロディ・ビーティ)/読了
・大人の小論文教室(山田ズーニー)/読了
・夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです(村上春樹)
🎥・人生はビギナーズ
・シン・エヴァンゲリオン
・ディーン君がいた瞬間
・婦人科へ行き内診を受ける。子宮内膜症かと不安だったけれど、問題はなく一安心。
・アルバイトに応募し、落ちる。
・劇場でシン・エヴァンゲリオンを観る。
・ジェームズ・ディーンが24歳で亡くなっているのを知り、大変に驚く。
・群衆の中で「自分はもう大丈夫だ」と思う瞬間があった。
・「回復は降伏することから始まる」という言葉によって、少しずつ生き方が変わってくる。
・アルバイト云々の流れでキャパオーバーになり泣いたりするも、今までの自分では考えられないくらい、店主の方ときちんと話すことができた。小さな自信を得る。
婦人科で「妊活をご希望ですか?」と言われ、驚きのあまり声を失ってしまった。
外側から見た自分というものに気付き、内的な自分と社会的な自分とのバランスを考え始めた時期。
「そうか、わたしはもう26歳の立派な妊娠適齢期の女性なのか」と。
自分以外の人たちから見れば当たり前のことなのに、「そうだ、自分はもう子供じゃないんだ」と、自分だけがその事実に追いつけていなかったことを自覚した。
今までもそういう気付きや焦りは度々あったけれど、今回はかなり重いものがあった。
ジェームズ・ディーンが24歳で亡くなっているのを知った。
しんしんと雪が降り積もるように、今までまったく興味のなかった俳優の死が、長い時間をかけて自分のなかに根を下ろしたのを感じた。またひとつ、自分の中に落っこちてきたものが増えた。
実用書や実際の社会のことばかり考えていた中で、久しぶりにカルチャーに触れる時間を作れてよかった。「やっぱり私は表現の世界にいたい」と思った。
「表現の世界にいながら生計を立てる」、そのことを並行的に考えられるようになる。
もう完全に治ったのだと過信し、調子に乗って仕事へ行こうとした。
「治ったのならば働かなければ」と思い立ち、本屋さんの求人を見つけて応募し、不採用。おそらく1月と同じような理由だったと思う。再び凹むも、今回は立ち直りが早かった。そんなに長く落ち込むことはなかった。
今回はきちんと面接で話をすることができた。お店側に必要のない情報をべらべらと話してしまうなど、まだまだ未熟な面もたくさんあったけれど、体力的にも精神的にも「もう大丈夫だと思えるラインは越えた」と、自信を得ることができた。
何よりも、冷静に反省することができた。反省し、問題点を洗い出して分析し、「次、同じような状況にぶち当たったとき、どう行動する?」と考え、他の人のやり方を学んだ。「『変わる』とは、同じような状況で、今までとは違う行動を取ること」という本質を知った。
4月は悪くなかった。
ただ、「もう完全に大丈夫だ」という確信は危険だった。
人なんだから、状況によってはまた苦しくなる。「自分は一定ラインを越えると苦しくなる。だからこのラインを越えないよう、気をつけて程々に生きていこう」と思えるほうが健全。
それから、シン・エヴァを観ました。
エヴァは本当にしんどかった時期に寄り添ってくれたアニメだったので、それがああいう終わりを迎えることに、感動という言葉は薄っぺらく感じてしまうけれど、とにかく「ああ、終わったんだな」と、晴れやかだけどたまらなく寂しいような、そんな気持ちになって劇場を出たのを覚えている。
「エヴァンゲリオン」という大きな世界を生みだしてしまった庵野秀明自身が、エヴァという呪縛から解き放たれるまで。ジブリからスタートして、エヴァをつくり、そして終わらせるという並々ならぬ人生に、言葉にできないものが溢れてしまった。
「世界が変われば、庵野秀明自身もエヴァの描写も変わるんだな」と思った記憶がある。1994年(?)から2021年。30年近くも時間が立てば、表現も変わっていく必要がある。けれど、どれだけ時間に洗われても残る本質の結晶は宿っていなければいけない、それは作品が生きている証拠、つまり心臓だから。
スクリーンを眺めながら、いっぱい考えたよ、庵野よ。
道端に花が咲きはじめる。
🍃5月
📚・勉強大全(伊沢拓司)/読了
・時短術大全
・ストレスフリーの整理術::はじめてのGTD/読了
・すべての仕事を紙1枚にまとめてしまう整理術/読了
・イラストレーターの仕事
・ブラームスはお好き(フランソワーズ・サガン)/読了
🎥・花様年華(ウォン・カーウァイ)
・情熱大陸(はしもとみお さんの回)
・受験に落ちた過去と向き合う。
・自分の人生は受験に落ちたところで止まっていた。それを乗り越えて、やっと時間が動き出す。
・バレットジャーナルを使いはじめる。
・GTDによるタスク管理システムに触れる。自分にできそうなところを取り入れ、やってみる。
・受験と仕事がうまく行かなかった原因を考える。「生産性」について学ぶ。
・「イラストレーターとして仕事をしたい」という学生時代の気持ちを思い出して、色々と調べはじめる。
・「仕事をしながら両立できるのか」「独立するとしたら?」など、何も分からないので、とにかく情報収集をする。
・ずいぶん久しぶりに板タブを引っ張り出し、クリスタを開きドローイングをする。
・用事があって役所へ。今までなら役所の入り口で具合が悪くなったり、怖くて何日も引き伸ばしていたのに、今回はスーッと行って手続きをして帰ってきた。「あれ? もしかして私、本当に治ってる?」と思う。
・本格的に料理にはまる。味玉からスタート。
・動いている好きな人を見て、幸せな気持ちになる。
伊沢拓司くんの「勉強大全」という勉強指南書を読み、自分の受験を振り返った。
