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いちゲーム開発者として、「野暮」な感想を書きます

ゲームの感想とか思い出話を見るのめっちゃ好きです

 人によって体験する内容に細かい違いがあるし、良いも悪いもそれぞれの感性でいろんな評価になるし、自分以外の視点のゲームの意見で新しい発見があるのが何より好きです。
 好きなゲームの酷評を目にするとほんの少し ○ァック! な気持ちになるけど、むしろ自分と違う意見ほど発見が多いので好きです。

 そんな僕なので、自分でもゲームをプレイするたびにいろんな感想で頭がいっぱいになるし、気になったところは頻繁にスクショや動画キャプチャーをバシバシ撮ります(最近のハードは本体自体に機能が付いてて便利!)。ただ、今時では珍しいことでもないですが、そんな僕も実はゲームを作る仕事をしてたりします。
 だから感想の内容がちょっと開発者目線になりがちです。ストーリーやキャラのメタ的な役割を考察をしたり、この機能の目的はこういうところなのかなと考えてみたり、果てはこの部分はこうなってればもっと便利なのになぁ、みたいなお節介なことまで思ったりします。

ゲームに対しての感想として「野暮だな」と思うもの

 ここからは個人的な考えなのですが、ゲームに対しての感想として「野暮だな」と考え、発信を控えているものが2つあります。

 1つは、メタな考察をすることです。例えば「ここでこのキャラクターが死ぬのは主人公が中盤に成長するための布石で、この時点で一人脱落させるならこのキャラが適切だからだろうな」とか、「ここでカメラがキャラの手元を見せないのは襟元を掴む部分のモデリングは難しいからうまく隠してるんだろうな」みたいな感じのやつです。
 その考察が正しいかどうかはさておき、作品そのものではなく制作側の都合や狙いを読み取ろうとするのは作り手も望んでいないし、素直な作品の楽しみ方ではなく無粋だと感じるからです。

 もう1つは、改善案を出すことです。「攻撃ヒットのタイミングにこういうカメラの小細工を入れれば手応えがもっと出るのにな」とか、「メニューのレイアウトはこうしたほうがもっと使いやすいのにな」みたいな感じのやつです。
 既に完成して世に出たものに対して「こうすれば良かったのに」と意見するのは実は簡単なことです。なぜなら開発というのは限られたスケジュールの中で、出来上がるまで良いものになるか分からないものを作ることだからです。
 ただ、そんな不確定な中少なくとも開発陣が覚悟を持って世に出したものに、「採用することによるスケジュール遅れを見越しても100%確実にトータルの利益が上がる」と言える改善案なんかないと考えているので、無責任な感想だなと考えています。

 繰り返しになりますが、この2種類の感想を野暮だと考え、控えてるのはあくまで僕の個人的な縛りです。1人の開発者としてやるべきではないと考えているもので、他の方がこういう感想を発信することをやめるべきだというわけではありません。

野暮だけどやるべきだと考え始めました

 さて、ここまで長々と僕の個人的な縛りプレイの話をしていましたが、最近になってこの野暮な感想を解禁すべきだと考えました。

 率直な理由は「我慢して部分的な感想だけ発信するの辛いからやめたい」というエゴです。そもそも縛り自体も自分のエゴだったのにさらなるエゴでかき消されました。これもうわかんねぇな。
 開発者をやっていると、ゲームの完成形をイメージしたり、技術的に難易度が高いところを想像したりするのは日常的にやっていることなので、これはどうしても避けられないです。ありのままの感想を吐き出したい。

 もう一つの理由は、本来ログとして残せたゲーム開発のノウハウが、感想を制限することで残せなくなるのが勿体ないからです。
 気色悪い習性ですが、僕は割と頻繁に自分のブログやSNSの投稿を読み返します。基本的には「これ我ながら上手く纏まってるな…」と悦に浸るため(この習性はモノづくりする一部の人に伝わる…ハズ)なんですが、気付きをまとめた記事や投稿がふとした時に役に立ったり、新しい発見で思想がアップデートされたりします。
 感想としては野暮ですが、性質上、開発目線では結構役に立つ内容になるので、やはり残しておきたいです。
 あと、発信してるとより良いノウハウが集まることがあるのでそこにも期待しています。格ゲーだと「これが最大コンボです」とツイートすると、よりダメージの高いコンボがリプ欄に送られてくる、あれです。