伊沢くんは94年生まれ。つまり、わたしと同じ学年。同じセンター試験を受けた大勢の受験生の一人だった。
ページをめくりながら、そんな伊沢くんの受験に対する志や考え方、「受験する自分」を見つめて分析する能力などを追体験するごとに、圧倒的な努力の差を思い知らされた。私は自分が受けたセンターを、あれだけ真剣に分析するなんて到底不可能だった。
伊沢くんは同世代どころか人としても飛び抜けているので、比較するなんておこがましい。けれど、彼は天才ではなく、努力の人だ。だからこそ、「ああ、こりゃあ落ちるわ。私、なんにも勉強してこなかったんだな」と、シンプルに納得せざるを得なかった。
膿を出すように、静かに泣いた。泣いた後はスッキリした。
「努力不足」、真実はシンプルだった。
東京と地方、インターネットによる情報収集能力の差、家庭環境と両親の経済力、それによる予備校の活用方法、通っている高校自体の差異、授業の質。両親のサポートの有無や質、頼れるかどうか。それによる精神的な余裕と安心感。集中できる環境の有無。あらゆる要素が違う。
それでも、私はもっと勉強すべきだった。勉強すべきだったし、もっと真剣になるべきだった。どこかで向き合うのを辞めていた。落ちて当然だ、むしろ受かると思っていたことが、今から思えば恐ろしい。何をすべきか、それすら理解していなかった。
泣いている暇なんて、本当はなかったのだ。
私のなかに、受験に落ちたという過去が大きなしこりとして残っていたことに、あらためて驚いた。それと同時に、ひとつ荷物を下ろせたような晴れやかな気持ちにもなった。
今でも、両親に対しての不満はある。「二人の関係に問題がなく、自分が受験に集中できる環境だったらきっと受かったのに」と今でも思うし、事実そうだったとも思う。けれど、それでも私はあの環境の中で、もっと頑張るべきだった。
これから何か手に入れたいのなら、学生時代のような方法じゃ通用しないのだ。そのことが明らかになった。それで今は十分だと思った。腑に落ちた。
これが、5月の大きな収穫。
基本的には受験に落ちた経験を分析し、生産性に関することを学んだり、仕事をするとは何かということ自体について勉強していた。精神的な起伏は少なくなり、安定しはじめる。
恋愛について書くと文字数が膨大になってしまうので、意図的に割愛します。
けれど、これは書いておく。好きな人が小さなハートをひとつ贈ってくれた。それで、ずいぶん頑張れたんだよ。ありがとう。
🎐6月
📚・きみは赤ちゃん(川上未映子)
・武器よさらば(ヘミングウェイ)
🎥・ローリング・サンダー・レヴュー
・COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック
・三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実
・好きな人へ手紙を書く。
・短編の原稿のための断片を書き散らす。
・かなり早い夏の到来。30℃近くなる日もあり、体力的にしんどくなる日も少なくなかった。
・今までかけてもらった金額を母に聞き、把握し、絶句。(金額を聞いてゾッとした)
・時間をお金のように「予算」「収支」という切り口で考えられるようになる。
・自分に対して、少しずつ信頼できるようになる。
・Queenの曲を聴く。
・勉強と作業それ自体よりも、そもそもの勉強・仕事とは何かを考え、整理する。「仕事とは、一体何が起きているのか?」これが分からないとどうにもならない。
・生理がしんどい。発熱と吐き気に見舞われ、数日間使いものにならなかった。
6月は、好きな人の誕生日だったね。
「遠く離れているし、何も贈れないな」と最初は思っていた。でも、距離を言い訳にして何もしない選択を自分はきっと後悔すると思って、色々と考えてみた。
色んな感情が湧くけれど、最後にはやっぱり「出会えてよかった」というシンプルな想いに着地する。
「生まれてきてくれてありがとう」、この気持ちを伝えないままやり過ごすことはできないな、と思った。
大げさかもしれない。そう思ってかなり悩んだよ。
でも(コロナのこともあって)、人はいつ消えてしまうか分からないから。後先のことは一旦置いておいて、とりあえず気持ちを届けてみようと思った。そして、まずは心を込めてお手紙を書いてみようと思いました。
そうしたら、好きな人が久しぶりに長文を書いていた(インスタで)。それを私は静かに読んでいた。手紙に「君の長文が読みたい」とこぼしたワガママが届いたのかもしれないって思った。
「こんなこと考えてるんだ」「そうだったんだ」と、好きな人の内側を知ることができて嬉しかったよ。
それから、好きな人が歌っていた曲を何度も聴いた。それが6月の大きな原動力だった。
だめだ、恋愛についてはここら辺で切り上げよう。文字数がとんでもないことになってしまうから。恋愛に関しては、また別の機会に。
比較的穏やかな一ヶ月だったような気がする。
ただ、ずっと気になっていた文芸誌の新人賞を思い出し、原稿を書いていた。
4月に面接をしていただいた店主の方に「表現に携わりたいなら、とにかく書くことだよ」と励まされたのも理由のひとつ。
けれど「生計を立てられていないのに、創作なんてしてる場合だろうか?」という気持ちが大きく膨らみ、ほとんど集中できなかった。面接に落ちたこともあり、自分にもできる仕事を考えつつ、反省と分析をしていたように思う。
正解かどうかも分からない、何もかも間違っている気がする。それでも時間を無駄にするわけにはいかないからと、どちらにも着手して中途半端。そんなふうだった。
7月から12月は、後半へ。(1月中に投稿できますように…)
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