 最後の理由は、開発にノウハウを活かすタイプのゲームレビューが世の中に少ないと感じるからです。これはそもそもプレイヤーの内訳で開発者の割合が少ないから当然なのですが、開発目線で具体的な良し悪しを語るレビューでも、「ここが良かった」と手放しに称賛して、なぜそれが作られるに至ったのか、他に考えられる手段があるのか、という考察が抜けていたり、「ここが悪かった」と指摘して、どう改善すべきか、その改修は工数やスペックに見合うか、みたいな話が抜けてたり、つまりあくまで感想どまりで学びにする目的のレビューが少ないと感じます(もちろん感想なんて個人の趣味にすぎないのですが)。

 少し話が横に逸れますが…僕の学生時代、ゲームクリエイターを目指すものとしてたくさんのゲームを恐れ多くも評価しているような時期がありました。プレイしたゲームの良い部分、悪い部分を見抜きさえすれば感性(と考えてた曖昧な何か)が磨かれると勘違いしていたわけです。しかし実際には1人で下す評価なんかに正当性があるわけもなく、考察も改善案も無い評価には何の成長もありませんでした
 最近はゲームクリエイターによるゲームデザインの書籍が増えてきたように感じます。僕もよく購読するのですが、本当に学びになるのはゲームを評価することではなく、何がどういう仕組みで気持ちよく・面白く感じるのか、遊びづらさ・つまらなさは何故生まれ、解決するにはどうすべきかを泥臭く考え、実際に作ることだとつくづく思い知らされます。

 話を戻します。ゲームを作る人間の端くれとして、自分なりにノウハウに活かせそうなレビューを発信して、もしかしたら世界のどこかにいるかもしれない僕のような人の考えを変えられたらいいなぁ…という理由もあって、noteを書いてみることにしました。もちろん、99%は僕自身のためですが!

野暮なりの決め事

 自分なりに理由があって解禁したとはいえ、やっぱり野暮なモンは野暮です。そこで、ちょっとした決まり事を作りました。

・ノウハウとして活かせる話を主軸にする
・ゲームについてオススメかどうかは語らない
・販売本数で良し悪しを直接判断しない
・プロモーションについては触れない
・キャラクター、ストーリー自体の良し悪しは原則語らない

 前述した「野暮な感想を解禁した理由」はそのまま感想を書く目的にもなっているのですが、その目的を見失わないようにするルールです。
 また、自分なりに参考にしたいところも改善できそうなところも書きますが、世に出てユーザーに届けたゲームへのリスペクトを忘れないためのルールでもあります。

まとめ

 作品を語って趣味として自己満足で消費するためではなく、業界人の端くれとして、遊んだゲームを「楽しかった」で終わらせず学びにするために、今後の開発に活かすために、あえて野暮なことをするnoteです。

 よかったら、 #野暮ゲー話 で、感想をつぶやいてください。うれしかったら、僕もRTします!

筆者の経歴

・スマホゲームの開発会社に勤務、この記事投稿時点で7年目
CEDEC公募セッションのゲームデザインジャンルで登壇
・技術書の単章執筆経験あり
・開発経験のあるジャンルはパズルRPGと3Dアクション
・役職はリードエンジニアだったり、いちエンジニアだったり

 いろんなプロトタイプの開発が業界歴の約半分を占め、褒められたことではないですが、あーでもない、こーでもないと作っては壊しの経験が多いです。(15本くらい)

 エンジニア向けの内容ですがQiitaでちょっとした技術記事も書いています!
https://qiita.com/flankids
ご興味があればご覧頂けると嬉しいです。


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